私の右手には生(せい)が、
私の左手には 死が。
そんな私を、
人々は 「死神」 と言う。
生をも産み出すというのに。
生を産み出しても、 死をも思うままに操るからだろうか。
産み出しては 死へ。 いや、 死へと誘(いざな)っては 生を。
何年も 何年も、
想いを操り、 死へと導き、
一つの命が消えたら また 産み出し・・・・・・・・
死へと誘うのは簡単な事で、
ちょっと心を突付いてやるだけ。 楽な仕事。
しかし、 生は そうはいかない。
自分の命を削るのだから。
やがて、 この命も残り少なくなるだろう。
やがて、 死にゆく・・・・・・いや、 違う。
自分の死期には、 命を喰らう。
そうやって、 また 命を伸ばし、
・・・・・・・・・・あぁ、 そうか。 そうなのだ。
だから、 死神と 言われるのだ。
やがて、 間もなく 死期が来る。
そして私は命を喰らい、
そしてまた、 生を産み出す・・・・・・・
しかし、 また 死を
私は 死神 なのだから