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管理人の日記
哀しき世界(ほし)よ…我が未来を操る監視者(パーミッター)となり、全ての命(せいめい)を救済しよう…
世の中には、自己啓発の一つとして「身の回りの全てに『マル』を付ける」という方法があるそうだ。というのも、「自分が生活している環境を肯定的に捉えることで、前向きな考えができるようになる」という理論である。が、そのように考えられる人はよほど楽天的というものであり、それほど多くは存在しないであろう。実際、これを読んで「よーし、じゃあ明日から満員電車で風呂に入ってないオッサンの臭いを肯定的に捉えてみるぞー♪」などと思う人は皆無であろうことからも、この方法の空虚さがよく分かるというものである。
――というわけで、俺が当サイト読者の皆さまにオススメしてみるのが、逆に「身の回りの全てに『闇』を付けてみる」という方法である。要するに、「自分が生活している環境を厨二病的に捉えることで、前向きな考えができるようになる」のである。現に、中身不明のゲテモノ鍋を「闇鍋」と呼んで笑いに変える行事は一種の文化として誰でも知っているだろうし、理解不能な人々を「闇の眷属(けんぞく)」などと呼んで笑いと共に敬意を払うやり方は、「皮肉」をさらに昇華したような手法として、若者たちに定着している。「身の回りを厨二的に捉える」ことで、人は幸せになれるのだ。
では、「身の回りの全てに『闇』を付ける」という“誇リ高キ「行為」”は、現実世界にどう顕在すれば「契約の轍―ワダチ―」となるのだろうか?
・・・これは、具体例を挙げてみると良いかもしれない。例えば、俺がパッと思いついたのは、「ヤマザキ闇のパン祭り」というものと、「チャート式・闇からの数学II」というものである。これらは、個人的には大爆笑してしまったので、少なくともこの手のネタとしては成功なのであろう。逆に、適当に思いついたワードに「闇」を付けただけの「闇ニート」だとか「闇光歌合戦」などというものには何の魅力も感じず、失敗となってしまった。
――そうなると、面白い「闇」ネタには、果たしてどのような法則があるのかという疑問が出てくる。しかし、これはまあ、言ってみれば実際に当てはめてみて面白いと思ったものが面白いのであり、何らかの定義を述べるのは実に難しい。逆に、意外なものでも「闇」ネタが面白くなるということで、今回は是非とも皆さまに試して欲しいものなのである。それはきっと・・・この世のもぽではない。
というわけで本日は、そのような「闇」ネタについて、俺も幾つか考えてみることにしたのである。
・・・だが、その手の「厨二病ネタ」というものは、時代と共に変遷していくものである。例えば、毎年W月にある前期天王の聖誕祭たる「翠の碑」が、今では「Show和!!の日」という欧米かぶれに変わってしまったように、我々のネタも時勢に合わせていく必要が存在するのだ。しかし、「厨二病」が楽しいことには変わりないのである。さあ、是非とも皆さまも今日から、身の回りの全てに「闇」を付けてみてはいかがだろうか・・・!?
◆1 「闇日本国憲法」編 |
◆第1条 天王は、闇の象徴である。 ◆第9条 日本國民は、闇と光を基調とする國祭陛和を聖実に貴求し、 國権の発動たる銭葬と、舞力による威殻または舞力の行使は、永久にこれを放棄する。 ◆第15条 すべて皇務員は闇の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 ◆第25条 すべて國民は、健康で文化的な最低限度の聖活を営む権利を有する。 |
◆2 「センター闇語」編 |
初受験・・・ども・・・ 俺みたいな24でセンター試験を見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今年の試験場の会話 あの数IA難しい とか あの英語キチガイ とか ま、それが普通ですわな かたや俺は国語の時間で小説を見て、呟くんすわ spin spin spin.廻ってる?それ、誉め言葉ね。 好きな問題 『闇への道』、ダー、ク、ロードです 尊敬する言葉 シイゼエボオイ・エンドゼエガアル(国語行為はNO) なんつってる間に80分っすよ(笑) あ〜あ、センター国語の辛いとこね、これ |
◆3 「単純に光を闇に置き換えてみた」編 |
闇の援軍 |
◆4 「カタカナ語」編 |
闇→ダークネス |
(2013年1月23日) 4321 PV
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