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管理人の日記
もっとアメリカ企業らしいところを見せてくれよ
Surfaceとは何だったのか… |
先日、ふらりとVAIO株式会社のサイトを見ていて愕然とした。なんと、同社の宣伝記事である「VAIO Z:使用事例レポート」に、日本マイクロソフトの社員が登場していたのである(【記事】)!
…というのも。ご存じの通り、「VAIO」は元々ソニーのブランドであり、現在はそこから独立して主に高価格帯のノートPCを発売している。一方のマイクロソフトも、近年では「Surface」というタブレットにもノートにもなるハイブリッドPCを発売している。両者は、共に高性能な先鋭モバイルPCとして、ライバル扱いされることも多い。ゲーム業界と同じく、パソコン業界でもソニーとマイクロソフトは火花を散らしているということだ。
――が。あろうことか、今回の件では、その総本山であるVAIOのサイトにて、日本マイクロソフトの社員が「VAIOは良いですよ^^」と宣伝を行っているわけである。これはもちろん、登場をされている「溝口宗太郎」氏の独断ではなく、マイクロソフト本体に許可を取ったうえでのことであろう。確かに、俺も愛用しているVAIOブランドのPCは素晴らしいものであり、マイクロソフト側としても、WindowsPCを発売しているメーカーはライバルではなくパートナーだという考え方もあるかもしれない。それをもってしても、直接的な敵対関係にあるマイクロソフトの社員が、ソニー側の提灯記事に加担をするという事態は、まさしく異様としか言いようが無いのである。
では、どうしてこのような事態になってしまったのだろうか。考えられるのは、「マイクロソフトのSurfaceへの諦めと自虐」である。
…というのも。ご存知の通り、管理人である俺自身も、かつてマイクロソフトの「Surface
Pro2」を使っていたことがあったのだが、そのあまりの品質の悪さにより、「商品失格レベルの史上最低クソPC」という、もはや罵倒にも近いような評価を下したものだった(【2015/2/18】)。そうして、「Suface
Pro2」は、約15万円という高価格帯のPCにも関わらず、僅か1年未満でメインPCの座から脱落してしまった。
――なお、その後の俺は、プレイステーションシリーズでお世話になっていたこともあり、ソニー系列であるVAIO社の「VAIO
Pro13(2014)」を購入し(【2015/4/10】)、今でもそれを愛用している。価格は20万円と決して安くはなかったが、それに恥じない高パフォーマンスを発揮し、今なお色褪せない“相棒”として活躍をしてくれている。だからこそ、俺はPCを購入する際には、今後ともVAIO社のハイエンドモデルを買い続けようと心に決めたのだ。人と企業との信頼関係とは、案外そういうものである。非リアの社会人ゲーマーは、金が余っているからこそ、そういうところにこだわってしまうものなのさ…。
さて。このように、今回はマイクロソフト社員がライバル企業であるはずのソニーのパソコンを宣伝するという驚異の事態に陥ったのであるが、果たしてこれは本当に良いものなのであろうか。もちろん、俺はそうは思わないのである。
…まったく。米マイクロソフトは、ゲーム戦争におけるソニーハードへの大敗(【2016/6/5】)や、ネットワーク業界でのアップル社との激しい争いから、一時期の覇権からは思いもよらぬような苦戦を強いられつつある。そういう状況において、マイクロソフト社内においても、いわゆる「自虐」の精神が生まれつつあるのであろう。つまり、相手が強力すぎただけであって、それに挑んだ自分たち自身が間違いであったという考え方である。
――だが。そういうものは、俺は尊敬しないというものである。あのアメリカ企業が、自分のことを反省して縮こまるなど、全く見たくもないというものなのだ。自分たちのやったことを尊敬できない者が、いったいどうして他者を尊重できるというものなのだろうか。どんな戦いにも”負け方”というものがある。いくら「Surface」が失敗だからといって、表立ってそれを認めるようなことは控えてほしいのだ。それは、かつて「Surface」を信じて購入した者たちに対する、せめてもの信義だと思うのである。
そんなこんなで。かつて世界を掌握下に収めていたマイクロソフトは、今やゲーム業界ではソニーに主力艦隊を轟沈させられ、他戦線でもアップルとの激しい消耗戦により、大きく力を削られてしまった。だが、それで単なる自虐主義に陥ってしまっては、あのアメリカの企業らしくない。図々しいくらいに自分たちが正義だと信じ、それを強引に他者へと押し付けてくる。そういう横暴さこそが、”アメリカらしさ”というものではないか。
――というわけで。確かに「Surface」は失敗ではあったかもしれないが、あろうことかそれを社員自体が堂々と公言するようなことは、俺は控えてほしいと思うものなのである。かつて戦った敵が弱かったと認めるということは、すなわち自分も弱くなることに他ならない。悪役として、敵として。マイクロソフトには、矜持を持ってほしいのだ。負けた者にも正義はある。逆に、負けそうになった瞬間から自分の過ちを認め出すということは、それはそもそも最初から自分たちに儀が無いのだと認識していたということなのかな…?
(2016年7月3日) 171 PV
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