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管理人の日記ログ
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読者の皆さまは確かに「うざい」と感じられるかもしれないが、 だが待ってほしい。「うざい」というのも、また確かなる感情の 発現であり、その理由を解読することで、「読みやすい文章」、 強いては人間精神の真髄にも迫れるものなのではないだろう か。そもそも我々大和民族こと日本人は、「土佐日記」「紫式部 日記」のように、古典作品の数々にも日記の体を取った文学が 見られるが、これがそもそも「日本人は暇になると日記を書く」と いう説を支える強烈なインヴォケーションとなっているのである。 然るに、日記文学の形式を採用している当サイトにおいて、このよ うに日記文学の深淵を究明することは、至極当然の話なのである。 かかる掃いて捨てるがごとき駄文であっても、もしかすると1000年後 には、この平成という時代を知るための「古典」として知られている のかもしれない。多感な学生諸君にとっては、古典などただ古臭く つまらないだけの文章と思う方も多いだろうが、それは当時の文化 や風習を知るうえで、これ以上無い資料となってくれる。そうやって 過去を知ることで、これからの文学の未来も見えてくれるのだろう。 |
前略、この電脳の海であるインターナショナルネットワーク空間においては、無限に広がる大宇宙のごとき言の葉の数々が存在しているが、その中において、日本に住んでいる日本国のうち大多数が「読みづらい文章」と思うものとは、果たして一体全体さてさて然るにどういう書き方なのなのだろうか。本日は、そのようなテーマ――Theme(英):お題――について、レッツシンクアバウト.
…そもそも…なぜ……「読みやすい文章」…が…必要…とされ…る…の……か…?…?
理由:携帯通信機及び計算機を装備した1個電子化国家基幹の国民は、H時+3秒後に「戻る」ボタンを使用する見積もり(E-1)であり、我はX日H-3時行動開始、積極果敢な行動によって読者の興味を引き、「戻る」ボタンの使用を阻止して情報資料を最後まで読ませることができる。でも待ってください。私がこう考えた理由には3つのものがあります。つまり、@「文章というのは、そもそも読んでもらってこそ意味があるもの」、次にA「インターネットには多数の文章があるから、もし『面白くない』と思われてしまえば、その瞬間に前のページへと戻られてしまうこと」、そしてB「だからこそ、特に文頭に関しては、分かりやすい書いて読者の興味を惹かなければならない」ということです。此不是「読みやすい文章」??
――だからお願い 僕の文章を読んで
くれないか 君が好きだから この文が
君に届きますように
コメントが付きますように。
斯くの如き理由により今宵は「例」を以て示して見るので或る。斯様のものが「読みづらい文章」なので候。※よいこのみんな!
ここのかんりにんはとくしゅなくんれんをうけているぞ!
ぜったいにまねするなよ! 「はんめんきょうし」というやつだ!!
やくそくだからな!!!
◆1 結論に足が生えて逃げ出している
(※結局なにが言いたいのか分からない)
この9月7日には、毎年恒例の「プレイステーション・ミーティング」が開催される。そこで発表されるとまことしやかに囁かれているのが、いつも通り軽量化&低価格化が成された通称:「PS4
Slim」、そしてまだ見ぬ4K対応の新型とされる通称:「PS4
NEO」だ。だが、俺が気になっているのは、それよりも噂されている「新型PSvita」なのである。
…そもそも、PSvitaには、メインとなるキラータイトルは存在しないが、現在ではPS4/PS3タイトルのマルチプラットフォーム版が数多く発売されているほか、様々な小粒作品が登場している。そういうものを適度に取捨選択していけば、Vitaはすこぶる楽しめるハードとなっているのだ。
――やれ、確かに「皆と同じことをやっている」、つまりは“売れているタイトルをプレイする”ということは、人に大きな安心感を与えてくれるものである。だが、本当にそんなもので良いのか。俺は、「全体主義」というものを許さない。なぜなら、誰かに強制されるのではない、自由な意思があって初めて、人は前向きに努力をしていこうという気持ちが生まれるからである。俺の理想とする仕事とは、皆の仲が良く、積極的に自分の力を職場のために活かしていける。そういう国のことである。
◆2 個人的な欲望が漏れ漏れている
(※具体例から一般化ができていない)
現代社会において、女子学生の「制服」と言えば、それはもう「萌え」のメタファーそのものである。読者の皆さまの中にも、学生時代に甘酸っぱい思いをした方々も多いだろう(今も?)。だが、それは少し昔の日本人にとっては、恐らくは「和服」であったに他ならない。これら2つの組み合わせは、新旧の日本文化を象徴するものとして、切っては切れないものなのである。
…何故こんなことを思い付いたのかと言うと、今日の更新のために作業用BGMを探していて、Youtubeにて【あの内田真礼ちゃんが歌う「月のしずく」の動画】を発見してしまったからである。そして偶然、そのサムネイルに設定されていた画像が、「女子学生の制服に和服を纏う女の子」というものものであったことから、本日このような文章を思いついてしまったのだ。別に、俺はキモい声優ファンとかじゃないっすよ。ただ内田真礼ちゃんと結婚したいだけなんすよ。
――それはそうと。少し前に、「男性が最も“そそられない”服装ランキング」というアンケートがネットで話題となって、その1位は堂々の「ミリタリー」というものであった。なんでや!!
迷彩服かわいいやろ!!!
◆3 助詞を一切使用していない
(※正しい日本語を使っていない)
最近 家 暑い 冷房 ショボい 苦しい 。 夜 寝苦しい 窓 開ける 上半身全裸 パンツ 蚊 忌々しい 。 眠れない夜 君のせいだよ (怒) 。 早く 秋 来い 残暑 死ね 。
毎日 楽しみ 寝る 。 夜 からだ中
暑い かゆい 。 いったい俺 水 虫
かゆい あつ
(2016年8月23日)
今やアニメ系RPGの代表格に |
先日、延期が発表された「ファイナルファンタジー15」に対して、同時期に発売される予定であった「ペルソナ5」の予約が大幅に伸びているという。ゲーマーとしても、この9月発売のRPG・2作品は見逃せないものであり、どちらを買うか、はたまた両方買うかには非常に頭を悩まされるものだったのだが、まさかのFF15の延期によって情勢は大幅に異なってきた。というわけで本日は、「FFファンはペルソナ5を買うべきか?」という話題について書いてみることにしよう。
…まず、「ペルソナ」は、アトラス(現在ではセガ傘下)から発売されているシリーズであり、“ペルソナ”と呼ばれる召喚獣のようなものを操って敵と戦っていくRPG作品である。その世界観は作品ごとに異なるが、シリーズに通底する特徴として「主人公たちが学生であること」「犯罪捜査・都市伝説・怪談といった身近なテーマを扱っていること」が挙げられる。また、ペルソナ(“persona”)とは日本語で「仮面」の訳されるが、心理学用語としてはperson=人間そのもののことを示しており、人間が他者に向けて演じている外的側面こそ「仮面」=「ペルソナ」なのだという。まあそういう話は関係あるかどうか分からないが、「ペルソナ」シリーズでは人間の内面から現れる善や悪といったテーマが扱われることが多く、そこに魅せられたファンも存在する。また、全作品が日本の都市を舞台としており、いわゆる“JRPG”とは異なる、文字通りの意味での“JRPG”として、最近では海外でも注目を集めているんだとか。
――その他。ゲーム的な特徴を挙げてみると、何はともあれUIなどのデザインが特に優れているということが挙げられるだろう。原色を多用したアートのような各種メニュー画面は、美しく使いやすいことはもちろん、それ自体が世界観としてゲームの中に上手く溶け込んでおり、シリーズの魅力として完全に確立されてしまっている。また、内容的にも演出的にも、日本のアニメ作品を強くイメージしているところがあり、“少し年齢層が高めなアニメ”が好きな人は、するりとその世界の中に入っていくことができるだろう。まあこれを言ってしまうとFFシリーズはもちろんとして大半の日本ゲームはアニメなのであるが、それは置いておいて、とにかく「ペルソナ」シリーズは、“アニメっぽいゲーム”の最前線を走っている作品であると言えよう。
さて。俺と、「ペルソナ」シリーズの付き合いは、意外にも1作のみであり、それはPSvitaの「ペルソナ4:ザ・ゴールデン」とのものである。
…というのも。俺は2013年の初就職前にPSvitaを買った(【2013/1/13】)のだが、それはお世話になったPSPの後継機としての意味合いが強く、特に目当てのソフトがあったというわけではなかった。だから、ハードと同時に購入した「地球防衛軍3ポータブル」を一通り遊んだ後は、就職をうってかわってしまったこともあり、Vitaのゲームに熱中することは無かったのである。そんな俺が、仕事がひと段落ついてきた2014年春に面白いと噂を聞いて購入したのが、「ペルソナ4:ザ・ゴールデン」である。プレイ開始直後、PSvitaの性能を活かした美しいオープニングムービーに度肝を抜かれ、直後のゲーム画面のFF9くらいの切なさ(原作はPS2の後期も後期に発売されたタイトルなのに…)には逆の意味で度肝を抜かれたものの、その後は優れたシステムやボーカルを多用したBGMに心を奪われ、裏ダンジョンまでがっつり60時間プレイしてしまった。そのシステム面について、あのFF13-2にもペルソナ4の影響が垣間見えると言えば、どれだけペルソナ4のゲームデザインが優れているか分かっていただけるというものであろう。
――なお、その後の経緯としては、当時既に続編である「ペルソナ5」は発表されていたのだが、その内容は「2014年にPS3で」というものであった。それがしばらくすると「2015年にPS3&PS4で」となり、更に「2016年夏」の後に「9月15日」と最終的な発売日が発表された。つまるところ、延期を繰り返したのはFF15だけでなくペルソナ5も同じなのであるが、俺の中での信頼感は段違いである。その理由には色々あるけど…やっぱ発売直前での延期は痛かったし、体験版のクオリティとかスタッフの馴れ合いとか、そういうものに依るところも大きいのかな…。
では、これらの点を踏まえたうえで、冒頭で出した「『ペルソナ5』を買うべきか?」という疑問に答えてみよう。それは、「興味を持っていて、かつプレイできる環境があるなら買うべき」というものである。
…というのも。9月は発売するタイトルが多く取捨選択が非常に苦しかったのだが、FF15が2ヶ月延期となったため、「大作RPG」というジャンルに絞るのならばほぼペルソナ5の一択と言える状況になった。そういうわけで、旧来FFのようなRPG作品が好きなのであれば、ここで一つ「ペルソナ」シリーズに手を出してみるのも悪くないと思うのである。近年のゲーム界は、かつてのように大作タイトルが全てを取っていくのではなく、多様性を認める方向に進んできた。そして、我々はFFファンである前にゲームファンであるから、ここらで他の人気RPGを遊んでみるのも、また良い経験になるのだ。というか、むしろFFシリーズを買う時も、「FFだから買おう」などという後ろ向きではなく、常に挑戦的な姿勢で挑んでいかなければならないはずなのだ。そういうことを忘れてしまった瞬間から、スタッフとしてもユーザーとしても、後退が始まってしまうのである。
――というわけで。そんなペルソナ5の魅力について考えてみると、まずは前作から大幅に進化したグラフィックが挙げられる。それは、さすがに海外ゲームレベルとはいかないが、アニメスタイルのRPGとしてまた異なる魅力を確立している。また、『4』は毎回ランダムにマップが生成される形式であったが、繰り返し何度も同じダンジョンを攻略するようなゲームシステムではないため、若干噛み合っていない感があった。それが、『5』では固定マップになるということで、よりドラマチックな冒険が楽しめるようになることだろう。そして、洋楽ベースのボーカル付きBGMや鮮烈な印象を残すUIなど、『4』の特に良かった点は継続である。うむ。実は仕事の都合で秋もほぼゲームを楽しめないのであるが、後からでも必ずペルソナシリーズのことを追いかけていこうと思っている。かつて日本のゲーム業界を引っ張っていたFFシリーズの弱体化は残念なことであるが、それにより影に隠れていたタイトルが数多く出てくるならば、それもまた乙…なのである。
(2016年8月23日)
あっそ。じゃ、別にいいよ。 |
本日、あのPS4/「ファイナルファンタジー15」の発売日が、9月30日から11月29日に延期されることが決定したのだ。
…呆れた話である。FF15と言えば、ご存じの通り「ファイナルファンタジー・ヴェルサス13」として2006年に初めて情報公開が為されたのだが、その後も開発が長引き、一時期は開発中止説なども囁かれながら、この春にやっと発売日が公開されたのである。その、大々的なイベントまで開いて「9月30日」と発表された姿には、一応のシリーズファンとして、「10年待ち続けた作品がやっと発売されるのだ」と安堵させられるものであった。
――そんな作品が、あろうことか発売1ヶ月半前になって、更に2ヶ月の延期が発表されたのである。だが、もはや俺の感想は、「悲しい」とか「怒りを感じる」とか、そういうものではない。「呆れた」なのだ。それは、「まあFF15だし所詮はこの程度か…」という意味である。7年ぶりのFFシリーズ正統続編は、俺の中でそれほど軽い存在になっているのである。いやもうFFシリーズ本当にヤバいよ。
さて。俺がこうやってFF15に不信感をいだいている理由は、別に今回の発売延期だけではない。事前公開された体験版のクオリティが、グラフィック・システムの両面で、遠くPS4のレベルに達していないからである(関連:【2016/4/18】)。
…まず。FFシリーズと言えば、映像表現が特に優れたゲームとして名を馳せているが、さすがの俺も洋ゲー全盛期の現在において、世界最高峰のグラフィックを要求することはない。だが、それにしたって、1080pも60fpsも実現できないというのはどうなのか。フルHDでくっきりヌルヌル動くどころか、900pで微妙にボヤけており、30fps維持どころかガクガクと処理落ちまでする始末である。モデリングなどに関しても、PS3の「ファイナルファンタジー13」と比べて、特に大きく進化しているということはない。ハッキリ言って、以前プレイした「メタルギアソリッドV:ザ・ファントムペイン」のほうが遙かに映像表現で優れているのだ。こんなものをFFシリーズ正統続編として出して、恥ずかしくないとでも思っているのだろうか。
――また、システム面においても。FF15のバトルシステムはアクションRPGに近いものとなっており、○ボタンを押しっぱなしにしていると勝手に攻撃を繰り出してくれるのだが、これが糸で吊された操り人形がフラフラ戦っているような感じで、見た目的にも操作性的にも全く面白くない。しかも、いま流行の「オープンワールド」をゲーム性との兼ね合いも考えずに採用してしまった結果、あっちに行って作業、こっちに行って作業、というオープンワールドの悪い面だけが目立ってしまっている。これ、多分もうスタッフも何が面白いのか分かっていないのではないだろうか。
そういうわけで。今回の延期で、俺のFF15に対する不信は頂点に達したのである。そもそも、このPS4の全盛期にPS3.5レベルの作品をドヤ顔で出してくるという時点で印象は悪かったのだが、あれだけ大々的に発表した発売日が再び延期されるとあっては堪ったものではないのだ。「納期」といった最低限の約束すら守れない人間を信頼できるはずがない。恐らく、ゲーム本編も、それ相応の出来になることであろう。
…ちなみに。【公式サイト】によると、延期の理由は「更なるクオリティアップのため」という、いつものアレである。が、2015年の「エピソード・ダスカ」から2016年春の「プラチナデモ」まで、根本的な部分はほとんど改善されていなかったというのに、今さら2ヶ月延期をしたところでいったい何が変わるというのだろうか。いい加減にしろよ。アニメとか映画とか作ってる暇があったら、ゲームをまともに作れよ!!
――やれ。これを見て、“FFシリーズのファン”の皆さまの中には、(;・∀・)「そんなに文句を言うんならお前は買うな!」と考える方も多いかもしれない。だが、こうやって俺が文句を言っている陰には、何倍・何十倍もの声なき声が居て、シリーズから去ってしまっていることだろう。根本的な問題は、「PS4の大作&FFシリーズの正統続編として満足できるクオリティに達していない」「大言壮語・発売延期を繰り返すスタッフが信頼できない」という2点である。だから、FFシリーズファンは、いま岐路に立たされているのだ。皆さまはどうする。この、粉飾された宴を共に楽しむか、それとも――?
(2016年8月23日)
400円収入があるからニートではない(迫真) |
ニート界の伝説的名言と言えば「働いたら負けかな思ってる」であるが、最近ではそこに「やるなら軍師」なる台詞が加わっているという。
…まず。この「やるなら軍師」という言葉を残したのは、上の画像の男性である。問題のシーンは、【こちらの動画】でご覧いただこう。男性(29)は、有名理系私立大学を卒業したが、就職氷河期の影響で就活に失敗し、そのまま引きこもりになってしまったという。生活を支えているのは60歳になった母親で、本人的にはインターネットで収入を得ている(アフィリエイト?)らしいが、その金額は僅かひと月で400円。取材スタッフは、「時給800円のバイトをしたほうが良いのでは?」と問うが、そこで男性は「将来のことを考えると割に合わない」と断じ、「やるなら軍師」と答えたのであった…。
――いやはや。これはもう、何と言うか、色々とヤバい。まず、ニートというと精神的に貧弱な壊れきった人間を想像するだろうが、件の男性に関してはどこにでも居そうな普通の外見を装っていながら、60歳にもなって働かない息子を4年間も養ってくれている母親に対して、「就職しろとばかり言うだけで何もしてくれない」と言い切れる根性は中々のものであるし、「軍師」という言葉がこういうところで自然に出てくるのも点数が高いであろう。
ところで。問題の男性が言っている「軍師」とは、果たして何なのだろうか?
…その言葉を聞いて皆さまが想像されるであろうは、「孔明」「韓信」と言った、横山光輝の漫画に出てくる古代中国の将軍のことであろう。彼らは、天から授かったかのような奇跡の戦術を用いて、手足のごとく人馬を操って勝利を掴んだ、伝説的な人物であった。冒頭の男性も、「やるなら軍師…アドバイサー的なこと」と言っているように、恐らくは貴人の側に仕えてその状況判断をサポートするような人を目指しているのだろう。ちなみに、ギョーカイ用語では、こういう人のことを「幕僚」と呼びます(聞いてない)。
――では。この男性は、果たして「軍師」になれるのだろうか。それは、言うまでもなく不可能である。まず、現代社会においての「軍師」と言えば、まあ自衛隊の幹部なのであろうが、4年間駐屯地から出ない戦術をいったいどこの指揮官が採用すると言うのだろうか。そもそも自衛隊の幹部と言えば、一般隊員よりも高い能力を持っていることが前提とされるわけで、取材映像で「体調が悪くて週3回しか行動できない」(?)などと言っているケッ○ング未満の出勤率の男性にはどう考えても向いていない。さらに、自衛隊の幹部候補生学校に入るには、入学年度の4月1日の時点で26歳未満(=25歳以下)でないとならないため、29歳の男性が「軍師」になるのは、幕僚長が馬に乗って3回家を訪ねてくれるくらいの離れ業が無いと不可能なのである。
しかしながら。個人的には、この引きこもりの男性には、決して少なくない同情心を覚えてしまうのだ。なにせ、「理系の有名私立大学を卒業した」という点である。俺も、一応は「理系の有名国立大学」を卒業しているが、一歩間違えたらニートになっていてもおかしくなかったからだ。というか、事実大学“卒業”最後の1年なんかは、引きこもりに近いような状況だったし…。
…やれ。世間では、いわゆる「有名大学」に合格するということに重きを置きすぎている。有名大学を卒業し、一流企業に就職すれば「勝ち組」…そういった価値観が、未だに日本国内を席巻しているのだ。だが、「有名大学に合格」「一流企業に就職」といったことは、豊かに生きるための「手段」に他ならない。「勝ち」「負け」などは、その仕事がどれだけ自分のやりたい事に合っているか、また趣味と仕事のバランスが取れているかなどと、自分だけが決められることである。そういうものを他人と比べている時点で、自分に自信が無いということに他ならないのだ。楽しいか?
そんな人生…。
――もっとも。冒頭の男性の場合は、卒業大学の学位記(卒業証書)をテレビクルーに自慢しているようなことから、未だにそういった「学歴社会」の呪縛から抜け出せていないようだ。「良い大学に入ったのに就職ができなかったのは、社会が俺の実力を分かっていないだけ」…そういう考え方である。だが、もはや世間が定めた出世のレールに乗ることだけが幸福では無いことは、誰の目にも明らかだ。冒頭の男性は、そのギャップに耐えられなかったのである。
そんなこんなで。現実には、「やるなら軍師」などという明らかな妄言を吐かず、まずは自分の手の届く範囲から始めてみるのが一番である。案外と、幸せはそういうところに転がっているものなのかもしれない。
…ところで。このテレビ放送が行われたのは2008年であるため、時間が正しく進んでいれば、冒頭の男性は37歳になっているはず。果たして、彼は軍師になれたのだろうか。それとも、防御期間を4年間から12年間に延長し、自宅を守る正体不明の球体へと変貌してしまっているのであろうか…。
(2016年8月23日)
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