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管理人の日記
狭い棚の中に入れていたのでDISCを傷付けて起動できなくした思ひ出…
未プレイの方は是非アーカイブスでどうぞ、傑作です |
今から24年前の1994年12月3日に、「プレイステーション(PS1、初代PS)」が日本で発売された。そのことを記念して、12月3日は「プレイステーションの日」とされているという。本日は、そんな初代PSの思い出について語ってみることにしよう。
…さて、初代プレイステーションは、最近では割と知られているように、元々は任天堂のスーパーファミコン(SFC)のためにソニーが開発した“周辺機器”という扱いであった。それが、いろいろあって交渉が決裂し、単独のゲームハードとして出すに至ったのである。この辺りの経過に関しては、【Wikipediaの初代PSの記事】でも詳しくまとめられているため、お暇な時に是非読んでいただきたい。
――そして、初代PSのハードとしての特徴は、皆さまご存じの通り、本格的な3D機能と大容量のCD-ROMを採用して、いわゆる「次世代機戦争」を勝ち抜き、SFC〜PS2までの日本ゲーム全盛期を築くうえで重要な役割を果たした。また、初代PSは世界にゲーム専用機という文化を広めた功績も大きく、据え置きゲーム専用機としては史上初めて1億台を販売している(SFCは約5000万台)。特にヨーロッパでは、ゲーム全般を指す言葉として、日本でいう“ファミコン”のように、“プレイステーション”という言葉が使われることもあるそうだ。例えば、目覚ましい活躍をしたサッカー選手に対して、“まるでゲームキャラクターのようだ”という意味で、「プレイステーションみたいだった」とか、そんな感じである。
ちなみに。私自身に関しては、初代PSが本格的に流行り出した頃にはまだ小学生であり、当時はプレイステーションではなくニンテンドー64のほうが欲しかったことをよく覚えている。確かに、その時の任天堂のソフト開発力は頂点であり、「スーパーマリオ64」など、歴史的傑作が数多く発売されていた。しかしながら、上の兄弟の「PSのほうがソフトが多い」という声に負け、結局のところ家族ではプレイステーションを購入することになった。まあ、結果的には、それが正解であったように思う。
さて。そんな初代PSの、ソフト面での思い出を語ってみると、やはり私は「ファイナルファンタジー8」のことは絶対に外せないのである。
…やれ、『FF8』は、初代PSでのFFシリーズの2作目として、1999年2月に発売された。前作の話題性はそのままに、ハード性能を引き出してグラフィック面を大幅パワーアップさせたほか、ゲームシステムや世界設定でも挑戦的な新要素を数多く採用した、まさに「傑作」と呼ぶべき作品である。合計15分にも渡るエンディングムービーは、大容量のCD-ROMメディアを採用していなければ、決して実現できなかっただろう。それでも、最後のDISC4は実質的にラストダンジョンとエンディングのみであり、これまでの街に一切入れないという度を超えた制限が課されていたが…。
――そして。このFF8は、当サイトの歴史においても、忘れられないものとなっている。というのも、私が初めて「やり込みプレイ」を行ったのが、このFF8なのだ。そもそも、FFシリーズのプレイ自体はSFCの『6』の時点で行っていたのだが、その際は数あるゲームの中の一つであった。私が、明確に「ファイナルファンタジー」というシリーズ作品であると意識してプレイしたのは、この『8』が初めてだ。FF8は、私のゲーム全体との付き合い方を一変させた、思い出深いタイトルなのである。まあ、リメイクは無理でも、せめてPS4へのHD化移植くらいはやってくれないかな…。
その他のソフトについても、挙げてみよう。まず、FF8の後にプレイした「ファイナルファンタジー9」も、同じく重要である。これについては、低レベルクリアー系統を中心に数多くのやり込み日誌を連載し、初期の「やり込みinFF」を支える屋台骨となった。
…また、FF以外だと、当時のソニーは日本市場に非常に力を入れており、私がプレイした中でも、アクションゲームでは「クラッシュ・バンディクー2」「3」「サルゲッチュ」、レースでは「グランツーリスモ」「2」などなど、多くの名作ソフトを発売していた。どれも、グラフィック面はもちろんとして、ゲーム内容としても3D機能を取り入れた新しい遊び方を実現していた。それらの、独創的な広告戦略も、魅力の一つである。
――その他、ソニー以外のゲームでも傑作は盛りだくさんであり、例えばカプコンからは「バイオハザード
ディレクターズカット」「バイオハザード2」「3」、コナミからは「メタルギアソリッド インテグラル」、旧ナムコからは「エースコンバット3:エレクトロスフィア」など、今なお伝説的となっているシリーズの多くが、この初代PSの時代に誕生した。意外なところとして、家庭用の「ダンスダンスレボリューション
2ndReMIX」は、当時は専用コントローラーが入手困難なほどの大ブームを引き起こしており、ここで触れたことが、その後の私とDDRとの長い付き合いの始まりとなった。その他、「風のクロノア」や「パラサイト・イヴ」など、もはや舌の根が乾く暇も無いという感じである。
そんなわけで。初代PSの時代は、私にとってゲーム全盛期の一つであったと言える。読者の皆さまにとっても、恐らくそうだろう。
…しかしながら、初代PSの最大の功績について、まだ触れてはいない。それは、今も続く「プレイステーション」ブランドの基礎を作り上げたことである。ゲームは、今も昔も面白い。だが、その歴史は決して盤石ではなく、何か一歩でも間違えれば、崩壊していてもおかしくなかった。だから、今もPS4で素晴らしいゲームが楽しめるのは、初代PSを始めとする歴代ハードが、それに関わる全ての人たちに支え続けられてきたおかげである。そしてもちろん、「それに関わる人たち」には、私たち自身も含まれている。時に暖かい声援を、時に厳しい批判を通し、これからもゲームを応援し続けようではないか。
(2018年12月3日) 4643 PV
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