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管理人の日記
今月も引き続き、日記を書きつつFF9を頑張ります。でも、物語進行と同時並行にするかも
ヤン(35)「許された…」 |
「※ただしイケメンに限る」とは、要するに、「カッコいい者は何をやっても許される」「同じ言葉であっても、美形とブサイクでは全く受け取られ方が違う」という意味のネットスラングである。用途は、「優しい人が好きです(※ただしイケメンに限る)」などと、主に美形の男に対する”やっかみ”として使われることが多い。全盛期では、「※」とまで略しても通じることがあった。
…さて。この言葉の真偽については、もちろん、口で「見た目は気にしない」と言ったり、実際にさして気にしていないという人もいるだろう。しかしながら、例えば就職試験の面接では、何を喋っているかはほとんど関係が無く、顔の美しさや身振り手振りと言った”見た目”でほとんどが評価されていると聞く。また、顔以外の話で言えば、誰だってブクブクのデブよりもスラッと整った体型の男女に好印象を持つし、薄汚れた服装よりも清潔感のある者に好感を覚える。残念ながら、見た目は非常に重要と認めざるを得ない。特に、「第一印象」を左右するものとしては、最重要と言えるだろう。
そして、今回の主題である、FFシリーズに話を移すと、FFシリーズは、イケメンの多いRPGとされている。
…やれ、こう書くと、”野村FF”と呼ばれるFF7以降の特徴と捉えられることが多いのだが、ではその前の”天野FF”(?)がイモっぽいキャラが多かったかというと、そんなことは決して無い。FF4もFF6も、足が異様に長く、中性的な立ち振舞いの極端な美形男女ばかりであり、昔からFFシリーズにはイケメンが多かった。FF5も、イメージイラストについては、同様である。
――まあ、私の意見を言ってみると、世の中の創作物には、「何の才能もない私が成功しちゃった!」みたいなのもあるが、私としては、ゲームなのだから、わざわざブサイクに作る必要もないと思う。ゲームの中の人物が、「僕は暗黒騎士で、薄汚れた悪の遣いなんだ…」と悩んでみたところで、「でもお前イケメンじゃん」などとやっかみを浴びせることも無い。ゲームなのだから、格好良い、またはかわいければ、それで良いのである。
というわけで。FFシリーズは、美形が非常に多い。しかしながら、それはあくまで、わざわざブサイクを書く必要が無いという理由からであり、「※ただしイケメンに限る」のように、ブサイクが差別されているわけではない…と思っていた。しかし私は、FFシリーズ内でも、「※ただしイケメンに限る」が行われている状況を見つけてしまったのである。
…では、ここで、冒頭の画像を見ていただきたい。これは、2007年に発売された「DS版FF4」の、オープニングムービーから取った画像である(【YouTube】。ただしPC版)。内容は、主人公たち一行が、美しい緑の谷を見つめている…という感じのシーンであるが、パーティがこの組み合わせで旅をする状況は無いため、”イメージ映像”的なものと言える。
――しかしながら、ちょっと待っていただきたい。FF4の仲間キャラクターは、12人のはずである(同一人物の別バージョンを複数人に数えない)。だが、画像には、どうみても9人しか居ない。映っているのは、最終メンバーの5名に加え、ヤン・ギルバート・パロム&ポロムの4名である。逆に、除かれた3名は、シド・テラ・フースーヤとなっている。まあ、フースーヤは、加入時期や物語との関わり方から、この手の画像に登場できないというのは分かる。しかし、シドやテラについては、出さない理由が分からない。やっぱりジジイだからだろうか。そして、ヤン(35)はイケメンという扱いのようだ。
ちなみに、2007年のDS版オープニングムービー全体を見てみても、シド・テラ・フースーヤの3名は全く登場せず、そもそも3Dモデルが作られなかったようだ。かくして、FF4は、「※ただしイケメンに限る」ということで、物理的に登場自体を制限してしまったのである。
ちなみに。その後、シリーズ内続編である「FF4
ジ・アフター」でも、2011年のPSP版の際に、美麗なオープニングムービーが追加された(【YouTube】。こちらもPC版)。そこでも、最後のほうで、主要人物11名がラスダン?
を見つめるシーンが存在する。
…のだが、登場する面々は、FF4からはセシル・ローザ・リディア・エッジ、ギルバートにヤンである。これらのメンツは、原作時点で大人のため、既に年齢的に40前後のはずであり、FFシリーズの主要年齢層からすれば、ジジイまたはババアと言われてもおかしくない。特に、リディアなどは、時間の進行が速い場所に住んでいるであろうため、「見た目は20代後半ですが実際は1700歳です」とかでもおかしくない。しかし、それらのご隠居たちは、加齢によって衰えるどころか、原作以上の美形に描かれており、イケメン無罪として許されている。また、完全新キャラor実質的な新キャラからの登場では、大人パロム&大人ポロムに、セオドア・レオノーラ・アーシュラが選択されている。初代では”おませな女の子”だったポロムが衝撃的な大学デビューを遂げたということを除いて、明らかに美形のキャラクターたちが優先されていると言える。
――逆に、選出されなかった方々としては、まあオープニングムービーということで、ネタバレに関わる人たち(某2名)は集合シーンに出られないとしよう。それにしても、またしてもシドが出演できていない。そして、エッジ編の忍者4人集や、FFシリーズでは唯一かもしれないオバちゃんキャラのハル、ラブコメ要員のルカと人形2名が出演見送りとなった。また、一時的な味方キャラクターとしては、またしてもフースーヤが見送りとなっている。まあ、正直、この辺りは出しても仕方ないという感じがするのだが、またしても、ムービーに登壇できるのは「※ただしイケメンに限る」となってしまったのだ。
なぜ『13』の6人と『13-2』組という分け方にしなかったのかは永遠の謎 |
では、もう一つだけ、FFシリーズから、イケメンに限ってしまった例を挙げてみよう。それは、あのライトニングリターンズのエンディングである。
…まず、初代FF13には、戦闘メンバーとして、6人のキャラクターが登場する。これらの物語上での扱いは、物語の前半部が「仲間同士のぶつかり合い」をテーマとしていたためか、どの人物にも深く掘り下げが為されており、上々である。また、バトル面での性能としても、6人全員に出番があるという調整であり、極端な不遇キャラが居ることは無いうえ、最後まで育てても個性が残されており、戦闘バランスは非常に良好であった。
しかしながら。シリーズ最終作の『ライトニングリターンズ』では、そのうちの1人であるおっさんキャラのサッズに、まるで頭の上のアフロのように、暗雲が立ち込める。まず、作中シナリオでの扱いが、カイアス編のおまけという程度であり、不遇である。他の、”主要人物”と言えるようなキャラクターには、敵味方としての戦闘シーンや、物語上の大きな見せ場があっただけに、サッズについては残念な感じと言わざるを得ない。
…そして、今では伝説となったエンディングにおいては、苦戦するライトニングの元に、かつての仲間たちがそれぞれの召喚獣とともに駆けつける…という、今では少年漫画でもやらないようなド王道のシーンが流れるのであるが、何故かブリュンヒルデを従えているのは『13-2』からの新顔であるノエルとなっている。ノエルとブリュンヒルデには、あらゆる面で何の関わりも無く、どういう意図でこの組み合わせになったのかはサッパリだ。
――では、サッズはどうなったのかと言うと、その1分ほど後に、行方不明(のような状況)になっていたセラを連れて登場する。忘れられていないだけマシであり、逆に言うと、特殊な立ち位置で活躍しており、優遇という見方もできなくはない。ただ、「召喚獣と共に戦うのが『13』の6人」「セラを連れてくるのがノエル」とすれば、13組&13-2組ということで、それぞれの作品を綺麗にまとめられていた。FF13シリーズの物語は、最終作で何とか解決できたが、このサッズの扱いについては、現在も残る最大の謎となっている。やっぱ、戦闘シーンをイケメンに任せたかったのか…?
タイクーン王は四戦士では無かったりするのだ… |
さて。ここからは逆に、イケメンに限らなかった例を挙げてみることにしよう。それは、FF5の「暁の四戦士」である。
…まず、FF5は、前後の作品と異なり、比較的イケメンオーラの薄い作品であるとされている。メニュー画面に表示されているのは、キャラクターのイラストではなくドット絵であり、ストーリー要素もFF4やFF6と比べて薄めである。最終的なバトルメンバーは、いわゆる”無個性系主人公”のバッツに対して女3人という、FFシリーズでは稀に見るハーレムパーティとなるが、恋愛イベントは影も形も無い。
――しかしながら、後年の移植版、とりわけスマートフォンアプリ版では、作中のキャラクターイラストとして”天野絵”を表示するという暴挙をやらかした。天野絵は、あくまでもイメージイラストであり、実際にゲーム中で表示されているグラフィックとは、当時としても印象が大幅に異なっていた。特に、FF5においては、原作が常にドット絵での表現を行っていたため、違和感が大きい。GBAでも、この顔グラフィックに関しての批判はあったが、スマホ版については、高解像度で天野絵風の顔を表示してくれるため、作品の雰囲気と比べ、壮絶にミスマッチな感じとなってしまっている。
しかし、ここに笑いの神が舞い降りた! FF5では、「暁の四戦士」という、一言で説明すると、”主人公たちの以前に世界を救っていた4人組”が力を化してくれる。どうも、彼らの戦いからFF5の物語が始まるまでには、30年という時間が経っているため、四戦士は全員60歳前後の立派なジジイである。それが、とてつもなく暑苦しいグラフィックで大暴れするため、原作よりも一気に存在感が増したのだ。
…やれ、FF5の旧スマホ版は、天野絵風の顔グラフィックに加えて、ドット絵の出来も悪く、あまり好意的に受け止められていなかった。せいぜい、細かい変更点が大量にあるため、それがやり込み派プレイヤーに受けていたというくらいだろうか(なお、現在では某”ピ版”のために配信停止となった…)。ただ、ジジイたちの猛烈な熱量については、原作を遥かに凌駕していると言えるだろう。ドルガンとガラフとか、同じキャラの1カメと2カメだろ…。
――ちなみに。上の画像に登場するキャラのうち、タイクーン王については、「暁の四戦士」ではないのだが、しれっとラスト付近のシーンでは同列として登場している。また、オープニングで彼が発する「風の様子が変なのだ…」は、何と言うことの無いセリフだったのだが、スマホ版の変な顔グラフィックにより、今ではカルト的な人気を誇るようになった。この画像が貼られると、「お前の顔が変なのだ…」などと返されるのが恒例となっている。
ということで、FF4のオープニングムービーと、ライトニングリターンズのラストシーンでは、「※ただしイケメンに限る」であったが、FF5のスマホアプリ版では、「※イケメンに限らない」という結果となった。見た目は重要であるが、必ずしも正統派の美形のみが求められているというわけではないのだ。皆さまも、バイザーと羽と触角を付けて、「俺の様子が変なのだ…」などと喋ってみたりすると、大人気になれる…かもしれない。
(2021年10月4日) 4520 PV
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