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管理人の日記ログ
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先日の文章(【2016/7/23】)を書いた時点でこうなる気がしてたよ… |
悲報である。俺が、去年春から使っていたスマートフォン(携帯電話)の「Xperia Z3 Compact(docomo/SIMフリー版)」が壊れたのだ。というか、壊した。本日は、その経緯と、そこから垣間見えた「スマートフォン」という道具自体の限界について語ってみることにしよう。
…まず、事が起きたのは今週月曜日である。夜半、ふと目が覚めてた俺は、おもむろにトイレへと足を進めた。悲劇はそこで起こったのである。左手に持っていた携帯電話が、するりと滑り落ち、洋式トイレの水の中へと落下してしまったのである。寝ぼけていた俺は、バックライトの光がぐるぐるとウォータースライダーのように落ちていくのを見て、一瞬何が何だか分わからなかったが、すぐさま状況を理解し、慌てて水の中から拾い上げた。もっとも、この時点では正常に稼働をしていたし、そもそも俺はXperiaを「完全防水」だと聞いていたので、数秒程度の水没では何ら問題はないと思っていた。軽くウェットティッシュで拭き取って、その時はそれで終わりにしたのだ。
――が。その後、寝室に戻ると、スマートフォンの電源が付かないことに気付いたのである。焦って電源ボタンを長押ししてみたりしたが、もはや画面は何の反応も示さない。それどころか、本体が手に持っていられないほどの発熱をし、しかもジュワジュワと不穏な音が内部から聞こえるのである。さすがの俺もこれは16式自爆専用手榴弾になるのではないかというヤバさを強く感じ、体から遠い所に離して放置しておくことにした。そして朝、発熱自体は完全に冷めてはいたのだが、もはや充電ケーブルを繋いでも何の反応も示さない。それで、俺のXperiaは完全に終わりとなってしまったのである。
ということで。初の格安スマホとして色々と調べごとを行い、様々な思惑の元に導入されたXperiaは、僅か1年半で玉砕をしてしまったのだ。
…まったく。俺としては、確かにトイレに落としてしまったのは自分のせいなのであるが、「完全防水」を名乗るのだから、日常で起こりうる水没事案ぐらいには耐えてほしかったものである。それが、まさしく「日常で起こりうる水没事案」で粉砕されてしまったのだから、もはや俺としては絶句するしかなかったのだ。この程度で、「防水」を名乗る機械が壊れてしまうものなのか。「防水」とは、果たして何だったのか。
――ちなみに。その後の俺の生活における支障としては、携帯電話によるインターネットや通話機能が使えなくなったのはもちろんなのであるが、その他にも「音楽プレイヤー」が全く利用できなくなったり、携帯電話のアラーム機能を「目覚まし時計」として使っていたため決まった時間に起きることが極めて困難になったり、写真機能を「メモ帳」として用いていたために電車やバスの時刻表が分からなくなってしまったり、その他にも「電子会員証」関連のサービスが全て不省になってしまったりした。俺の生活は、こんな少し水没させただけで壊れてしまうような機械に、こんなにも依存をしていたのである。その脆さたるや、もはや“薄氷”どころではない、水面そのものだ。そんなことは百も承知だったのに、「自分のだけはきっと壊れない」という根拠のない妄信のもと生活をしていたのだ。こうなることは、きっと必然だったのである。
というわけで。今回の件は、俺の「スマートフォン」という機器に対する信頼を大幅に失落させる結果になった。特に、「ソニー製品」というブランドを信じて購入した「Xperia」への失望は凄まじいものである。俺は、「プレイステーション」を始めとして、「VAIO」「BRAVIA」など、ソニーの製品を数多く愛用していたため、このソニーが発売するスマートフォンである「Xperia」も好きになれるものだと信じていた。だが、それは先日も書いた通り、機能的にも特に満足できるものではなかったし、そこにきて今回の故障事案である。俺の本格的ソニー信者への道は、ここで途絶してしまったのだ。もっとも、俺は良いものは評価するし、そうでないものにはそれ相応の扱いとなるから、これはある意味で当然の結果なのかもしれない。
…ちなみに、俺の携帯電話の後継品であるが、さすがにこれで電話機自体を持たないというのは冒険的すぎるため、現段階ではiPhone5〜5S程度のSIMフリー中古本体を検討している。これには3つの理由があって、「@そもそも個人的にAndroidよりもiPhoneのほうが使いやすいと思うこと」「ASIMフリー版iPhoneは最近になってやっと一般化してきたこと」「B値段の極めて高いiPhone6シリーズに対して5シリーズはバランスが取れていること」などが挙げられる。俺が、2013年の初就職時に購入したiPhone5は、確かに2年できっかり壊れるというAp○leタイマーを遺憾なく発揮してくれたし、S○ftbank社の“基本無料”(笑)に代表される搾取体制には酷くウンザリさせられたものであったが、その性能自体は満足の行くものであった。だからこそ、俺は今期において、中古SIMフリー版のiPhoneに復帰をしようと考えているのである。
――まったく。世の中では、「携帯電話が全ての機器を過去にする」といった感じで、スマートフォンがあらゆる道具を代用するかのように喧伝されてきた時期があった。だが、これは明らかな誤りで、俺は今回の件で、こんな少し水中に落としただけで壊れてしまうような機器一つに生活を預けてしまうことがどれだけ危険かということを強く認識したのである。やれ、未だに旧態依然な「音楽プレイヤー」や「目覚まし時計」などが残されているのには、ちゃんとした理由があったのだ。一つの優れたものが全てを支配するなどとんでもない。世の中は、多様性があるからこそ面白いのである。
(2016年7月30日)
わかりました(解決策を出すとは言っていない) |
俺は現在、スマートフォン(携帯電話)として、ソニーの「XperiaZ3 Comapct(docomo/SIMフリー版)」を使用しているのであるが、そこにプリインストールされている「しゃべってコンシェル」が凄く邪魔なのである。
…というのも。「しゃべってコンシェル」は、iPhoneシリーズに搭載されている「Siri」に対抗して作られた(?)、音声によって操作できるナビゲーションアプリである。もちろん、これはこれで使い道があるものであるし、まだまだ未来に大きな進歩の余地を残したソフトウェアなのであるが、問題はこれが勝手に起動するということなのだ。現状の設定では、画面下のホームボタンを押してスライドさせるだけで強制的にこのソフトが起動されて「何について調べますか?」などと勝手に発言されてしまうため、ポケットに入れて駆け足をしたり自転車に乗っているだけで誤起動が頻繁に起こってしまい、音声を使用するアプリということで強制的にWalkmanの音楽再生まで停止されてしまうため、迷惑極まりないというものである。(;・∀・)「アンインストールすれば?」と思う方も多いだろう。だが、削除をしても、Androidをアップデートするたびに勝手に追加されてしまうのであるよ!!!!
――しかもである。初期設定のXperiaでは、驚くべきことに、この糞羊がホーム画面上を好き勝手に歩き回っていたのだ。もちろん、それは即座にOFFにしたのだが、この羊くん、声でナビゲートをするアプリということで相当なイケボなのであるが、所詮はただの羊である。もしこれが、ネットハイのナビ子ちゃんみたいな美少女だったとしたら、誰も文句を言う者は居なかったであろうが…。
そんなこんなで、俺の携帯電話であるXperiaの使用は、中々に難航しているというものなのである。
…というのも、皆さま勘違いされている方も多いと思うが、俺は別に一意的なソニー信者というわけではない。「プレイステーション」や「VAIO」「BRAVIA」に関しては、それが価格と性能のバランスにおいて信頼できる物だったからこそ、これまで愛用してきたのだ。その観点から言って、「Xperia」シリーズは、そこまで尊敬するべきだとも思えない。確かに、中古本体の価格(約4万円)に対して、満足できる性能を誇ったスマートフォンではあると思うのだが、AndroidOSならではの際立ったメリットを醸し出しているとは思えないし、そもそも俺は“スマートフォン”に対して「電話」以外の何の機能も期待してはいない。よく、俺が最も愛するゲーム文化について、「スマートフォンは次世代ゲーム機!」などという意見を耳にするが、所詮はスマホなど単なる電話機である。いくら正面性能で優勢だったところで、その決勝点の一つである「操作性」において、携帯電話はゲーム専用機に遥か及んでいないのだ。電話機など、特に不満なく操作できれば良い。俺が本気で求めているのは、「技術と文化が融合したゲーム専用機」ただ一つなのである。
――というわけで。いま現在「Xperia」を使っている俺は、次の世代においては、何を使おうか悩んでいる次第なのである。これは、俺がゲーム業界において「プレイステーション」シリーズに心酔していることや、もし関連機器を新しくするならば、次も「VAIO」「BRAVIA」シリーズの作品を購入しようと思っていることとは、まさしく一線を画している。やれ、俺がiPhoneからAndroidへの移籍を決めたのは、初めてスマホを購入した「iPhone5」がピッタリ2年で壊れるという見事なタイマー機能を発揮してくれたからであり、当時の最新ハードであった「iPhone6」がまさかの片手に収まらないサイズ&本体価格10万円という大迷走をやらかしてくれたことも拍車を掛けた。だが、この実情を鑑みるに、別にiPhoneがAndroidに対して特に劣っているということは無さそうで、むしろ各種基本システムやアプリケーションの動作などを考えるに、むしろiPhoneのほうが優れているかのようにすら思えてしまうのである。やれ、ネックであった「本体サイズ」の問題も解決され、「白ロム本体のiPhone」も着々と普及してきたことであるし、今の本体が壊れたら次はまたiPhoneのほうに復帰をしようかな…。
やれ。俺がこのような感情をいだいている理由として、最も大きいのが、「スマートフォンなど所詮は電話機」というもである。
…まったく。いくら携帯電話本体の性能が進化しようと、「操作性」という物理的な問題は、決して解決できるものではない。そして、一つの本体に機能を集約しようとすればするほど、その値段は凄まじい勢いで肥大化し、どんどんと取り回しが悪くなってしまう。だから、旧世代的な「専用機」の存在も、決して悪いものではないのだ。この、「ゲーム専用機」という沈み行く存在は、そのことを俺に教えてくれたのである。
――しっかしまあ。今回テーマとなった「Xperia」シリーズは、ソニー系列の商品のくせに、せっかくプレイステーションが出した黒字をせっせと謎空間に葬ってくれているということで、ゲーマーとしての印象はあまりよろしいものではない。しかも、「3大キャリア」と呼ばれるd○c○m○・a○・s○ftbankといった高価すぎる通信企業に協力していることは、まるで植民地支配の先兵として活躍することを誇りに思っているかのようで、「悪い意味での大企業らしさ」という俺の認識を更に固定化するに至っている。皆さま、再度よく考えてほしいのだ。スマートフォンなど、所詮は単なる「電話機」である。果たして、2年でスクラップになる本体に10万円を払い、月5000〜10000円という家計を著しく圧迫する値段を払う価値があるというものだろうか。いいや、多くの人は、この愚かな携帯電話の性能競争に呆れ、3大宗主国の支配にも嫌悪感を覚えていることだろう。「お前を消す方法」を探しているのは、きっと俺だけではないはずである。
(2016年7月30日)
今のところPSvitaで一番好きなゲームです |
朗報である。あのPSvita/「ネットハイ」が、夏休み限定(〜8月31日)で半額セールの対象になるという。これにより、DL版の販売価格は2689円、そしてPlus民の皆さまならば更に10%引きが為され、2151円という破格中の破格の価格設定となっている。これを機に、未プレイの方には、是非とも「ネットハイ」を遊んでほしいものなのだ。
…まず、基本情報からおさらいをしていこう。「ネットハイ」は、ネット世界を舞台にした討論バトルのゲームであり、システム的には「逆転裁判」によく似たものが採用されている。しかしながら、その内容の特異さや、シナリオの秀逸さ、PSvitaの性能を活かした美麗グラフィック、そして出演声優さんたちの名演などから、決して単なる模倣作と切り捨てることはできない。特に、当サイト読者の皆さまのような「ネット世界を愛する方々」には、是非ともプレイしていただきたい一品となっているのだ。
――ちなみに。皆さまご存知の通り、当サイトでは昨年12月(【2015/12/27】)と今年2月(【2016/2/8】)に、既に2回に渡って「ネットハイ」に関する記事を書いている。というわけで、今回は3回目の紹介記事となるのだが、このことはそれだけ俺が「ネットハイ」というゲームを世に広めたいと思っているからなのだと判断してほしい。俺にしてみれば、初プレイから半年以上が経ち、生活環境が大幅に変わった今なお、PSvitaで一番思い出に残っているゲームとなっているのである。そして、僅かな時間を縫ってでも、3週目のプレイを少しずつ進めていきたい…そういう、意義深い作品になっているのだ。このまま電子の海に埋もれさせてしまうのは、あまりに惜しいものなのである。
では、そんな「ネットハイ」の最大の魅力とは何なのか。それは、少年漫画のような王道で清々しいシナリオ展開なのである。
…というのも。本作のメインテーマは、「リア充を爆発させて炎上させる」というものである。だが、こういう作品は、一歩間違えれば「成功者たちの揚げ足をとって引き摺り下ろし罵倒する」という“痛快”を履き違えた内容になったり、ネットネタを散りばめただけの薄ら寒い展開になってしまいがちである。しかしながら、この「ネットハイ」では、登場するリア充はすべて人間らしい“弱さ”を抱えており、物語はその弱さを認めたうえで本当の自分を取り戻そうという形で進行をしていく。そういった「痛快」ならぬ「爽快」なシナリオ展開こそが、この物語の最大の魅力であることは、プレイした全員が認めるであろうまず間違いの無いことなのである。そしてその後の物語は、「リア充を爆発させる」と言った軽薄なテーマとは裏腹に、いじめ問題・薬物汚染・全体主義・科学技術による人類の進歩といった壮大なテーマにまでも足を進めていく。こういう社会派なところも、「ネットハイ」の魅力の一つなのである。
――やれ。俺に関して言えば、この「ネットハイ」をただのウケ狙いのゲームだと敬遠していたのも今は昔、体験版のプレイ後はその世界観に完全に魅了をされ、即座に製品版を購入してしまった。そしてそれだけでは終わらず、その後も忙しい中で2週目・3週目とプレイを重ね、3月に発売されたサウンドトラックの楽曲も、携帯電話に入れて今でも毎日のように楽しんでいる。俺が、これだけ単一のゲーム作品にハマりこんだのは、あのPS3/「ファイナルファンタジー13」以来、初めてと言っても良い。それだけの、歴史的な影響力を持ったタイトルだったのだ。
そんなこんなで。俺は、夏休みの半額セール、Plus民なら60%引きという驚きの価格設定のうちに、この「ネットハイ」を是非楽しんでほしいと思うのである。
…まったく。皆さまに関しては、特に難しいことを考えられる必要は無いというものであろう。こういう、骨董品のようなページを楽しんで読んでおられる以上、皆さまがそもそも「ネット世界」という文化が好きであろうということはまず間違いないのだ。それならば、この「ネットハイ」という作品が楽しめることは、ほぼ確実と言って良いだろう。なあに、2000円台という価格で、プレイ時間も20時間程度というものであれば、10巻くらいで完結した漫画本の一気読みか1クールのアニメを一気視聴するかのような気持ちで行けるはずである。心配ならば、ゲーム冒頭の1章がほぼ全て楽しめる体験版からプレイし始めていただければ良いだろう。
――やれ。俺は、この「ネットハイ」という作品を、どうも他人事のように感じないのである。それはきっと、このゲームが、俺のようなインターネットと共に育ってきた世代を、直接にヘッドショットするものだったからに他ならない。これだけ俺が楽しんでいる作品を、俺だけで独り占めしてしまうというのは実に勿体が無い。是非、ぜひぜひ、このひと夏の半額セールのうちに、「ネットハイ」を皆さまにも楽しんでほしいのだ。なあに、この価格ならば、買っても絶対に損はしませんよ。
(2016年7月30日)
(アタン) |
今週日曜日には、いよいよ3年振りの参議院選挙が行われる。方式は、計242議席のうち半分の121が改選され、内訳は「各県ごとのブロック:73」「全国比例代表:48」の割り当てとなっている。県のブロックに関しては、1人のみが選出される“小選挙区制”のほか、2人以上が当選する“中選挙区制”が採用されている都道府県があるため、お住まいの地方の状況をよく確認しておいてほしい。一方の比例代表に関しては、全国ブロックのみである。「いやこれくらい常識だろ」と思われるかもしれないけど、あまりにも選挙に興味が無さすぎてさあ…。
…さて、参議院に関しては、当選議員の任期は6年であり、解散が無いため、今回当選した議員は2022年まで国会に居直ることになる。また山○太郎みたいなマジ○チを当選させてしまったり、はたまた「本当に離脱するとは思わなかった。選挙をやり直したい」と発言するなどという帝国的恥さらしを世界に呈してしまっては困るため、皆さまに関してはよく考えて投票されるようお願いしたい。
――やれ、選挙権とは、我々が政府に対抗するために与えられた、1発限りの弾丸である。それは、この世界の歴史を鑑みてみれば、決して無償で提供されてきたような権利ではない。だからこそ我々は、この国のどこに本当の敵が居るかを見つけ出し、適格な射撃を行わなければならないのである。確かに、たった1発では、戦闘の大勢を変えるようなことはできないかもしれない。だからと言って、敵を見つけて撃たない奴が、どこに居るというのだろうか。戦う意思がない者は、奴隷にされても文句は言えない。だからこそ俺は、男らしく自分の会社の給料を上げてくれるところに入れたよ!
と。まあ、真面目な話(?)はこれくらいにしておいて、今回のポイントは、なんと「支持政党なし」という政党が登場してしまったことである。どういう…ことだ…??
…というのも。どうもこの「支持政党なし」には政策が一切存在せず、全ての法案ごとにインターネットでユーザー投票を行い、その賛否の割合に応じて議員が票を投じるのだという。いわゆる、「@国民が議員に投票し」「A議員が法案に投票する」という“間接民主制”への挑戦ともみられるような面白い試みであるが、恐らく面白いだけに終わることだろう。
――まったく。それについては、国民の大多数が「『支持政党なし』と書かれた票を自党のものにしたいだけ」という認識を持っているだろうし、たぶんその狙いは多分にあるのだと思われる。そもそも、責任ある政治のプロを選ぶための選挙なのに、「責任は皆さまにあります!」というのは、ただ単に逃げているだけにも思えてしまうのだ。さらに言うのであれば、この党が何らかの不正をしたところで、それを監査する組織が一切存在しないため、当選後は好き勝手にやられてしまう可能性もある。惜しかったな。せめて「支持聖党なし」にしておけば、FF13ファンの注目を集めるくらいはできたのだろうが…。
さて、そんなわけであるが、未だに投票に足が進まないという若い方も多いであろう。そこで、俺はこう考えてほしいのだ。これは、国の未来をテーマとしたお祭りなのであると。
…というのも。隣国アメリカでは、ご存じの通り大統領選挙を巡って、1年以上も前から討論が繰り返されている。その、アメリカらしいド派手な演出は、まさしく一種のショーを見ているかのようだ。選挙に関する考え方など、これで良いのである。日本人は「他の人はみな飛び込みましたよ」で知られるように、全体主義的なところがあり、他と違うことを極端に嫌う傾向がある。だが、それでは少数意見の反映など行われるわけがないし、そういう旧態依然の堅苦しいところこそが、10代〜20代の若者たちから政治が敬遠されている最大の理由なのである。選挙など、ぶっちゃけノリで行けば良いのだ。それはもちろん、しっかり考えて投票した人からは有り得ないところもあるだろうが、だからと言って投票をしていない者から非難されるいわれは絶対に無いのである。
――というわけで。俺の願いとしては、「皆が自由に聖治について議論をし、自分の支持する聖党に投票できる社会」というものである。それはもちろん、社会システムとしてはとっくの昔に構築されているのだが、残念ながら我々自身の心がそこまで成熟していない。特に、今回からはいわゆる“18歳選挙”が始まることになる。その昔、西洋の偉い人は「老人を見ればその国の文化の状況が分かる」と言い放ったらしいが、俺の意見は真逆である。いま現在のこの国においては、「若者(新参者)を見れば文化の状況が分かる」のである。そう考えれば、決してこの国の選挙に関する状況は良いとは言えない。とりあえずまあ、この機会にノリで投票してみるところから始めてみようではないか。自分のことしか考えない。それで、大いに結構である。
(2016年7月30日)
Surfaceとは何だったのか… |
先日、ふらりとVAIO株式会社のサイトを見ていて愕然とした。なんと、同社の宣伝記事である「VAIO Z:使用事例レポート」に、日本マイクロソフトの社員が登場していたのである(【記事】)!
…というのも。ご存じの通り、「VAIO」は元々ソニーのブランドであり、現在はそこから独立して主に高価格帯のノートPCを発売している。一方のマイクロソフトも、近年では「Surface」というタブレットにもノートにもなるハイブリッドPCを発売している。両者は、共に高性能な先鋭モバイルPCとして、ライバル扱いされることも多い。ゲーム業界と同じく、パソコン業界でもソニーとマイクロソフトは火花を散らしているということだ。
――が。あろうことか、今回の件では、その総本山であるVAIOのサイトにて、日本マイクロソフトの社員が「VAIOは良いですよ^^」と宣伝を行っているわけである。これはもちろん、登場をされている「溝口宗太郎」氏の独断ではなく、マイクロソフト本体に許可を取ったうえでのことであろう。確かに、俺も愛用しているVAIOブランドのPCは素晴らしいものであり、マイクロソフト側としても、WindowsPCを発売しているメーカーはライバルではなくパートナーだという考え方もあるかもしれない。それをもってしても、直接的な敵対関係にあるマイクロソフトの社員が、ソニー側の提灯記事に加担をするという事態は、まさしく異様としか言いようが無いのである。
では、どうしてこのような事態になってしまったのだろうか。考えられるのは、「マイクロソフトのSurfaceへの諦めと自虐」である。
…というのも。ご存知の通り、管理人である俺自身も、かつてマイクロソフトの「Surface
Pro2」を使っていたことがあったのだが、そのあまりの品質の悪さにより、「商品失格レベルの史上最低クソPC」という、もはや罵倒にも近いような評価を下したものだった(【2015/2/18】)。そうして、「Suface
Pro2」は、約15万円という高価格帯のPCにも関わらず、僅か1年未満でメインPCの座から脱落してしまった。
――なお、その後の俺は、プレイステーションシリーズでお世話になっていたこともあり、ソニー系列であるVAIO社の「VAIO
Pro13(2014)」を購入し(【2015/4/10】)、今でもそれを愛用している。価格は20万円と決して安くはなかったが、それに恥じない高パフォーマンスを発揮し、今なお色褪せない“相棒”として活躍をしてくれている。だからこそ、俺はPCを購入する際には、今後ともVAIO社のハイエンドモデルを買い続けようと心に決めたのだ。人と企業との信頼関係とは、案外そういうものである。非リアの社会人ゲーマーは、金が余っているからこそ、そういうところにこだわってしまうものなのさ…。
さて。このように、今回はマイクロソフト社員がライバル企業であるはずのソニーのパソコンを宣伝するという驚異の事態に陥ったのであるが、果たしてこれは本当に良いものなのであろうか。もちろん、俺はそうは思わないのである。
…まったく。米マイクロソフトは、ゲーム戦争におけるソニーハードへの大敗(【2016/6/5】)や、ネットワーク業界でのアップル社との激しい争いから、一時期の覇権からは思いもよらぬような苦戦を強いられつつある。そういう状況において、マイクロソフト社内においても、いわゆる「自虐」の精神が生まれつつあるのであろう。つまり、相手が強力すぎただけであって、それに挑んだ自分たち自身が間違いであったという考え方である。
――だが。そういうものは、俺は尊敬しないというものである。あのアメリカ企業が、自分のことを反省して縮こまるなど、全く見たくもないというものなのだ。自分たちのやったことを尊敬できない者が、いったいどうして他者を尊重できるというものなのだろうか。どんな戦いにも”負け方”というものがある。いくら「Surface」が失敗だからといって、表立ってそれを認めるようなことは控えてほしいのだ。それは、かつて「Surface」を信じて購入した者たちに対する、せめてもの信義だと思うのである。
そんなこんなで。かつて世界を掌握下に収めていたマイクロソフトは、今やゲーム業界ではソニーに主力艦隊を轟沈させられ、他戦線でもアップルとの激しい消耗戦により、大きく力を削られてしまった。だが、それで単なる自虐主義に陥ってしまっては、あのアメリカの企業らしくない。図々しいくらいに自分たちが正義だと信じ、それを強引に他者へと押し付けてくる。そういう横暴さこそが、”アメリカらしさ”というものではないか。
――というわけで。確かに「Surface」は失敗ではあったかもしれないが、あろうことかそれを社員自体が堂々と公言するようなことは、俺は控えてほしいと思うものなのである。かつて戦った敵が弱かったと認めるということは、すなわち自分も弱くなることに他ならない。悪役として、敵として。マイクロソフトには、矜持を持ってほしいのだ。負けた者にも正義はある。逆に、負けそうになった瞬間から自分の過ちを認め出すということは、それはそもそも最初から自分たちに儀が無いのだと認識していたということなのかな…?
(2016年7月30日)
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