. . |
管理人の日記ログ
2023年2月の記事を 更新が新しい順に 全て表示しています。
古い順に表示する
くさ(草じゃなくて臭) |
厳しい冬が続く。そんな中、私の部屋の中は、笑えないくらいジメジメとなっており、壁紙の一部にカビまで生えてきた始末だ。そしてカビは、ただ汚いだけでなく、ひょっとすると、慢性的な体調不良にも関係あるのかなと思って、対策に本腰を入れ始めることにしたのである。
…まず、私は、この冬の寒さが本格化する前に、徹底的な防寒対策を行った。窓には、流行りのプチプチを、窓としての機能を損なわないレベルで張りまくった。あちこちに有った”隙間風の出どころ”は、100円ショップで売っている貼り付け型のスポンジテープのようなもので、封鎖をした。全く使いどころが分からないような窓は、ガムテープで封印した。そして、着用物についても、部屋の中でもジャンパー・手袋・靴下を付けるなど、強化をした。
――まあ、結局、12月中旬の寒波により、暖房封印クリアーは諦めたわけだが、それでも、今なお暖房は最低温度(16℃)での運用を心がけており、熱が逃げるのを阻止することにより、電気代も節約できていると考える。前述のような防寒対策は、決して無駄では無かったのだ。
しかしながら。それらの対策によって、我が家には、湿気という新たな敵が現れてしまった。
…というのも。まず、私が住んでいる住宅は、”典型的な安いアパート”という感じである。現在の職場に通うための場所として、そして、私の節約志向を踏まえたうえでの住環境として、これ以上の物は無いであろう。が、やはり所詮は安いアパートということで、設備自体は決して良くない。
――さて、最初に現れた問題は、風呂場である。お風呂はユニットバスであるうえ、窓が存在せず、シャワーを使用した後の湿った空気は、換気扇から捨てるしか無い。しかし、そうすると、捨てた空気のぶんだけ、必ずどこかから隙間風が入ってくる。しかも、私の家では、謎に換気扇と風呂場の電気が連動しているため、私は防寒と無駄遣い防止という観点から、この冬の風呂場の乾燥を諦めてしまっていた。むしろ逆に、風呂場の扉を開けておくことで、熱気を部屋に入れると同時に、加湿をする…なんてことすら行っていたくらいである。
だが。そういうふうに、換気扇を切るような習慣にしてから、風呂場は笑えないくらい真っ黒いカビが増殖していった。しかしながら、風呂場は、比較的、清掃が容易な空間である。よって、この時点では、私は特に問題意識を持っていなかったのだ。
しかし。12月を越えて1月・2月となり、寒さが更に厳しくなる中で、今度は、窓・玄関といった、寒さが伝わりやすい場所が、ビショビショになりだした。おそらく、私の住んでいるアパートは、建物全体での防寒とか、そういうことを考えていない時代に建てられたのであろう。部屋を密閉してしまったことにより、玄関の扉には、内外で極端な温度差が生まれてしまって、常に水で濡れている。ちょっとした洞窟のような雰囲気である。その隣にあるキッチンでも、壁のタイルが濡れており、そのせいで、水切りをした皿は、何日経っても乾かないものだ。
…そして、最近では、それらの場所に、カビが生え始めたのである。特に、玄関近くの壁紙が酷く、ちょっとした廃屋のレベルでカビてきている。また、他の場所を述べると、同じく温度差の発生する窓側も酷く、最近、機械をいじるために少し机の裏を見てみたところ、部屋の隅からカビが始まっていた。文字通り、足元からカビてきていたのである。
さて。カビによる悪影響であるが、まずは、真っ黒であり、見た目が悪い。それを無視できるとしても、カビは住居や機械に悪影響を与えてしまう。今の住居には、まだまだ働き続ける限り住み続けたいと思っているし、愛用PCのVAIOや、ゲーム機のPS5などは、なかなか高価と言える機械である。そして、カビの繁殖に適したような湿気の場所では、物が全く乾かないという副次的な悪影響もある。洗い物や衣服などを、2日も3日も水切りしても、まだ湿気が残っているくらいである。やれ、夏季であれば、夜に洗って、次の朝にそのまま着ていけるような状況だったのだが、この乾かなさは驚異的である。
…加えて、カビは、胞子を出して、住環境の空気を汚染する。これが、今回の私が湿気対策をしようと思った、決定的な理由である。私は、慢性的に、喉の痛みや頭痛といった症状に悩まされていた。これは、某クソウイルスの後遺症だと思っていたが、ひょっとしたら、仄暗い部屋の隅から、カビが波状攻撃を仕掛けてきていたのかもしれない。さらに言うと、ここしばらくは、足の裏が水虫のような症状に悩まされていて、しかも、夏季と違って、靴を毎日取り替えたうえで、薬を塗っていっても、なかなか症状が良くならない。そういえば、水虫の原因は、”虫”ではなく、カビ菌の一種であった。私は激怒した。必ず、かの邪智暴虐のカビを除かねばならぬと決意した。
色 覚 検
査 |
さて。カビ対策の一つとして、まずは、部屋の密閉をやめるという手が考えられる。夏季のように、風呂場の換気扇をつけっぱなしにし、各所の目張りもやめて、隙間風をガンガンと入れる。代わりに、暖房もガンガンと効かせ、スポット的な温め方も兼用する。素晴らしい作戦である。光熱費が無料ならな!
――というわけで。部屋の保温はそのままに、カビ対策をする手段として、私は部屋を乾燥させるという手を考えた。当初、私は除湿機を導入する予定だったのだが、それは、お値段だいたい10000円からと高めであり、電気代や騒音といった運用面でも、あまりバランスが良いとは言えないように思われた。
そこで私は、無電源乾燥剤&空気清浄機の合わせ技を使うことにしたのだ。
…まず、無電源乾燥剤だが、これは、100円ショップなどで売っている物であり、吸湿剤として有名なシリカゲルが主成分となっている。そのうち、「B型」と呼ばれるものは、天日干しをすることによって、何度でも再利用が可能であるという。初めて知った。というわけで、私も試しに5つ買って、部屋中にてるてる坊主のように、あちこちに吊るしてみたところ、3日ほどで、吸湿状況を示すマーカーが青→赤と変化した。一方、再生についてであるが、私の部屋で、唯一乾燥していると言える”エアコンの真下”に吊るしたところ、1時間ほどで青に戻すことができた。
――そんなわけで。無電源乾燥剤については、十分に運用可能であることが分かった。よって今後は、これを30個くらい買って、部屋中のあちこちに吊るしてみることにしよう。邪悪な儀式でも始まりそうな雰囲気になるだろうが、既に、私の住処では、不可視のカビ菌が、夜な夜な百万鬼夜行を繰り返しているのだ。ちょっとくらいの見た目の悪さは、許してやってくれ。
続いて。空気清浄機については、当初は全く買う予定は無かったのだが、イ○ンに訪れた際、それなりの機種が3000円で売っているのを見かけ、私にしては珍しく、衝動買いをしてしまった。通常、10000円くらいで売っている商品のようで、それが3000円というのは、謎である。衝動買いということで、どデカい箱を自転車で持ち帰るのに、なかなか苦労をした…。
――さて、その内容はと言うと、ごく普通の空気清浄機である。私は、部屋の空気の綺麗さを定量的に図れるような装置を持っておらず、「チリを上から流したら、フィルターに引っかかった」くらいの点検しかできない。ただ、ネットで調べてみても、そこまで評判が悪い装置というわけではなく、3000円以上の活躍は期待できると思う。謎に、操作ボタンがタッチパネル(家の中で固定して一定の用途にしか使わない機械であり、明らかに物理ボタンのほうが使いやすい)だったり、「マイナスイオン」(?)の項目があったりと、フフッっとなってしまうところもあるのだが、今後、カビの胞子や、この先に攻撃を仕掛けてくるスギ花粉に直接的な対抗ができる手段として、是非とも働き続けてほしいところだ。
その他。私が、職場のシャワー室を使っているのは、主たる理由は、(自分が払う)ガス代および水道代の節約であるが、部屋の湿気を防ぎたいという意味合いもある。まあ、当初は、ただ単に「風呂場がカビるのを防ぎたい」というくらいの理由だった。ただ、住環境の都合上、風呂場がリビングの隣にあると言っても過言ではないため、家全体の防湿という意味でも、職場のシャワー活用は、大きな意味合いを持っているだろう。
カビちひろになりそう… |
そういうわけで。私は、無電源乾燥剤&空気清浄機を使って、カビ対策を始めた。もちろん、これはただのスタート地点であり、今後は乾燥剤の数を増やしてゴリ押しを進めるとともに、壁紙にも使えるカビキラー的薬剤を購入し、根本からカビを撃退してしまいたい。
…やれ、これまで、私は、自分の住環境を維持する手段として、虫対策ばかりを考えていた。実際、それは功を奏し、古いアパートにも関わらず、去年3月の入居から現在まで、部屋の中でゴキくんに不意打ちをされたことは一度も無い(例外:玄関を開けた瞬間にヨレヨレと入り込んできた1匹)。
――しかしながら、今後は、カビに対しても、虫と同等の脅威として考えていかねばならないだろう。実際、私はこの冬に、カビの存在を度外視した防寒対策を行ったことにより、奴らの増殖を許し、恐らくは、喉の痛みや頭痛といった症状に悩まされ続けてしまった。今後は、しっかり対策しなければ。
ちなみに。世間では、加湿器なる装置が、流行をしているようだ。が、私からしてみると、水気なんて、玄関・窓・風呂場、そして水切りをしている皿や部屋干しの衣服から、有り余るほど漂ってきている。よって、わざわざ自分から機械を使って湿気をばらまくなど、カビを培養しているかのようなもので、自殺行為である。これが必要なのは…恐らく、私とは根本的に異なる環境に住んでいる人々なのだろう。
――というわけで。この土日は、それなりに暖かくなるようであり、ようやく厳しい冬にも、少しは出口が見えてきたという感じである。温度差が小さくなれば、結露も少なくなり、我が家のカビの増殖速度も遅くなるであろう。ただ、この「カビ対策」というものは、私に大きな課題を残した。良かれと思った防寒対策は、実際に温度面では良かったのだが、湿気という観点を全く持っておらず、カビ勢の増殖を大いに許してしまった。「冬場のカビ」という考えが、全く無かったのだ。その点は大いに反省して、残り少ない今冬に加えて、来年の冬こそは、カビに悩まされない部屋を作らなければ…。
(2023年2月17日)
FF5日誌の執筆に疲れて、 |
私が普段の調理に使っているのは、カセットコンロ(小型のボンベを接続して着火する、独立タイプの調理機器)である。
…その理由としては、去年春に一人暮らしを始める前には、「自分は調理をしない」と考えていたことがある。実際、遥か昔、15年前に東京に住んでいた頃、そして5年ほど前に大阪で暮らしていた時には、全くコンロを使用せず、2〜3日間隔でスーパーに行って、温めるだけで食べられるようなものばかりを買っていた。そのため私は、今回の一人暮らしでも、そういう生き方になるであろうと考えていたのだ。コンロなどあくまで補助だと思って、調理器具はフライパン1枚とし、着火装置も固定型を買わず、災害時などにも使えるようなカセットコンロだけを持っていったのだ。
――しかしながら、私の生活における、ここ最近の節約志向の高まり…というより、買い物に行くのがめんどくさいという思考の高まりから、フライパンで少し熱するだけで、何もしないよりも遥かに美味しく食べられる”かんたん調理”の需要は、自分の中で増え続けている。最近では、「肉を少量入れた、キャベツとモヤシをベースとする野菜炒め」という、肉とサラダが合わさり最強に見えるメニューを、ほぼ連日のように食べている始末だ。
そういう環境の中で、私は改めて、「カセットコンロを使う」という選択は、正しいかどうかと、考えてみたのである。
…まず、私が愛用しているのは、「
そういうわけで。私は、この茄子ちゃんボンベを、溜め込むくらいに常用をしていた。しかしながら、その容量は、1本あたり250gである。一方、私の居住地のプロパンガス料金は、だいたい1m3あたり500円という程度のようだ。
…さて。ガス界隈では、1m3は、質量2kgに相当するそうだ。ということで。単純なガス量だけで考えると、プロパン500円に対し、茄子ちゃんは100円×8で800円ということで、残念ながら割高である。
――それでも、プロパンガスには基本料金が掛かるから…と言いたいところだが、私は職場のシャワーを常用しているものの、あくまで、その利用には自分の中でラインを定めており、”仕事をした日だけ使う”と決めている。よって、休日や、その他の予定がある日には、家のシャワーを使うことにしており、そのお湯の供給は経てないため、プロパンガス自体の契約は持続している。そのため、基本料金という部分はクリアができており、やはり、プロパンガスのガスコンロに対して、カセットコンロは明らかに割高となってしまうのだ。
(現実から)目を逸らさないでくださいね |
では、これをもって、私が可搬型のカセットコンロから、固定式のガスコンロに移行をするかというと、必ずしも、そう断言はできないのだ。
…とうのも、どうも世間では、ガスコンロは料理ガチ勢向けの装備品として考えられているようだ。一般的な店のラインナップを見てみると、最低でも2つ口(火を同時に2つ点けられる)から始まり、魚焼き器が付属しているような富裕層に向けた商品が多いようだ。価格は、1万円くらいがスタート地点という感じのようであり、私のように、1つ口で調理ができれば十分!
という層に向けた固定型ガスコンロは、なかなか見付けられない。
――やれ。確かに、多数の火付け口があれば、例えば、焼き物と汁物を同時に作れるようになり、調理の利便性が高まるだろう。だが、私はあくまで、フライパン×1枚の調理しかしないと決めている。よって、多数口があってもどうしようも無く、魚焼き器のような洗うのが面倒くさい物は論外である。つまるところ、環境では、「一人暮らしで、火は1つ点けられれば十分だが、節約のためにプロパンを使いたい」という需要は、少なくとも2023年現在では、ニッチ過ぎるためか、あまり理解をされていないようだ…。
そういうわけで。仮に、1本100円の「火子ちゃんボンベ」が、1本ごとに35円の割高になるとしても、固定型のカセットコンロが10000円としたら、300本程度を消費しなければ、得をしたとは言えないことになる。
…さて、ここまでの生活では、1ヶ月に1本程度のボンベを換えれば十分であった。これが、現環境で2倍のペースになるとしても、150ヶ月が必要であり、つまり元を取るには10年以上が掛かるということになる。加えて、カセットコンロも、ガスコンロも、本体自体が壊れることはあるが、買い替えの際の価格面は、圧倒的にカセットコンロのほうが有利である。しかも、前述の通り、カセットコンロには、文明が後退するような大災害が起こったとしても、部屋の中さえ無事ならば、そのまま使い続けられるため、防災にも使えるという魅力も併せ持っている。
――そんなわけで、私の実生活では、残念ながら固定式のガスコンロで元を取るのは難しそうであり、これからも「カセットコンロ&火子ちゃんボンベ」の組み合わせを使い続けることになりそうだ。フライパン1個の調理しかしないのであれば、これでも極端に大きな問題は発生しないのだからな。
というか。もはや、今は共働きの時代であり、「調理に時間を掛ける」という思想自体が、理解されづらくなってきているのではないだろうか。
…やれ、ひょっとすると、五十嵐響子ちゃんみたいに、毎日朝から買い物に行き、家事を済ませたうえで、5人兄弟を育てながら、愛しい夫の帰宅時刻に合わせて、凝りに凝ったマカロニグラタン+サラダのメニューを完成させる…などというのも、理論上は可能なのかもしれない。
――が、実生活に当てはめて考えてみると、これは現実離れしたSFであると分かる。どう考えても無理だ。金も時間も手間暇も、何もかもが現実性が無い。まず、お嫁さんである五十嵐響子ちゃんを専業主婦にしてやらないと絶対に不可能であるが、頭文字Pがそこまで稼ぎ出せるのか??
そんなこんなで。私は、「手間暇の削減のため、フライパン1枚の調理しかしないので、1つ口のカセットコンロを使う」という方針を採用している。これは、今の日本社会では理解されていない。そのため、家庭ガチ勢向けのガスコンロには、2つ口以上が必ず用意されている。
…しかしながら、この先、日本中が私のレベルにまで落ちて、家庭を持っている層すら、1つ口のガスコンロを使うようになっては、この国の終わりだと思うのだ。異次元世界の五十嵐響子ちゃんみたいに、夫は沢山の給料を稼いで、妻はぴえんぴえん泣き叫ぶ子供たちとともに、手間暇を掛けた料理で夫の帰りを待つ…。たぶん、それのほうが、優れた社会体系であると、私は思うのである。
――やれ。ナポレオンとかいう、ライトニングさんのパクリみたいなオッサンは、かつて「戦術とは全て、戦力の一点集中である」という言葉を遺したそうだ。ならば、”男女共同参画”とか言って、中途半端に労働を男女両方に振って、子育てのほうも両性に任せようとしている現代は、その場しのぎの策でしか無いということになるだろう。まあそれは、男がまた、2人分の給料を稼げるようになれよ、という話に帰着するのかもしれないが…。
(2023年2月17日)
「ネギ。」に、どことなく久川凪ちゃんを感じる… |
去年(【日記:2022/2/3】)に引き続き、この時期限定のカップ麺:「
…さて、辛辛魚は、毎年同じカップ麺と思いきや、少しずつだが変化が加わっている。そして、こういうシリーズ物の常として、消費者の目は年々厳しくなっていき、「去年より劣った」と評されてしまうことも多い。進化し続けて初めて、「いつもと同じ品質だ」と思われるのだ。
――ただ。ここまで、辛辛魚は15年も続いており、私にとっても10年以上の長い付き合いとなっている。だから、今ではむしろ、「今年はどのように変化するか」というふうに、楽しみ方が変わってきているように思うのだ。食べ物の風味なんて、趣味嗜好に依るのだから、どうやったって完璧にはできない。それならば、無理に完成形を目指すよりも、変化を加えて、毎年毎年どのような物が出てくるか、楽しみにできたほうが良いと思うのだ。恐らく、どこぞのポエムワインを愛飲している人も、同じように感じているのだろう。
さて。今年の私について視点を移して見ると、実は、従来ほどまでは、辛辛魚を楽しみにしていなかった。その理由として、去年4月から働き始めてしまったこと以上に、とにかく貯金を最上の価値観とする習慣が、骨の髄まで根付いてしまったからである。辛辛魚のような季節のイベントについても、「でも、お金が掛かってしまうし…」という感情が先行し、イマイチ乗り気になれなかったのだ。
…しかし。今日の外出で、近所のローソン(やはり、コンビニの中でも、ローソンで取り扱っている確率が高いらしい…)に寄って、辛辛魚のパックを購入したそして、せっかくだからということで、本日の“昼ごはん枠”で食べることにしてみた。
では、ここからは、実食である。蓋を開けてみると、麺が、従来のような横長タイプではなく、汎用的な形になっており、この時点でヤバい形式に成り果ててしまっていた。この時点で、私は、「おしまいだ!
おしまいだー!」と、どこぞ神の国発言の前フリみたいに感じていたものである。
…だが、その逝き様を見届けるのもファンの勤めということにして、お湯を注ぎ、最初ということで、付属品以外は何も足さず、しっかり4分待ってから、食べてみた。するとどうか、思い描いて居たような、辛味と旨味が調和した神が誕生していたのである。前年のように、麺の塩味が薄れているということもなく、見た目に反して、バランス感覚の極めて良い内容である。そのまま、コメ約1合分を加え、カップラーメンライスとして、汁まで完食をした。
「からさ」は「辛さ」で、「つらさ」だ。だが、それがいい! |
というわけで。今年の辛辛魚は、私の無関心さに反して、なかなかバランス感覚に取れた傑作となっていたのである。
…ただし、その“バランス感覚”が消え去っている点もあって、それは価格である。2022年版と比較しても、260円→280円と値上げが為されており、消費税も含めると、ついに300円台へと到達をしてしまった。この社会情勢上、致し方ないのかもしれないが、私は、“カップ麺は200円台まで”と考えているため、300円を超えてしまうと、余程の付加価値が無ければ満足できなくなってしまうのだ。
――が、やはり、「辛辛魚」は、私にとって、その“余程の付加価値”を持っているカップ麺なのだと感じた。ここまでしばらく、市販のカップ麺に、味噌汁の具・バター・ネギ・鰹節・にんにく唐辛子・もやし・キムチなどを加え、ギトギトなトッピングをしたうえで、更に残り汁に米1合を加えて、センシティブなコンテンツにして、「カップ麺」は、やっと満足できる食品だった。だが、「辛辛魚」では、基本+米の替え玉だけで、十分に満足できる存在になっていたのである。これは、ストロングスタイルとでも呼ぶべき、強者の趣を感じさせるというものだろう。
ちなみに。その他に、私の生活環境にとってプラス補正となる面として、辛辛魚はコンビニ販売が主というところが挙げられる。そのため、大量に余っているクオカードを、有効活用できるのだ。
…やれ。「クオカード」は、プリペイドカードの一種であり、世の中では現金と等価の存在として考えられ、各種給付金などの際に、頻繁に用いられているようだ。ただ、私は、ふだん全くコンビニに立ち寄らない部類の人間である。そして、私が習慣として通っている店は、クオカードに対応していない。よって、働き始めてしまって1年近くが経つ現時点で、既に無視できない額のクオカードが余ってしまっているのだ。クオカードは、有効期限こそ示されていないものの、最終的に商品へと変換できなければ、何の意味も無い。そして、どういうことなのか、私にとっては“現金と等価”の意味を持つ、プレイステーションネットワークカードとは、等価交換ができないというルールのようだ。そういうわけで、様々な理由で配られたクオカードは、私のお出かけ用の財布の中で、今なお腐り続けている。これでは、遊戯王カードで、デュエル終了まで余ってしまう手札と同じだ…。
――しかしながら。「辛辛魚」は、コンビニ販売が主である。そして、実際に今日、私が訪れたローソンも、クオカードに対応していた。よって、辛辛魚は、余ったクオカードを有効活用できる手段として、活躍をしてくれるのである。遊戯王カードと同じで、手札が余っていても、財布が無駄に重くなるだけで、何の意味も無い。やはり、できる限り早く、有効活用をしてしまわないと…。
というわけで。私の生活環境は、2022頭→2023頭で激変したが、その環境下においても、「辛辛魚」は、変わらぬ魅力を誇っていることが分かった。本日は、不躾な買い占めだと思われないように、6個の購入に留まったが、これから足繁くローソンへと訪問し、早めに手持ちのクオカードを処分してしまいたい。余らせると、いつ、サービス終了が訪れるか分からないというものである。それこそ、人生のサ終まで残していても仕方が無いしな。
…ちなみに。ここまで私は、「辛辛魚」を、ごく自然の存在として推してきたが、これはあくまで、辛さマニア向けのカップ麺である。ペヤング激辛だとか、辛ラーメンだとか、そういう名だたる強豪たちを、涼しい顔で完食し、また、社員食堂でも、真っ赤になるまで七味唐辛子を振って、ドン引きされるくらいの存在が、やっと満足できるくらいの一品なのだ。だから、一般層の皆さまは、購入をするとしても、1個だけに留めてほしいし、もし可能なら、リア充(死語)らしく、辛味マニアの知り合いに少量を分けてもらうという手が良いと思う。
――だが、ここまで辛さガチ勢向けの製品となると、逆に、勧めてみたい精神というのも存在するのだ。毎年1月〜2月は、辛味マニアにとって、「辛辛魚」の時期である。お前たちはどうする。宴をともに楽しむか、それとも――?
(2023年2月17日)
“モヤシ算”は、私もよく使っています。会社のシャワーを使えばモヤシ3パック、とか |
本日は節分である。ここ最近の値上げショックにより、私の食事が、猛烈な勢いで豆に侵食されているということに気が付いてしまった。
…例えば、年明けあたりから、試験的に買い始めたモヤシは、サラダ・スープ・ラーメン・野菜炒めなど、何にでも使える万能食材であった。しかも、私の近所のスーパーだと、1パック200gで僅か20円という、強烈な安価で購入が可能だ。そのことにより、あっという間に私の生活へと定着するに至った。
――ちなみに、唯一にして最大の弱点である「賞味期限が3日程度しかない」という部分も、冷凍することによって解決が可能である。持ち前のシャキシャキ感はかなり落ちるが、モヤシの本質的な魅力が失われるほどではない。ちなみに、今さら言うまでも無いかもしれないが、モヤシは、大豆を暗闇で育てた苗を食べるという食品であり、ひと手間を掛けてはいるものの、豆の一種であると言える。
ということで。今週は、モヤシを1週間で4パック買ったが、休み多めの日程だったということで、週末までに全てを使い切ってしまった。今では、モヤシが無くなると、ひもじい気分になる。来週からは、2週間に1回の買い物ということで、10パックくらい買っておくことにするね…。
さて。逆に、私の生活に豆が増えることによって、駆逐をされていったのが、肉料理である。このご時世、全ての物の値段が上がっていっているが、肉や、肉に関連する商品(牛乳や卵など)は、特に値上がりが激しい。恐らく、動物を飼育するための電気代や、餌となる穀物の値段などが重なって、2重3重と、余計にコスト上昇が覆いかぶさって来てしまっているのだろう。
…しかしながら。肉は、少量であっても、食べ物の風味に大きく影響を与える。例えば、少し前の日記では、ベーコンエッグのベーコンのことを、「メイン部分である卵より高いのは理不尽」と判断し(【日記:2023/1/25】)、不要な物として取り除いた。そして私は、ただの目玉焼きをフライパンで作って、夕食のメイン部分として食してみた。だがそれは、酷く味気が無く、1日の頑張りに対するご馳走には、到底なり得ないものだったのだ。タバスコやら唐辛子やらでギトギトに味付けをしてみても、決して元々の風味には辿り着けそうになかった。
――つまるところ。ベーコンエッグでは、“おまけ”のように付いているペラペラのベーコン部分が、さながら合金に含まれる希少金属のように、ベーコンエッグ全体の風味を大きく下支えしていたのである。あのジューシーな風味は、絶対に植物製品では再現できないだろう。よって、「肉」は引き続き、人類の食生活において、重要な部分を占め続けるのである。
ただ。私の生活においては、今回の“給料以外なんでも値上げ”という環境下において、「肉が主で、植物が従」という、これまでの関係は完全に崩れ去った。そして、「植物・穀物が主体で、肉が従」という関係に、完全に変わり果ててしまったように思う。
…さて。私は、今回の1人暮らしにおいて、“フライパン1個までの料理はする”というルールを定めている。少し前までの私は、ベーコンエッグ・チルド餃子・刺身など、肉料理を「主菜」としたうえで、「副菜」として、キャベツを素手で引きちぎって、その上に解凍した冷凍野菜とクルトンをぶちまけた物を、“サラダ”と称して食していた。ただ、毎日毎日、ドレッシング部分しか変えられない“サラダ”の風味には、既にウンザリをしていたのだ。
――そういうわけで。私は、自分の食生活に少し変化球を加えようと、そこにモヤシとキムチを追加して、フライパンで熱して、“キャベツの野菜炒め”を簡単に作ってみた。すると、かなりイケけることが分かったのだ。そして更に、そこに冷凍肉など、少量の肉を加えるだけで、風味は大幅に向上し、もはや“肉だけの高級な料理”に匹敵するメニューが作れることが分かった。この野菜炒めは、肉の主菜としての美味しさと、サラダの副菜としての魅力を、それぞれ兼ね備えている。光と闇が合わさり、最強に見える。もちろん、“値段”というコスト面は、肉料理をメインとする場合に比べ、大きく低下している。
さて。上記のような調理をすると、夕食が、炊いた米と野菜炒めだけの2品となって、少し物足りない。
…そこで。私は、スープを追加してみることにしたのだ。ただし、手間暇が掛かるスープ料理は、“フライパン1個まで料理をする”のルールに反してしまう。そのため、私が用意するのは、簡易的なレトルト味噌汁に過ぎない。
――しかし、もちろん、ただのレトルトでは物足りない。ということで、そこに、市販の“味噌汁の具”に加えて、大量のモヤシを投入していく。これにより、大幅なボリュームアップが望めるのだ。やれ、味噌は豆ベースの調味料であり、モヤシも豆の一種である。まさしく、令和の“豆だけのスープ”だ。
次はいよいよ、“昆虫食”の時代が来てしまうのか…? |
というわけで。私の食生活においては、「肉は外、豆は内」という状況が構築されてしまったのである。
…さて。私は、以前から、「将来的に、肉は高級品となり、徐々に低コストな穀物・野菜を主体とした食生活に移行をしていくのではないか」という予想をしていた。しかしそれが、ウイルスとの戦いと、時代錯誤の侵略戦争によって、暴力的なまでに実現されるとは、全く思っていなかったものだ。
――考えてみれば、私の生活においては、「牛乳」→「豆乳」という変化は、既に実現されていた。これは、値段というコストではなく、“常温保存が可能であり、冷蔵庫の容量を圧迫しない”という点に注目をしたものであった(【日記:2022/12/8】)。だが、今となっては、私は牛乳を全く購入しなくなり、取り回しの良い豆乳を備蓄するに至っている。肉類→豆というパラダイムシフトは、とっくに現実のものとなっていたのである。
やれ、あまりに社会の変化が急激すぎて、多くの人は付いていけていないであろう。しかし、牛・豚・鶏といった動物を、育てて殺して、それで1回しか食べられない肉料理は、既に、庶民には手の届かない高級品になっていたのである。
ちなみに。私が、皆さまから心配されるような極貧生活をしているかというと、そういうわけではない。貯金は順調に積み重ねているし、仕事についても、まとまった額の余剰金を残しつつ、何とか耐えていけるという感じになっている。
…ただ、私は、これまで何度も述べているように、自分の人生の到達点を、「大量の貯金を作って、仕事を卒業する」というものに決めている。だから、高級品の肉料理などは、もってのほかなのだ。日常生活で多くの金を使うのではなく、穀物を主体とした“質素”な生活(※別に質素なわけではない)をしてでも、早く仕事を卒業して、自分1人で自由に暮らしたいのである。
さて。皆さまはどうするか。この社会は、定年が65歳という従来のカンストをダメージ限界突破して、70歳とか、それ以上にまで働かせることを常識とさせていく勢いのようだ。
…だが、人間の寿命は有限である。その時間を、肉料理のような豪勢な食事を楽しみ、妻を娶って家庭を作るクソ贅沢な生活に費やすのか。それとも、私のように、質素な行き方で、さっさと仕事を卒業するという人生を選ぶのか。なんか、最終的に、どちらにせよ貧しい生活をせざるを得ないような気もしてくるのだが、何にせよ、今は大変革の時である。肉は、コストが掛かりすぎて、もう駄目だ。食費は、人間としての生活を維持していくにあたって、最も金の掛かる部分である。だが、私の生き方は、それではない。「肉は外、豆は内」の精神でやっていかなければ…。
(2023年2月17日)
2023年2月の記事を 更新が新しい順に 全て表示しています。