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管理人の日記
世界の終わりが明日だとしても、豆を撒くことができるか――?
“モヤシ算”は、私もよく使っています。会社のシャワーを使えばモヤシ3パック、とか |
本日は節分である。ここ最近の値上げショックにより、私の食事が、猛烈な勢いで豆に侵食されているということに気が付いてしまった。
…例えば、年明けあたりから、試験的に買い始めたモヤシは、サラダ・スープ・ラーメン・野菜炒めなど、何にでも使える万能食材であった。しかも、私の近所のスーパーだと、1パック200gで僅か20円という、強烈な安価で購入が可能だ。そのことにより、あっという間に私の生活へと定着するに至った。
――ちなみに、唯一にして最大の弱点である「賞味期限が3日程度しかない」という部分も、冷凍することによって解決が可能である。持ち前のシャキシャキ感はかなり落ちるが、モヤシの本質的な魅力が失われるほどではない。ちなみに、今さら言うまでも無いかもしれないが、モヤシは、大豆を暗闇で育てた苗を食べるという食品であり、ひと手間を掛けてはいるものの、豆の一種であると言える。
ということで。今週は、モヤシを1週間で4パック買ったが、休み多めの日程だったということで、週末までに全てを使い切ってしまった。今では、モヤシが無くなると、ひもじい気分になる。来週からは、2週間に1回の買い物ということで、10パックくらい買っておくことにするね…。
さて。逆に、私の生活に豆が増えることによって、駆逐をされていったのが、肉料理である。このご時世、全ての物の値段が上がっていっているが、肉や、肉に関連する商品(牛乳や卵など)は、特に値上がりが激しい。恐らく、動物を飼育するための電気代や、餌となる穀物の値段などが重なって、2重3重と、余計にコスト上昇が覆いかぶさって来てしまっているのだろう。
…しかしながら。肉は、少量であっても、食べ物の風味に大きく影響を与える。例えば、少し前の日記では、ベーコンエッグのベーコンのことを、「メイン部分である卵より高いのは理不尽」と判断し(【日記:2023/1/25】)、不要な物として取り除いた。そして私は、ただの目玉焼きをフライパンで作って、夕食のメイン部分として食してみた。だがそれは、酷く味気が無く、1日の頑張りに対するご馳走には、到底なり得ないものだったのだ。タバスコやら唐辛子やらでギトギトに味付けをしてみても、決して元々の風味には辿り着けそうになかった。
――つまるところ。ベーコンエッグでは、“おまけ”のように付いているペラペラのベーコン部分が、さながら合金に含まれる希少金属のように、ベーコンエッグ全体の風味を大きく下支えしていたのである。あのジューシーな風味は、絶対に植物製品では再現できないだろう。よって、「肉」は引き続き、人類の食生活において、重要な部分を占め続けるのである。
ただ。私の生活においては、今回の“給料以外なんでも値上げ”という環境下において、「肉が主で、植物が従」という、これまでの関係は完全に崩れ去った。そして、「植物・穀物が主体で、肉が従」という関係に、完全に変わり果ててしまったように思う。
…さて。私は、今回の1人暮らしにおいて、“フライパン1個までの料理はする”というルールを定めている。少し前までの私は、ベーコンエッグ・チルド餃子・刺身など、肉料理を「主菜」としたうえで、「副菜」として、キャベツを素手で引きちぎって、その上に解凍した冷凍野菜とクルトンをぶちまけた物を、“サラダ”と称して食していた。ただ、毎日毎日、ドレッシング部分しか変えられない“サラダ”の風味には、既にウンザリをしていたのだ。
――そういうわけで。私は、自分の食生活に少し変化球を加えようと、そこにモヤシとキムチを追加して、フライパンで熱して、“キャベツの野菜炒め”を簡単に作ってみた。すると、かなりイケけることが分かったのだ。そして更に、そこに冷凍肉など、少量の肉を加えるだけで、風味は大幅に向上し、もはや“肉だけの高級な料理”に匹敵するメニューが作れることが分かった。この野菜炒めは、肉の主菜としての美味しさと、サラダの副菜としての魅力を、それぞれ兼ね備えている。光と闇が合わさり、最強に見える。もちろん、“値段”というコスト面は、肉料理をメインとする場合に比べ、大きく低下している。
さて。上記のような調理をすると、夕食が、炊いた米と野菜炒めだけの2品となって、少し物足りない。
…そこで。私は、スープを追加してみることにしたのだ。ただし、手間暇が掛かるスープ料理は、“フライパン1個まで料理をする”のルールに反してしまう。そのため、私が用意するのは、簡易的なレトルト味噌汁に過ぎない。
――しかし、もちろん、ただのレトルトでは物足りない。ということで、そこに、市販の“味噌汁の具”に加えて、大量のモヤシを投入していく。これにより、大幅なボリュームアップが望めるのだ。やれ、味噌は豆ベースの調味料であり、モヤシも豆の一種である。まさしく、令和の“豆だけのスープ”だ。
次はいよいよ、“昆虫食”の時代が来てしまうのか…? |
というわけで。私の食生活においては、「肉は外、豆は内」という状況が構築されてしまったのである。
…さて。私は、以前から、「将来的に、肉は高級品となり、徐々に低コストな穀物・野菜を主体とした食生活に移行をしていくのではないか」という予想をしていた。しかしそれが、ウイルスとの戦いと、時代錯誤の侵略戦争によって、暴力的なまでに実現されるとは、全く思っていなかったものだ。
――考えてみれば、私の生活においては、「牛乳」→「豆乳」という変化は、既に実現されていた。これは、値段というコストではなく、“常温保存が可能であり、冷蔵庫の容量を圧迫しない”という点に注目をしたものであった(【日記:2022/12/8】)。だが、今となっては、私は牛乳を全く購入しなくなり、取り回しの良い豆乳を備蓄するに至っている。肉類→豆というパラダイムシフトは、とっくに現実のものとなっていたのである。
やれ、あまりに社会の変化が急激すぎて、多くの人は付いていけていないであろう。しかし、牛・豚・鶏といった動物を、育てて殺して、それで1回しか食べられない肉料理は、既に、庶民には手の届かない高級品になっていたのである。
ちなみに。私が、皆さまから心配されるような極貧生活をしているかというと、そういうわけではない。貯金は順調に積み重ねているし、仕事についても、まとまった額の余剰金を残しつつ、何とか耐えていけるという感じになっている。
…ただ、私は、これまで何度も述べているように、自分の人生の到達点を、「大量の貯金を作って、仕事を卒業する」というものに決めている。だから、高級品の肉料理などは、もってのほかなのだ。日常生活で多くの金を使うのではなく、穀物を主体とした“質素”な生活(※別に質素なわけではない)をしてでも、早く仕事を卒業して、自分1人で自由に暮らしたいのである。
さて。皆さまはどうするか。この社会は、定年が65歳という従来のカンストをダメージ限界突破して、70歳とか、それ以上にまで働かせることを常識とさせていく勢いのようだ。
…だが、人間の寿命は有限である。その時間を、肉料理のような豪勢な食事を楽しみ、妻を娶って家庭を作るクソ贅沢な生活に費やすのか。それとも、私のように、質素な行き方で、さっさと仕事を卒業するという人生を選ぶのか。なんか、最終的に、どちらにせよ貧しい生活をせざるを得ないような気もしてくるのだが、何にせよ、今は大変革の時である。肉は、コストが掛かりすぎて、もう駄目だ。食費は、人間としての生活を維持していくにあたって、最も金の掛かる部分である。だが、私の生き方は、それではない。「肉は外、豆は内」の精神でやっていかなければ…。
(2023年2月3日) 4505 PV
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