太陽に
我が手かざせば ほの赤き 血潮 いまだに うせぬよろこび |
七十の 手習いなれど趣味はよし つたなき筆も我が生き甲斐 |
姉は逝き 煙となりて消え果てし 人の命の儚(はかな)きを泣く |
今日こそはと 氣負いて向かうキャンバスも 筆侭(まま)ならず今日も暮れ行く |
起き臥しを 子と共にいるうらやすさ 夫亡きあと十歳(ととせ)過ぎたり |
故郷は 歳歳遠し知り人も 少なき数と知るも悲しき |
時折は 侘びしかりけりしかはあれ 趣味に親しむ老いらくもよし |
足元もおぼつかなしと悟りたり 八十路(やそじ)の道も日々に険しき |
母にとて はろばろ届く茶の香り のど潤おせば円やかに愛 |
はからずも 娘より届きし贈りもの 寝てみつ起きて見つ真昼時より |
歳月は 早し亡夫の七回忌 病みての後の左手の文字 |
我がための 病人食の献立てに 心をくだく嫁の心根 |
サイレンを 聞く度ごとに亡夫(つま)病みて 凍える冬の入院の日思う |
敗戦の 憂き日と飢餓に怯えしを 共に平和の世にて長らう |
成す事の 今成さざるはと逸(はや)れども 限りある身はとどめ置かれず |
年毎に 身の衰ろえを確かむる 今日この頃の日々の尊し |
気負いつつ 絵筆は取れどままならず 惜しや一日(ひとひ)も暮れかかりける |
名こそ知れテレビにて見る奥村画伯 身をささえられ百歳を生く |
数知れぬ 富士は描いたが今にして 分かりかりしと老画伯は言う |
願わくば しばし長らい後世に 残る名画をものし給いそ |
持てぬ手に 富士描きたしと筆を取る その生きざまに心打たるる |
百歳の お身氣使いて手ともなり 足ともなりて共に生あれ |
長らえば 移ろいにけり人も世も 八十年は夢の中なる |
振り見れば けわしき道の幾山河 自愛の心古りて勝り来 |
寝て起きて また寝ておきて寝て起きて 年に一度の年を取りたり |
再びは かなわざりける思い出を 心の旅路行きつもどりつ |
人ごとに 思いおりしを何時知らに 腰のまがりし翁(おうな)とはなる |
絹刺せし 手毬持ちたる愛孫の 童女の瞳永久に失せまじ |
冥土(よみ)にある 母に重なる我が顔の 鏡の中をしばし見入りぬ |
亡き姉の 形見の衣(ころも)身につけて 共に拝まん母の回忌に |
嫁せし娘の 近況知らす便箋に 萩の押し葉のはさまれてあり |
電話口 遠く住む娘の笑い声 真似するインコ老母(はは)をなぐさむ |
急患の 一つの命救えりと 話す息子の顔は明るし |
巡りくる 四季折々の恵みうけ 恙無き(つつがなき)日の幸をおろがむ |
こもごもの 過去(すぎこし)たたむアルバムに 溢るる思い刻(とき)を忘らす |