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管理人の日記ログ
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先日のドラクエ4(【日記:2023/3/14】)に引き続き、今度は「ドラゴンクエスト5:天空の花嫁(DS版)」をクリアーしました。私にとっては、「天空の花嫁」ではなく「天空の子供たち」という感じの作品でした…。
――まず、「ドラゴンクエスト」は、ご存じ、“育成”や“次の町への冒険”といった、クラシックRPGの楽しみを重視したシリーズである。ドラクエ5は、その第5作に当たり、初版は、1992年に、シリーズとしては初めて、当時の次世代機であるスーパーファミコンにて発売された。今回も、ゲーム進行に工夫が為されており、主人公が少年から青年へ、そして父親へと成長をしていく、明確な3部構成の物語となっている。
その途中で、“天空の花嫁”こと、結婚相手を自分の手で選択できるというのが、大きな話題となった。今なお、好きなゲームの女キャラを議論する際に、「嫁論争」という言葉を使うことがあるが、その発祥は、間違いなく、このドラクエ5であると言えよう。
ちなみに、その後の展開としては、まず、2004年3月に、PS2にて最初のリメイクが行われた。これは、同年11月に発売されたドラクエ8とは異なり、従来の「マップは上から」「戦闘は正面から」という視点を維持したうえでの3Dリメイクとなっており、見た目&音以外にも、様々な変更が行われている。
…また、2008年には、『4』に続く天空シリーズ第2弾として、DS版の『5』が発売された。これは、PS2版をベースとしつつ、グラフィックをDSの性能に合わせて『7』のような2D+3Dのハイブリッドスタイルとし、3人目の花嫁候補が現れるなどの追加要素も用意された作品である。
――ということで。結果的に、ドラクエ5は、SFC版/PS2版/DS版で、3つの異なる風味が楽しめるということで、ナンバリングの中ではお得感の強い作品になっている…のだが、ドラクエシリーズ恒例として、DL配信や移植などが全く行われていない。そのため、現在では、DS版を移植したスマホ版以外は新品購入ができず、それぞれの対応ハードも古いということで、かなりプレイが困難になっていると言えるだろう。もっと軽率に移植しろ…(圧力)。
さて。私は、実はドラクエ5については、遠い昔に、少しだけ遊んだことがあった。というのも、当時は、正確な作品名を意識していなかったのだが、記憶をほじくり返すと、スーパーファミコンのドラクエ作品で、序盤にお化け屋敷のようなダンジョンを進んでいて、石像が後ろから付いてきて、話しかけると「見たな〜!」と言って襲いかかってくる。また、そこから更に進むと、氷の張られたダンジョンを、滑りながら攻略していく。どこからどう考えても、ドラクエ5である。
…また、それから長い時が経ち、ドラクエ5をプレイすることは無かったものの、恒例ネタみたいなものは、幾つか耳にしていた。とある主要キャラクターが死亡する際には「ぬわーーっ!!」という珍妙な断末魔を挙げる、フローラとかいう人がかわいい、はぐれメタルが仲間にならない、SFC版のグラフィック&サウンドがかなりヘッポコだったので次回作『6』がパワーアップするきっかけになった、などである。私にとっては、『4』のDS版からの連続プレイとなり、前作が思った以上に楽しめたことから、この『5』にも期待を寄せていた。
やっぱカノジョとしてならフローラが一番好きだわ。なおその後は |
そうしてプレイしたところ、このゲームの最大の仕掛けである「結婚イベント」について、妙な印象をいだくことになったのだ。それが、冒頭に書いた「私にとっては、“天空の花嫁”ではなく“天空の子供たち”だった」という感想である。要は、ゲームがある一点を超えた瞬間に、子供たちのほうに愛着が湧き、自分が結婚をした相手がどうでも良くなってしまったのだ。
まず、ゲームのちょうど真ん中ほどで、主人公は、幼なじみのビアンカか、またはお嬢様のフローラ(+DS版では、高飛車なデボラ)から、結婚相手を選ぶことになる。好感度などといったゲーム的な要素は特に無く、完全に自由にプレイヤーが選択できる。私は、上に書いた通り、「フローラとかいう人がかわいい」ということを聞いていたので、結婚相手にはフローラを選び、結婚式を挙げた。
…なお、この際、「天空の花嫁」というサブタイトルなので、私は勝手に、お空のお城で結婚式が行われる…みたいな、ファンタジックな妄想をしていたのだが、特にそういうことは無かった。オマージュ先のFF10のほうが、よっぽど天空の花嫁である。レベル5デス同盟が、こんなところで崩れてしまった。
――そしてその先は、主人公とフローラでの冒険が始まった。ドラクエ5は、仲間モンスターのシステムを採用しており、ここまでしばらく「主人公+仲間モンスター3体」という冒険が続いていたため、そこにヒロインが加入したことは、物語に大きな彩りを加えてくれた。そうこうしているうちに、フローラの妊娠が発覚し、さすがにファンタジー世界でも妊婦さんを戦わせるのはどうかと思われたためか、フローラは一時的にパーティから外れることになった。程なくして、双子の子供が誕生し、二人は幸せの絶頂を迎えた。ここまでは良かった…。
しかし。この双子の誕生後に、ある事件が起こり、そこから長い時間が経過することになる。その後、主人公は、10歳くらいに育った双子たちとともに、結婚相手(子供たちにとっての母親)を救うため、3人で冒険の旅に出ることになる。
…さて、その子供たちは、主人公を父親として慕ってくれる。また、バトル的な能力としては、「装備やアビリティが優秀だが、パラメーターは低い」という感じであり、主人公が上手く補ってやらなければならない。子供たちは初期レベルが低く、レベルが上がりやすいものの、前述のような方向性は、最後まで変わらない。父性本能を感じさせる…。一方の、嫁キャラについては、かなり後にならないと復帰をしないうえに、その際には父子たちとかなりのレベル差が付いており、魔法使いというキャラクター性も、娘と被ってしまう。よって、フローラをバトルで活躍させるのは難しいという状況であった。
――しかも。ここで、ゲームシステムにおける謎設計が、更なる向かい風となった。ドラクエ5には、超先進的なポイントとして、仲間モンスター制度が導入されており、私はずっと、「主人公+双子+仲間モンスター」という4人編成で旅をしていた。ドラクエ5では、サブメンバーも含めて8人まで編成ができ、その8人には、同じ経験値が入るというシステムである(馬車が入れないダンジョンを除く)。よって、私は、馬車内のサブメンバーとしてフローラを入れ、主人公+双子たちにレベルを近づけていくつもりであった。
ところがどっこい、人間キャラクターはストーリー的に優遇するということなのか、何故か、町に入るたびに、フローラが強制的に馬車から飛び出してくる。ドラクエシリーズは、町を拠点として探索や育成をすることが多いため、その度にメンバー編成を組み直さなければならないということは、大きなストレスである。よって、私は、フローラをサブメンバーとして育成することを諦め、城に軟禁をすることに決めたのである…。
そもそも、私は、「自分」の嫁としての結婚相手に、全くリアリティを感じられなかった。当初、出会ってから結婚をするまでと、そこから一緒に冒険している間は、確かにキャラが立っていた。だが、妊娠が発覚してパーティから離脱をしたのちは、「あなた、愛してるわ…」みたいなことしか言わなくなる。でも、この「あなた」というのは、私じゃなくて、バッツのことだ(※バッツ:私がドラクエ5主人公に付けた名前)。ゲームキャラに成り切って遊ぶロールプレイとして、私はまるで、この主人公とフローラの関係性に、感情移入ができなかったのである。
…いっぽうの子供たちについては、これも私の実生活と比べると、まるで現実味が無いものではあるが、ただ「守って、育てる」というバトル面では、強く共感をすることができた。こういう感情も、またロールプレイとしてのRPGならではである。そして、最終的には、強力な仲間モンスターの存在や、キャラ格差を埋める戦闘アイテムなどもあったものの、裏ボス撃破まで、「主人公+双子+仲間モンスター」という編成にこだわって遊んでいった。
――というわけで。私の所感としては、ドラクエ5のサブタイトルは、「天空の花嫁」ではなく、「天空の子供たち」のほうが相応しいと思うのだ。これなら、産まれてくる双子はもちろんとし、主人公の幼少期をも指しているように思えて、なかなか良い副題であるように思う。
一方で。我ながら申し訳ないし、ゲームの登場キャラ相手だとしても最低だとは思うのだが、私は、結婚相手には、子供が産まれたら、もう興味が無くなってしまった。本当に、天空から授かったのは、子供たちのほうであり、花嫁のほうは、産む機械であった。やれ、結婚相手は、最初からフローラに決めていたのだが、ゲーム的には、産まれてくる子供は同じということで、正直、誰でも良かった。むしろ、子供たちの髪色のためだけに、デボラと結婚すれば良かったとさえ思う。なんでこんなあんまりな印象になったのか、自分でもよく分からない。そんな、ひどい…。
ドラクエ5でも、この5人組の冒険が楽しめて良かった(?) |
そういうわけで。結婚という、ドラクエ5のメインとされるイベントについては、私はあまり共感ができなかったのだが、その後の子供たちとの冒険については、大いにロールプレイを楽しむことができた。
…ちなみに、前述の通り、私は、ドラクエ5の主人公に、『5』繋がりで、「バッツ」と名付けていった。その後、双子についても命名をすることができたため、デフォルトネームがイマイチ燃えないという感じがしたため、兄のほうを「ファリス」、妹のほうを「レナ」としていった。更に、モンスターについても、自由に名前を変えられるため、ガチムチ系のモンスターを「ガラフ」(実際に使用したのは、ゴーレム
→ ギガンテス)とネーミングした。かくして、FF5とはまた違う異世界にて、バッツ・ファリス・レナ・ガラフでの4人旅が完成したのである。
――いっぽうで、もちろんこうなると、クルルが足りないという感じになるのは、確定的に明らかである。そこで私は、アイテム袋にも名前を付けられることを利用し、ふくろに「クルル」という名前を付けていった。なお、これにより、「バッツは
ドラゴンのつえを クルルに入れた!」といった感じのド畜生なシステムメッセージが再生されることになったが、別に狙っていったわけではない。単に、FF5の5人組で冒険をしたかったというだけなのだ…。
というわけで。私のドラクエ5の感想は、「最大の名イベントである結婚に、イマイチ感情移入ができない」という、どこか珍妙な感じとなってしまったが、前作の『4』に引き続き、今回の『ドラクエ5』にも、ガッツリとハマり込むことができた。ドラゴンクエストは、基本システムがシンプルであるからこそ、やめ時を見失って、ダラダラとプレイをしてしまう。地球防衛軍かな?
――さて、次は、「天空シリーズ」のラストである、ドラゴンクエスト6である。こちらについても、既にDS版を購入済みであるため、折を見て、遊んでいくことにしたい。あれだろ、通常戦闘のBGMがロックでカッコよくて、前作よりサウンドとグラフィックが大幅にパワーアップしてて、九九の8×3=24に対して「ハッサンが24人も居たらKOEEEEEEEE!!!!!」とかいうツッコミが流行って、海底宝物庫?
とかいうところが全滅ポイントで、テリー 1匹
なゲームだろう。いやあ、名作ゲームを、これだけ楽しめる余地が残っているって、幸せだ!!
(2023年3月31日)
カーン
カーン カーン カーン!! \
ワァァァァァァァァ / |
先日の東京旅行の期間中に、嬉しいニュースがあった。「キン肉マン」のアニメ新作が発表されたのである。
…さて、「キン肉マン」は、ご存じ、ジャンプの懐かし漫画という感じであるが、初代の連載終了後(1〜36巻)、その息子世代の活躍を描いた「キン肉マンII世」(全29+28+4巻)を挟み、2011年からはWEBコミックとして、初代のほうの続きとなる新シリーズを週間連載している(38〜81巻、続刊)。
――そんな状況の中で、新シリーズの開始後、初めてキン肉マンのアニメ化が発表されたのだ。やれ、この手のアニメ化というと、HUNTER×HUNTERのように原作漫画の頭からリメイクをしていく場合もある。だが、キン肉マンの場合は、さすがに怪獣退治編から放送するとなると遅すぎるということか、新シリーズである「完璧超人始祖編」「オメガ・ケンタウリの六鎗客編」をアニメ化するようだ。この2つだけでも、35冊分のエピソードとなり、駆け足をしたところで、まず間違いなく、年単位での長編になると思われる。
さて。私にとっての「キン肉マン」は、ここ数年で新規に触れた物の中で、最もハマった作品となっている。元々は、年齢1桁代の時に、恐らく再放送枠で流されていたアニメ版を見て、主要キャラクターの名前を知っていたくらいだった。
…しかし、確か2020年の頭くらいであったが、携帯電話の漫画アプリで、1〜5巻が無料公開されていたのを読んで、興味を持つにいたった。その後、WEBで無料公開されている、新シリーズの「完璧超人始祖編」の序盤を見て、昭和のガバガバ漫画という印象の強かったキン肉マンが、今風の王道バトル漫画に進化していることを知り、大いにハマり込むに至った。ちなみに、この完璧超人始祖編の序盤(8巻分)は、【今も無料公開されている】ので、皆さまも、お時間が有る時に、ぜひ読んでみていただきたい。
そして。そこから、【WEB上で連載されているほうの最新話】も追い始めたのだが…こちらについては、当初、全く話に着いていけなかった。なんか、迷彩マスクのキン肉マン?
と、ブロッケンJr.(名前を知っていた唯一のキャラ)が、キラキラしながら涙を流していた。一方の、オメガ?
なる概念を大切にしているらしい敵陣営は、ボロボロになりながら、それぞれの友情を確かめあっていた。そこに、凄く強そうな大魔王?
が現れた。戦おうとする迷彩キン肉マン(仮)の前に、更なる救援が駆けつけ、ああ、こいつが大魔王のやられ役になるんだな…と思ったが、何か様子がおかしなことになってきた。
…そう、あの伝説のエピソード:「大魔王サタン
vs ジャスティスマン」が、私のWEB連載デビューだったのである。その熱く激しい馴れ初めから約3年、今なお、月曜日の一番の楽しみは、この「キン肉マン」の更新となっているものだ。
――ちなみに、現在連載中の「超神編(仮)」は、シリーズとしては、あまり人気が高くないようだ。だが私は、一定以上の面白さを維持していると思う。絵は、読みやすさを考慮しつつも動きが分かりやすくなっているし、話も、物語全体がここからどう動いていくのか気になるものである。そして、キン肉マン名物と言える、掛け手のほうが絶対に痛いであろうエクストリームな必殺技の迫力も、今なお凄まじいものだ。
完璧超人始祖編は、確かに最高傑作だと思う! |
そんな中で、アニメ化されるエピソードのうち、“最高傑作”と名高い「完璧超人始祖編」が含まれるというのは、私にとって更に嬉しいニュースである。
…さて、完璧超人始祖編は、初代シリーズの終了直後の時系列に位置するエピソードであり、平和になった地球に、「完璧超人」の新たな敵勢力が襲来し、レギュラー勢である正義超人と、かつてのライバルだった悪魔超人たちが手を組んで、過酷な戦いに挑んでいく…という内容である。
――しかし、その過程で、更なる深部が明らかとなって、「完璧超人始祖」なる新勢力が登場する。この完璧超人始祖は、「お前どうやったら死ぬの?」というレベルの超強敵であり、シリーズが進んだ現在となっても、最強の超人軍団との呼び声が高い。例えるなら、HUNTER×HUNTERでいう、キメラアントの王と、その護衛軍という感じである。もちろん、他のシリーズが、決してつまらないというわけではない。ただ、完璧超人始祖編は、敵の強さの描写も、物語の面白さも、試合展開の巧みさも、明らかに一回り上を行っている。“最高傑作”の呼び声に、全く疑問を挟む余地は無いのだ。
そういうわけで。そんな最高のエピソードが含まれる「キン肉マン」新シリーズのアニメ化は、いつものように、生きていると良いことがあるという例なのであるが…少しだけ気になっているのが、配信方式である。以前までは、“アニメ化”と言うと、まず間違いなく、地上波でのテレビ放送を指していた。ただ、最近では、いわゆる“サブスク”形式のオンライン配信サービスが、既存のテレビ局と同等以上の影響力を持ち始めており、そういった有料サービスにて、最新作を独占配信するという事例も増えてきている。よって、その枠で、「キン肉マン」の新作アニメが配信されるという可能性もあるのだ。
…しかしながら。私は、唯一加入している「dアニメストア」(【日記:2022/8/1】)だけでも、既に持て余しているような感じとなっている。そのうえ、「キン肉マン」が他の映像サブスクで独占配信されるとなれば、まず間違いなく、キン肉マンアニメのためだけに契約をするような感じとなり、かなりの割高感が出てくるだろう。最近の私は、趣味は貯金ですと言えるくらいに節制を心掛けており、ただ1作品を見るだけために、月額1000円を超えることも少なくない映像サブスクと契約をするのには、なかなか尻込みをする思いを感じてしまう。
――とはいえ。その辺りは、また今後に考えていくとして、まずは「キン肉マン(新シリーズ)」のアニメ化という、嬉しいニュースを喜ぶことにしたい。これから先に、辛い情報が出てくるかもしれないが、きっと大丈夫だ。大和魂が守ってくれるさ!
(2023年3月31日)
草 |
先日の、東京旅行のメインディッシュは、「FFX歌舞伎」(【日記:2023/3/19】)であったのだが、それ以外にも、今回は約10年ぶりの東京ということで、様々な場所を訪れてみた。目的は、いわゆる聖地巡りである。
…さて、皆さまご存じの通り、東京は、様々なゲームの舞台となっている。例えば、「アイドルマスター(略)スターライトステージ」のアイドルたちが所属する事務所は、青山あたりにあるとされており、その都合上、日本各地の中でも、とりわけ渋谷周辺をモチーフとしたカードが多い。また、「ペルソナ5」でも、主人公は渋谷近くの三軒茶屋をモデルとした地区に住んでおり、渋谷・新宿を中心として行動している。そして、未発売に終わってしまった「ファイナルファンタジー:ヴェルサス13」の舞台は、新宿のビル街であった。さらに、神の国発言(※「ここは……神の国なのか?!」のほう)の舞台となったのも、新宿である。最後に、「デジモンストーリー:サイバースルゥース」の拠点についても、中野ブロードウェイという実在施設のようだ。
――というわけで。私が東京を離れた2013年より後に、東京を舞台としたゲームに触れる機会が、幾つもあった。そのため今回は、そういう地域への巡礼に出てみることしたのだ。これは、FF10のテーマである、“究極召喚を手に入れるための旅”とも関連している…のか?
というわけで。私は、渋谷を中心に、様々な場所を回ってみた。渋谷センター街(「バスケ通り」とかいう名前になったんだっけ?)では、「ペルソナ5」にて重要な役割を占めた「ビッグバンバーガー」のモデルとなったであろう「バーガーキング」があったので、そこで食事をしてみた。また、かつて、DDR(ダンスダンスレボリューション)を遊ぶために足しげく通ったゲーセン:「渋谷会館」が閉店しているというのは折り込み済みであったが、少し入った通りにある謎の八百屋も店じまいをしていたのは驚きであり、10年という時の流れを思い知らされた。その他、駅の地下部分には、祐介の人間観察スポットもあった。
…続いては、少し離れた三軒茶屋へと向かう。ここは、ペルソナ5の主人公が住んでいた町であり、そのモチーフとなった場所に行ってみると、若干の配置場所の変更はありつつも、喫茶店・コインランドリー・診療所・スーパーマーケット・バッティングセンターといった、各種施設を発見することができた。ここが、あの、世界を揺るがした怪盗団を育てた場所ということで、怪盗団の気持ちを大いに味わうことができた。そして、三軒茶屋は、アニメ版シンデレラガールズの第1話で有名な例の公園が存在する場所でもあり、例の花屋を訪れたのちに、ベンチに座ってしぶりんの気持ちになったりもした。
――更に、続けて、新宿方面へと向かう。ここは、あの神の国発言の舞台でもあり、空を眺めながら、「ここは……神の国なのか?!」とつぶやきまくる、怪しい男が爆誕してしまった。また、都庁は、無料で展望台まで登ることができるため、そこから空を眺めて、「ノクティス様も光が見えるんですね」と、麻薬をうってかわってしまった息子のことを思い返していた。なお、昇降の際のエレベーターには、私を含めて10人くらいが乗っていたのだが、私以外は全員が外国人兄貴(アジア・ヨーロッパ・アメリカ)であった。こんなご時世の日本に来てくれて、本当にありがとう。やっぱ、つらくねぇわ!
その他にも。新宿の近くにある、「東新宿」という駅にも行ってみた。ここは、緒方智絵里:「ホワイト・ハピネス」の特訓前カードの聖地である。緒方智絵里は、私のスターライトステージの約6年のプレイ歴の中で、最もファン数の多いアイドルであり、キャラとしても推している一人である。
――が、行ってみて驚いたのだが、このスポットのごく近くに、スクウェア・エニックスの本社があるのだ。近くどころか、もはや背景にビルが写っているという始末である。ちなみに、このカードの設定は、「オーディションに合格したため、その喜びを、学校に手袋を忘れてきてまで、プロデューサーに伝えに来た」という程度の内容のようだ。智絵里は、バンナムからスクエニへの移籍を画策していた…?
お前のことが好きだったんだよ! |
そして今回の旅行では、東京・中野に有る、「中野ブロードウェイ」にも行ってみたのだ。
…さて、ここは、2015年に発売した「デジモンストーリー:サイバースルゥース」で、主人公の拠点となった場所である。また、アイドル(略)スターライトステージでも、「オタク
is LOVE!」という楽曲において、MVのモチーフとなっている。
――しかしながら。私は、10年前に東京に住んでいた頃には、このブロードウェイを一度も訪れたことが無かった。そのため、どういう施設かを全く理解しておらず、まあせいぜい、写真を取って、軽く見て回って終わりだろうな…という程度に思っていたのだ。
が、実際に、その「聖地」を巡ったあと、せっかくだから店舗も見てみようかな…と思ったところ、その熱量の凄さに驚かされたのである。
…さて、東京は、人が集まる場所ということで、通常店舗における品揃えの良さも、田舎と比べて桁違いである。その中でも、ブロードウェイはぶっ飛んでおり、ゲーム系の中古CDを取り扱っている店では、通常店舗ではまず並んでいないであろう、シンデレラガールズのライブ限定CDを購入することができた。また、書店では、これまで目にしたことも無いような、ファイナルファンタジー関連書籍を入手可能であった。
――その他、私は買わなかったのだが、ショーケースが全てキン肉マンシリーズのフィギュアに占められている店だとか、棚の一角が表遊戯×闇遊戯の薄い本で占められている店舗だとか、とにかくアングラな雰囲気に溢れている。実際のブロードウェイの1階&地下1階地区は、衣料・医薬品・電子・食料品といった、一般向け店舗で溢れており、Welcome
to Undergroundとなっているのは、むしろ上層階のほうなのであるが…。やれ、こういうところの魅力に気付けなかったのが、私の10年前の東京生活において、取り返しの付かない失敗であったのだろうな。
そういうわけで。今回の東京観光は、メインディッシュであったFFX歌舞伎を除いても、大きな利益を得ることができた。
…それと同時に、私の生活面においては、東京に住むのはもういいかな、という認識を新たにした。私の生き方において、東京の名門大学を卒業し、有名企業に就職して、その昇進コースを辿り続けるというルートは、元から存在しなかった。そして、今回の東京旅行でも、人の多さにはめまいがするものであったし、時折あった不動産屋の張り紙を見ては、「14万!?」と驚きの声を挙げていた。地下鉄の、全体構造の把握が極めて困難なデザインには目が回るし、物の値段は全てが高い。もう、ここに住むというのは、私には合っていないのだ。
――何はともあれ。今回の、FFX歌舞伎をメインとした東京観光は、当初の自分が思っていたよりも、遥かに多くの物を得ることができた。10年ぶりの東京は、私に色々な物を与えてくれたのである。今回の旅行では、10年分くらいの東京成分を摂取することができた。旅行とは良いものだ。ほなまた、しばらくお金を貯めて、10年後くらいに、また訪れることにしましょうかね…。
(2023年3月31日)
FF10の良さが分かっていらっしゃる感じですかな? |
先日、数年ぶりに東京へと遠征し、現在上演中の「FFX歌舞伎」を見てきました。FF10が立体化されていた…。
…まず、「ファイナルファンタジー10」は、皆さまご存じの通り、2001年にPS2で初登場をし、FFシリーズの中でも、特に人気の高い一作である。そして、歌舞伎は、日本の伝統芸能である。この2つが、謎のコラボをし、「新作歌舞伎:ファイナルファンタジーX」として、上演されているのだ。
さて、私は、FFシリーズは大好きであり、『10』も思い入れの強い作品である。今から5年前の2018年には、やり込み枠として、【かんたんスフィア盤なしクリアー】なる日誌を連載されていただいた。当時としては、何らこだわりのない、普通のプレイ日誌を書き上げたという感じであったが、今なお、【YouTubeチャンネル】においては、多くの再生数を提供してくれており、意図せずとも当サイトの代表作になっている感がある。何気に、ラスボス戦の三本柱完全封印での攻略は世界初であり、その他にもモンスター訓練所もしっかり攻略しているということで、資料的価値も高いプレイ日誌となっている。
――いっぽうの“歌舞伎”と言うと、まあ名前は知っているという程度で、私はこれまで、見たことが無かった。今回、FF10が歌舞伎の世界観で再現されるということで、当初から強い興味は持っていたものの、東京でしか上演していないという地理的な条件、そしてチケットが2〜3万円という独身貴族の金銭感覚をもってしてもポンとは出せない額であることから、見るかどうかは、かなり悩んでいたところがあった。
しかしながら。今回は、再就職をして無事に1年を働き抜いた記念であるということ、そして既に半年前から企画をしていたこと、そして、かつて6年間住んでいたらしい東京に、久々に行ってみようと思ったこともあり、この時期に、手間暇を掛けた東京観光をセッティングしたのだ。
…もちろん、そのメインディッシュは、「FFX歌舞伎」の観劇である。少し前に、化粧をした役者さんたちのキービジュアルが公開され、【その本気でやっているのか笑いを取ろうとしているのか絶妙に判断が付かない感じ】には、衝撃を受けたものだった。だが、私は、もうFF10歌舞伎を見ると決めていたため、各種の感想は完全にシャットアウトしていた。そうして、当日朝の時点でも、期待半分・不安半分という感じで、いざ開演を迎えたのであった…。
「これが無いとFF10じゃないっしょ」的な名シーンは、全て歌舞伎でも再現されている |
が、実際に観劇をしてみると、これは紛れもなくFF10という出来になっていたのである。
…まず、上映時間については、休憩を抜いて、約6時間である。これにより、事前情報の時点で、だいたいFF10のイベントシーンのほぼ全てを網羅できるということは分かっていたが、実際に見てみると、まさしくFF10の全てが再現されていた。
――もちろん、実在の人物を使ったリアルタイムでの演劇ということで、ゲーム的なバトルシーンについては省略されている場面が多く、中にはダンジョンごと省かれているような例も少なくなかったのだが、それでも「これが無いとFF10じゃない!」みたいなシーンについては、全てが含まれていた。それどころか、一字一句…それだけでなく、声優の演技まで含めて完全再現されているような場面も多く、圧倒的なまでの原作リスペクトを感じさせる。少し前に、この日記にて、前川みくの「恋」というコラボコンテンツの教科書みたいな題材を取り扱った(【日記:2023/3/2】)が、この「FFX歌舞伎」も、それに勝るとも劣らぬ神コラボである。生きていると良いことがあるという典型例だ。
さて。私は、無謀にも、SS席へと挑戦をし、結果、最前列近くの真ん中と言う、100%中の100%の席で、観劇をすることができた。
…やれ、その席が、どれくらい凄いのかと言うと、例えば、原作でも、名シーンかつ終盤の難関となっていた某バトルは、因縁のあるアーロンとのソロ対決という形にアレンジをされていたのだが、その後のティーダ&アーロンという2名での、物語の根幹に関わる会話シーンで、アーロンを演じる役者さんが、ビッシリ汗をかいているのがしっかり分かるくらいの近距離だったのだ。
――いやあ、ゲーム的にはもちろん、演劇としても、あれだけの歌舞伎バトルを演じた後なのだから、汗くらいかいていて当然である。だが、そういう後に、疲れた様子を見せず、ティーダに対して語る姿に、ゲームとしても歌舞伎としても、プロ精神を感じた。そこには、間違いなく“アーロン”が居た。
ちなみに。ネタ的に言うと、最近、例のアレで話題となった、「なんで寺院に機械があんだよ…」や「まさか、アーロンさんもアルベドじゃないだろうな」が無くなっていたりだとか、「なぜにココにいらっしゃられマスのでしょうか?」とか「召喚士は通す、ガードも通す。キマリは通さない」といったセリフの言い回しが、ごく僅かだけ変わっていたという点もある。が、そういう細かい点が気になってしまうくらいに、基本的には原作再現が為されていたということでもある。また、「『シーモア:終異体』戦の展開」や、「『シーモア:最終異体』戦の起こる場所」など、改変されつつも、演劇として違和感の無い構成にされていたところも見逃せない。やはり、ロンゾ族の戦士は、「自爆」を必殺技とするのが宿命なのか…?
――また、その他にも、原作であるゲーム版FF10からの追加シーンもあり、それは以下のような感じである。こんな感じで、真面目にゲーム版との違いを考察できるくらい、しっかりしたFF10だったのである。
●ゲーム版では、終始無言であった“とあるキャラクター”に、21年半ごしで、セリフが付与された。それにより、歌舞伎版の解釈では、スピラの根幹である「死の螺旋」が、最初から計画的に作り上げられたものであるということが明確となった。
●討伐隊のルッツに、ブリッツ選手であるという設定が追加された。なお、配役の関係ということであろうが、それによってボッツが消滅し、レッティ&ジャッシュが名称不明の1選手に統合され、オーラカで最も名の知れた選手であろうキッパも、ギガグラビトンに飲み込まれてしまった。ちなみに、ビサイドオーラカとルカゴワーズ以外のチームも、そもそも存在しない扱いとなった。
●シーモアの過去についてのシーンが追加され、彼がどのような意図でゲーム中の行動に至ったのかが明らかになった。
●アルベド族長のシドに、メインキャラの一人として、皆の“父親”として振る舞おうとしているというエピソードが追加された。
野村って神じゃね?
理想のFF絵師って感じ… |
というわけで。私の感想としては、「FFX歌舞伎」は、まさしくFF10であった。現実世界の演劇であるが、そこには間違いなく、FF10の全てがあった。
…やれ、最初にも述べた通り、このFFX歌舞伎は、東京でしか上映をしておらず、4月12日までの、約1ヶ月の期間限定である。そのうえ、観劇料は、2〜3万円と、社会人の金銭感覚をもってしても、そう簡単に出せるものではない。また、上映時間についても、12時から21時と、実質的に丸1日となるような感じであり、軽い気持ちで視聴を行えるような感じとはなっていない。
――ただ、それでも、私は、FFファンとして、見て良かったと思うのだ。FFシリーズは、間違いなく、私の人生にとって、永遠の相棒となる存在である。そして、そんなFFシリーズが、立体化される機会など、私の残り30〜40年程度の人生においても、そうはあるまい。繰り返し述べるが、この歌舞伎は、空間・時間・金銭の全てで、莫大な制約を受けるものである。だがそれでも、私は、見ておくべきだと考えるのだ。間違いなく、この「FFX歌舞伎」は、私のFFシリーズについてのエピソードとして、これから先、ずっと記憶に残り続けるであろう。上映時間の、“1日の午後全て”という形式も、むしろ、大作ゲームを一気に遊んだという感じで、心地良い疲労感を得られるというものであった。
ちなみに。あえて、良くなかった点について述べてみると、SS席チケットの特典であるアクリルスタンドの質が最悪であったということが挙げられる。
…やれ、東京から今の住居に帰って、ビニールの封を開けてみて驚いたのだが、その全体が、引っ掻いたかのように傷だらけとなっている。私が受け取った後は、プラスチックのケースに入れて保護をしていたため、あちこち引きずり回されたかのような傷が付くことは有り得ない。また、このアクスタは、台座に対して立体部分を差し込むような形式となっているのだが、台座の穴に対して立体部分の突起が大きく、上手く差し込むことができない。私は、アクスタというもの自体が初めてなのであるが、これはあまり出来が良い部類のものではないのだろうな…と感じた。イラスト部分は実に素晴らしいうえ、今回の公演の記念として、今後、長らく飾っておきたいと思っていただけに、この質の低さは、残念と言うしかない。
――また、会場での販売グッズの中に、歌舞伎アレンジBGMのサウンドトラックが無いというのも、悲しいものである。「FFX歌舞伎」の劇中で流されるBGMは、主題歌である「素敵だね」を含めて、全て和風のアレンジが為されており、「どの曲がアレンジされて流されるのか?」というのも、観劇のうえで大きな楽しみであった。単品でも聴き応えのあるクオリティであり、是非とも、サウンドトラックCDを出していただきたいものである。
◆追記(2023/3/20):アクリルスタンドについては、全ての部品の表裏に、薄い保護フィルムが貼ってあるということであり、それを剥がすことにより、「表面が傷だらけ」「台座へのフィット感が低い」という問題を、解決できるという仕様でした。この情報は、ぽてねこびーむ(【Twitter:@ellngeroide】)様よりいただきました。ありがとうございます。エボンの賜物だな!
そういうわけで。この「FFX歌舞伎」は、私にとって、大満足のものであった。
…さて、何度も述べている通り、この歌舞伎は、様々な制約があり、FFシリーズが好きだからといって、そう簡単に観劇できるようなものではない。だが、私は間違いなく、掛けた手間以上の物を得ることができた。
――そういうわけで、現時点においても、残り半分くらいは上演期間が残っているということで、可能な皆さまには、是非とも見ていただきたいと思うものである。まず間違いなく、FF10ファンであれば、満足をしていただけるであろう。この先、FFシリーズが立体化される機会など、最後かもしれないだろ。人生は有限であるので、今の機会を活かしていただきたいものだ。勢いがある時は勢いに乗るッス、これ、ブリッツの鉄則!
(2023年3月31日)
このイケメン主人公には、『4』繋がりで「セシル」と名付けました… |
諸事情により履修を開始したドラゴンクエストシリーズについて、まずは「ドラゴンクエスト4」をクリアしました。バージョンはDS版で、PS版からの追加エピソードである「6章」も含めてです。これ、ホントに原作はファミコンなのか?
…まず、「ドラゴンクエスト」シリーズは、ご存じ、「キャラクターの育成」や「次の町への冒険」などといった、クラシックなRPG体験に重点を置いた…というか、その“クラシックなRPG体験”を定着させたタイトルである。かつて、長らくFFシリーズとシノギを削るライバル関係だったこともあり、その2社が合併して「スクウェア・エニックス」となったことは、当時は相当な衝撃を与えたものであった。
――そして、そのナンバリング第4作である「ドラクエ4」は、1990年に、ファミコン(スーパーが付かないほう)で発売された。FF4はスーファミだが、ドラクエ4はファミコンである。なお、その後の展開として、最初のリメイク作が、初代PSにて2001年に発売され、それをベースとした再リメイクが、初代DSにて2007年に登場している。なお、どのバージョンもDL販売が為されていないため、現在、新品購入が可能なのは、DSリメイクをベースとしたスマホ版のみである。“ゲームはゲーム機で”という認識の強い私などのユーザーにとっては、遊ぶのに1つハードルのある作品と言えるだろう…。
さて。私は、ドラクエの中でも、『4』は全く遊んだことが無かった。そのため、「クリフトとかいう奴がザラキ(即死魔法)を連発するらしい…」とか「ボスが隠れて自動回復能力を持っており、低レベルクリアーだと絶対に勝てなくなるらしい…」などということを、小耳に挟んでいたくらいであった。
…というわけで。この2023年になって、ドラクエ4を初プレイしたところ、その仕掛けの多さに驚いたものである。まず、本作は、最初に主人公1人が旅立って、次々と仲間を増やしていく…という、他ドラクエ作品も含めた一般的な形式ではなく、明確な二部構成となっている。
――というのも。1〜4章の前半部では、仲間キャラクターたちのそれぞれを操作キャラとした短編シナリオが、それぞれ2時間程度で4つ展開される。そして、5章では、いよいよ勇者を主人公として旅立ち、仲間を求めて世界中を旅していくのだ。1〜4章で訪れた町についても、5章で訪問すると、新たなイベントが用意されている場合も多い。これ、本当にファミコンソフト?
また、各章には、順を追ってRPGに慣れさせ、プレイヤーを飽きさせないような仕掛けが用意されている。
…例えば、1章は、戦士タイプの「ライアン」というキャラ1名での冒険となり、シリーズ初作であるドラクエ1を彷彿とさせるが、途中で仲間モンスターのホイミン(FF12でいうゲストキャラクター枠)が加入することにより、一気に旅が楽になる。また、2章では、戦士・僧侶・魔法使いの3人旅という、ドラクエ2をイメージさせる冒険となるが、戦士タイプが肉体派お姫様で、その猪突猛進に頭を抱える男たちという、一味変わった戦いが展開される。そして、3章では、お金稼ぎがテーマとなって、様々なミニゲームが登場する。4章でも、性格も戦闘能力も正反対の美人姉妹を操作するなど、息をつく暇がない。
――そして、本編となる5章では、主人公以外のキャラクターはAI戦闘となり、「ガンガンいこうぜ」に代表される作戦が存在する。そして、この時点のゲームソフトにも関わらず、AI戦闘には学習機能まで用意されているのだ。※ファミコンソフトです。
というわけで。私がプレイしたのは、確かに2007年のDS版であるが、これらの基本的なゲームデザインは、全て原作である1990年のファミコン版の時点から登場していたという。
…さて、ファミコンは、現代からすればもちろんであるが、1世代後のスーパーファミコンと比べても、圧倒的に制約が多いハードである。それでいて、ここまでの、現代目線から見ても珍しいようなゲーム構成を実現してみせたのだ。さすが、当時の超環境トップタイトル:「ドラゴンクエスト」だ。
――やれ、年齢からして、まず無理だったであろうが、私も、こういった遥か未来からの振り返りではなく、その当時の最新作として、ドラクエ4を遊んでみたかった。そうしたら、このサイトのタイトルも、「やり込みinDQ」になっていたかもしれない…。
この3人の関係性が好きだった |
さて。5章では、主人公を含めて、合計8人のキャラクターが仲間になる。ユニット名は、「導かれし者たち」である。この8人から、自由に4人のパーティメンバーを組むことができる。なお、その構成について、主人公を外したり、3人以下にもできたりするなどと、やり込み派にも配慮がされている。
…その他、1〜4章では、メインキャラクターに合わせて、それぞれワールドマップ上の曲が違うのだが、5章においても、それぞれのキャラを先頭にすると、当時のBGMに切り替わるという、嬉しい仕掛けが用意されている。※繰り返しますがファミコンソフトです。
そして、私のプレイでは、「主人公・アリーナ・クリフト・ブライ」という、主人公+2章の3人組というパーティを用いていた。主人公は、この手のゲームにありがちな、器用万能タイプであるため、どのようなパーティに入れても活躍ができる。そして、2章の3人組は、それだけでバランスが取れており、そのまま使っても何ら問題がない。というわけで、私が選んだ4人組は、戦闘面での強さを考えた構築であるといえる。
――だが、実際には、2章での珍妙な3人組の冒険が心地よかったため、それを更に続けたかったという思いのほうが強い。RPGとは、単純に数値を使ったバトルゲームというだけでなく、グラフィックや物語も組み合わせたキャラクター性との融合が面白いものだ。お気に入りのキャラを使って楽しめるというのも、RPG作品の大きな魅力なのである。
そういう感じで、バトル面だけでなく、キャラクター性との融合においてもドラクエ4を楽しんでいった…のだが、5章も中盤となり、魔法使いのブライが「バイキルト」を覚えたあたりから、少しおかしな感じになってきたのだ。
…まず、「バイキルト」は、しばらくの間、物理攻撃の与ダメージを2倍にするという攻撃のカナメであり、使うと使わないとでは、戦法自体に大きな影響を与える。この「バイキルト」は、ファミコン版時代はAI任せであったが、PS版以降では手動コマンドによって自由に発動可能となったため、それこそサッズ△のENHをリーダー操作する以上の大きな環境変化があったと思われる。それはともかくとし、このバイキルトの存在により、なんとおてんば姫のアリーナが、物理第1アタッカーの座から転落してしまったのだ。
――というのも。ドラクエシリーズは、敵味方のキャラクターの素早さにランダムな値を加えて、その順番にキャラクターが行動する。そして。素早さのパラメーターは、「1:アリーナ 2:ブライ 3&4:主人公&クリフト」という感じである。そのため、ブライが初手に「バイキルト」を使うと、アリーナでは2ターン目からの適用となるが、主人公だと1ターン目から適用させられるのだ。
そういうわけで。ブライの「バイキルト」とコンボしてのアタッカーの座は、主人公へと譲ることになった。折悪しく、5章中盤では、「ドラゴンキラー」などの強力な武器が店売りされ、その後も「奇跡のつるぎ」「天空のつるぎ」など、主人公への強力武器が手に入り続けたことも、アリーナには向かい風となった。それに加えて、2番手の物理アタッカーとしての座も、「はぐれメタルのつるぎ」が装備でき、同じくブライとコンボできるクリフトに奪われてしまい、アリーナは物理攻撃しかできないオメガmk.IVとなってしまった。
ただ、そういう珍妙な状況ですら、RPG的にはアリかなと思えてしまうのである。
…というのも。どうも、二次創作だけでなく、PS版以降のリメイク版および関連作品においては、クリフトは、アリーナに直接的な恋心をいだいているように描写されているという。ただ、私は、男女の関係というのは恋愛だけではないと思っている。むしろ、様々な感情が入り混じった状況にこそ、人間関係の複雑さとしての魅力があるように思うのだ。
――だから、私のバトル内容のような、敵味方の中で先制の爪を繰り出していくアリーナを「あーハイハイ」と横目にしつつ、主人公・ブライ・クリフトでの見事なコンボ攻撃で敵を倒していく。アリーナは、多分、自分が最も役に立っていると思っているが、実際に問題を片付けているのは、苦労人の男3人組である。そういう解釈も、普通にアリだと思うのである。
ドラクエ5とFF10には、「レベル5デス」が有効という共通点がある(意味不明) |
というわけで。私にとって、初プレイとなったドラクエ4であるが、これがファミコン原作とは思えないくらいに、深くハマり込むことができた。
…ちなみに、PS版以降での追加エピソードとなる“6章”も、しっかりとクリアをしていった。なお、6章では、そのクライマックスで、“9人目の仲間”が加入し、最後の最後で仲間入りするということで、バランスブレイカー級の強さを発揮するのだが、その際に抜けたのは、もちろんアリーナである。それにより、パーティから女っ気が消え、イケメン3人+イケメンジジイという異色の構成になってしまったが、やむを得ないことである。
――ちなみに。6章の最後に登場する裏ボスは、高火力の炎+吹雪を使ってくるので、ブレス対策の「フバーハ」を使えるミネアが居ると楽になると思われる。ただ、私は、自分の選んだメンバーで勝ちたいという気持ちが強かったので、1バトルのためだけに天空の塔にてメタル狩りを行い、Lv35程度→Lv45とジャンプアップをし、裏ボス攻略を行っていった。こういうこだわりも、またドラクエが“クラシックRPG”ならではである。
そんなこんなで。私は、このドラクエ4に引き続き、次は「ドラゴンクエスト5(DS)」をプレイしていきたいと思う。
…さて。ドラクエ5についても、実は私は、まともにプレイしたことが無い作品であるため、ほぼ初見と言っても良い。あれだ、「天空の花嫁」(【プレイ日誌@】【プレイ日誌A】)の元ネタである作品、フローラとかいう人がかわいい、みーたーなーっ!!
ぬわーっ!!
――ところで。完全な余談だが、このように、DS版の“天空シリーズ”をプレイしている私は、同時にPSPの「遊戯王GX:タッグフォース(1)」を、寝落ち用として用意している。よって、私の寝台には、2023年の現代に、DSとPSPという往年の名ライバルが肩を並べているのだ。ちなみに、ドラクエ5のDS版を略すと、ドラクエ5DSである。ライディングデュエル、アクセラレーション!
(2023年3月31日)
【元記事】に黒線はありません。胸糞なのでFFファンは閲覧注意! |
狂気の沙汰である。“ピ”こと、クソ移植:「ピクセルリマスター」の劣化ドットを書いた渋谷■子を持ち上げる提灯記事が、Appleのオンラインアプリストアである「App
Store」に掲載されてしまった。しかも、“絵を愛する少女が、働く女性に、そして職人へと成長していった”というような、気色悪いストーリー付きで、である。
…まず、“ピ”については、いつも通り、タグ:【コレジャナイ感】の記事を読んでいただければ良いだろう。何もかもが破綻した、FF史上最低の劣化移植であり、私は既に、やり込みプレイの対象として取り扱わないことに決めている。今後、PS4&スイッチと、対応機種が増えるが、もちろん私が買うことは無いし、FF1〜6が初プレイとなる皆さまにも、できる限り他のバージョンで遊んでほしいと願っている。
――そして、その“ピ”において、驚くほどに低品質の要素の一つが、ドット絵であった。ピ1〜6のドット絵は、はっきり言って、不出来である。静止画として、立体感が無いうえに姿勢が変なことはすぐに分かるが、アニメーションとしても、コマ数が削られており、ガクガクと痙攣したような動きになっている。PSP版はもちろんとし、部分的にはSFCにすら劣っている。FCやSFCよりも、圧倒的に優れた環境を使って、30年前の原作に劣るドットを打ったという、まさに伝説的な事態なのだ。やるべきことはやらず、不要なことだけは行った。最高に、“ピ”らしいエピソードだ。
そして、この“ピ”の劣化ドットを打ったのが、渋■員子なのである。
…さて、一応、渋谷★子は、FCやSFC時代のFFにおいて、ドットデザインをしていたことは事実のようだ。その頃は、他の精鋭スタッフに並ぶくらい、腕は確かだったのであろう。だが、そこから先は、二度と最先端のFFに関われなくなり、劣化に劣化を続け、やがては、旧スマホ版FF5,6のような、寒気の走るドット絵しか作れないようになった。旧スマホ版は、知る人ぞ知る、ドット絵以外は決定版と言われた作品である。
――しかしながら。“ドット絵師”の中では、唯一の名の通る人物ということなのか、この渋×員子を、広告塔として持ち上げようという動きが生まれ、「ドットの匠」なる異名が発生した。やれ、ご存じの通り、ゲーム界では、「匠」は斬れ味の上がる言葉として知られている。よって、年々サビついていく渋谷*子のドット絵とは正反対だ。これは明らかに、宣伝目的が先行した、“作られた流行”と言えるだろう。
“後進”の皆さま、一番上のドット絵から、何か学ぶことはありますか…? |
さて。そのように、渋♪員子が、実際のドット品質とは無関係に、気味が悪いくらいにまで祭り上げられる理由は分かっている。それは、制作側だけでなく、「原作に携わった」というだけで、持ち上げる輩が、我々側にも居るからだ。
…やれ、渋谷◆子のドット絵の酷さは、もはや目が潰れているのでなければ、誰が見ても一目瞭然である。それなのに、未だに「匠」などと形容し、ドット絵の第一人者として評価するような奴らが存在する。確かに、かつては、黎明期のFFを支えた人物の一人であったかもしれない。だが、生身の人間は、必ず劣化する。その不都合な事実を、彼らは、自身と重ねたくないのだろうか…。
――しかし、そのような、「匠」という持ち上げによって、ついには、あのピクセルリマスター(笑)の、情けない劣化ドットという実害が生まれてしまった。しかも、公式は、これを10年遊べる決定版だと思っているようで、これからも、あの劣悪なドット絵が、何も知らない新規層たちに広め続けられるのである。いつもながら、私のような人間がいくら努力したところで、公式の持つ負の影響力には、決して勝てないというものだ。
というわけで。私の要求は、いつも通りである。渋谷員子を、二度とFFに関わらせるな。もう、どこぞのつれぇ作品を作った連中と同じで、「渋∀員子」という名称は、私にとって、完全に不買の対象となっている。しかし、名前を隠しても同じだ。下手糞なドット絵で、すぐに分かる。
…まあ、“ピ”については、もう発表してしまったので、仕方なく、PS4&スイッチでも出すしかあるまい。しかし、これが、ドット絵という一面だけで評価しても、決定版と言えないことは明らかであり、本当に“決定版”と言えるような作品を、できるだけ早期に出さなければならない。もっとも、それは、FF1,2,4については、PSP版をリマスターすれば、それが完全版であり、残る作品のうち、FF5,6についても、ドット絵をSFC版準拠とした旧スマホ版で十分である。2Dベースの移植が無いFF3だけは、少し扱いが難しくなるが、それはまた、後で考えれば良い。
――ということで。“ピ”なんかより…渋谷∇子のドット絵なんかより、遥かに優れた物が、既に存在しているので、実際には、それを移植するだけで良いのだ。今回の発端となった提灯記事によると、渋{員子は「後進の育成」に努めているらしいが、勘違いも甚だしい。邪魔をしているだけである。とにかく、まずはコイツを降ろさなければ、ドット時代のFFの復権などは有り得ない。可及的速やかに、何もせず、身を引いてくれることを願う。
ちなみに。このように、渋谷#子の提灯記事がこの時期に上がった理由については、3月8日の「国際女性デー」に関連しているということのようだ。やれ、この苦しい社会情勢において、男も女も垣根なく活躍すべきだという考えには、私も何ら反論するところは無い。
…しかしながら、この渋谷●子の例で考えてみると、国際女性デーが提唱する“女性の活躍”というのは、要は、才能の枯れた勘違いブスを、神輿で持ち上げ続けるというものなのであろう。それはもはや、FFを超えて、“女性”自体へのネガキャンに他ならない。
――やれ。私は、男女の共同参画とか、そういうことには、特に興味を持っていなかった。だが、渋∂員子のような下手糞ババァを持ち上げる記事により、その印象は大きく悪化した。不出来なドット絵に、男も女も関係ない。才能の枯れたババァは、黙って引退しろ!
もし反論したいなら、作品で語れ。
(2023年3月31日)
みくにゃんの良さが分かっていらっしゃる感じですかな? |
「愛のない移植」の典型例が、どこぞのカタカナ1文字であるのなら、「愛のある移植」のほうも挙げておくべきだろう。
先日、「アイドル(略)スターライトステージ」にて、アイドル(登場キャラ):「前川みく」のカバー曲として、星野源の「恋」が追加された。これが、他に例の無いくらいの、「愛のある移植」なのだ。
まず、星野源といえば、シンガーソングライターというやつであり、私のような世間一般の芸能から全く離れている人間ですら、名前を聞くことがあるくらいの、売れっ子・人気者である。そして、「恋」は、星野源の代表曲と言える1曲であり、2016年の秋冬期に放送されたドラマ:「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌として、通称「恋ダンス」とともに、大ブームを引き起こした。
…さて。星野源は、どうもゲームが好きという人物像が知られているようであり、アイドルマスターの中では、「前川みく」のファンだという。その縁もあって、2016年の12月には、シンデレラガールズ公式絵師が、「恋ダンス」を題材とした、前川みくの良さがよく分かっていらっしゃるイラストを描き下ろしたりするなど、当時はいろいろと話題があった。
――とはいえ。このように、芸能人が「○○が好き」と言う時は、宣伝であったり、はたまたイメージ戦略であったりすることも多い。芸能人は、それこそ政治家以上に、“人物像”というのが商売道具だからだ。しかしながら、その後、2017年より先には、これといった直接的な話題も無かったため、ファンの中で星野源×前川みくというカップリングは、ときどき思い出されるネタになるくらいであった…。
が。先日、2023年2月22日に、唐突に、前川みくのカバーという扱いで、星野源の「恋」が、「スターライトステージ」(以下、デレステ)のプレイ可能楽曲として追加された。もっとも、2月22日は、にゃん・にゃん・にゃんで猫の日としても知られており、ゲーム中でも、前川みくの誕生日としても設定されている。また、デレステのゲーム内にて、「カバー曲」というだけなら、既に多数が収録されている。というわけで、ただ「前川みくカバーの『恋』が遊べるようになった」というだけであれば、まあ、“誕生日に良いプレゼントを貰ったね”という程度で終わる話であった。
…しかし、この収録が凄いのは、豪華な特殊仕様である。まず、デレステ版の「恋」には、3DのMVが収録された。本ゲームには、音ゲーの背景&観賞用ムービーとして、2Dと3Dの演出が用意されており、カバー曲は大半が2Dのみであった。全キャラクター・全衣装で踊れる違和感の無い3Dムービーを作るための労力だったり、歌&ダンスで権利問題が複雑だったり、などという問題があるのだろう。しかし、デレステ版「恋」は、話題曲であり、かつ、原曲がダンス要素で話題になったということも考慮してか、3DのMVが用意された。これ自体、カバー曲としては異例である。
――しかも、MVは、例の良さが分かっていらっしゃる構図のある「通常バージョン」と、星野源自身のPVをモチーフにした「オリジナルバージョン」の2種類を引っ提げて、である。収録初日から、全く異なる2種類の3DMVがあるというのは、デレステ完全新曲にすら存在しない、前人未到の領域である。
さて。その3DMV自体の出来については、比較動画が多数アップロードされているので、一つだけリンクを貼ってみることにしよう(【ニコニコ】)。いや…こりゃ凄いわ。原曲の星野源の動きはもちろんとし、バックダンサーのダンスや、特徴的な構図などが、ほぼ全てゲーム内で再現されている。
――しかも、いわゆるプリレンダムービーとは異なり、これはリアルタイムのMVとして作られている。つまり、190人のアイドルと、1人あたり20着前後ある様々な衣装を、自由に組み合わせて鑑賞することが可能なのだ。大丈夫?
エンドフェイズに爆発したりしない??
今からでも応援しますので、どうぞ次も期待させていただきます! |
ちなみに。この星野源の「恋」がデレステへの移植を後押ししたエピソードの一つに、シンデレラガールズ公式絵師の「杏仁豆腐」氏が2016年冬に書いた、前川みくのイラスト(上図、左上)が挙げられる。
…が、絵単体だけではなく、むしろ、これに付けられた神のリプライのほうもセットとなり、話題性が増した。その元投稿こそ削除されているのだが、内容は、“公式イラストレーターに対して、それと知らずに、絵を褒め称える”という内容だ。「みくにゃんの良さがわかっていらっしゃる感じですかな?」という、何とも言えない芳香は、狙ったネタでは決して出せない、正真正銘の天然物である。
――とはいえ。まあ、ゲームのイラストレーターというと、私も名前を知っているのは、天野喜孝・野村哲也・鳥山明くらいである。そして、前述のリプは、決して悪意で書かれたものではなく、むしろ善意のみがこもっている。そして、「公式絵師」という下駄を外されたが、そのうえで純粋に絵を評価されたことが嬉しかったのか、最近でも杏仁豆腐氏は、「みくにゃんの良さがわかっていらっしゃる感じ」などと、自分でネタにしている(【該当ツイート】、【良さが分かっていらっしゃる対象】)そうだ。
というわけで。この星野源:「恋」の、前川みくカバーは、何が欠けても実現しなかった。星野源が前川みくのファンをやめていたら、代表曲「恋」がダンス要素で話題とならなかったら、そのイラストを公式絵師が書かなかったら、その投稿に神のリプが付かなかったら…。
そしてもちろん、カバー制作が決定したのちも、単なるキャラのカラオケで済ませず、“2種類の3D演出を作って、原曲MVを徹底的に再現する”という、ゲーム制作スタッフの狂気的な熱量があったはずだ。星野源の、【インスタ】?(よく知らない)によると、星野源側に声が掛かったのが2年半前ということであり、制作現場では、それより前から準備が進んでいたのだろう。
――さて、元の「恋」はもちろん人気曲であり、ただ単純な移植でも、一定の話題性は出せただろう。しかし、そこに甘えず、スタッフも、源にゃんの良さが分かっていらっしゃる感じとなり、再現に徹底的なこだわりを見せた。明らかに、ゲーム完全新曲を超える労力が掛かっている。だが、それがいい!
さて。さすがにこれは極端すぎる例だが、私は、商業・非商業を問わず、創作活動というのは、こうあるべきだと思う。作家性の強い作品は、頭がおかしくなったかのようなこだわりがあって、初めて世間に評価され、長く語り継がれるようになるのだ。それは、作品に対する「愛情」と呼んでも良いだろう。逆に、“元ネタがあるから、シリーズ物だから、楽をできる”…そんなことを考えている人は、どうぞ帰って。早く。
(2023年3月31日)
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