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管理人の日記ログ
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男性読者の皆さま、「姉」か「妹」のどちらかが欲しいと思ったことは無いだろうか? というのも、エ○ゲーなどで「姉」「妹」というジャンルは定番になっており、その影響で自分にも姉や妹のどちらかが居れば良かったと思う人は多いであろうからだ。ちょうど、ネットのニュースで「姉と妹のどっちが欲しい?」という話題が出てきたということで、当サイトでもその内容を取り上げてみることにしよう。
・・・まず、男性は一般的に“若くて可愛い年下の女性”を好む傾向があるため、ギャ○ゲーやエ○ゲーなどでも、「妹」というジャンルのほうが人気である。しかし、近年の不明瞭な社会環境においては、包容力があってしっかりしている「姉」というものも、実に捨てがたい。よって、そのどちらかを「魅力的である」と一概に言うことなど、不可能に決まっているのである。
――ちなみに、上記のネットニュースでのアンケートの結果としては、「@姉が欲しい:35.1%」「A妹が欲しい:26.0%」「B両方欲しい:17.9%」「Cどちらも要らない:21.0%」というものであった。結果として見ると、「姉」のほうが「妹」というジャンルよりも優勢だったということになる。その理由としては、「女性について学べそう」「面倒を見て欲しい」「友人のお姉さんが綺麗だった」「甘えたい」などというものが挙げられている。まあ、これらの結果は個人個人の経験によるところが大きく、一方的に言うことはできないのであるが・・・これらの結果を考えると、現代の社会では「誰かに頼りたい」と思っている男性が多いのかもしれない・・・。
さてここで、皆さまの客観的な感想とはまるで異なる、「俺個人の意見」というものを述べてみることにしよう。俺は、「妹」というものに1票を投じたいのである。
・・・まず、このような意見について多いに参考となる、「俺個人の経験」というものを述べてみると、俺は「兄」「兄」「俺」「妹」という4人兄弟の構成で育ってきたが、そもそも俺は「男というのは女性にとって頼りになる存在で有らなければならない」という価値観を持っているため、包容力のある女性に抱擁してもらうよりも、むしろ自分が相手を「包容」してあげたいと思っているのである。やれ、俺の実態はともかくとして、「相手を支えてやりたい」という考えに至るのは、男として至極当然のものであると言えよう。だから、もし俺が「年下の男の子♪」とか言われたとすれば、即座にきあいパンチで相手を吹き飛ばす自信がある。
――ちなみに、そんな「妹派」である俺に関して言えば、「実在妹」と特に関係が良かったり、はたまた極端に悪かったりするかと言うと、別にそんなことは無い。俺の兄弟関係では、兄2人が先に進んでしまったぶん、年下の俺たち2人は趣味が合う傾向にあったが、別段それ以外に何ということは無い。普通に仲が良く、俺にとってクリティカルな「遊戯王」や「ゲーム」などで話題が共通するだけの兄と妹であった。残念ながら、男性読者の皆さまが期待されるであろう「兄」と「妹」のような関係は、何も無かったということである。まあ、妹も大変だろうな・・・兄がニートだと・・・。
と、いうわけで。本日は、「姉」と「妹」という、かなり皆さまの生活に直結する話をしてしまった。実は、過去のアンケートによって、この日記の読者の大半は男性であるという結果が出ているため、皆さまの仲にも「姉」や「妹」という存在について、特別な感情を持っている方は多いであろう。逆に、数少ない女性読者にとっても、他の男性との「年下」「年上」という関係を考えるうえで、良い“きっかけ”となったはずだ。
――そんなこんなで、本日は「姉」と「妹」というものに関して、様々な考察を加える記事となったが、では並一通りに言って、「姉と妹」とは果たしてどういうものなのだろうか? 本日は、それを定義する1枚の画像を載せてみることにしたいと思う。さあ、「姉妹」とは、つまるところこういうことなのである・・・!!
(2013年1月31日)
上の絵は、あの有名なアドルフ・ヒトラーが描いた作品である。彼は、若い頃に画家を目指していたのだ。ところで皆さまは、この絵を見てどのような印象を持つだろうか?
恐らく、多くの人は(;・∀・)「確かに上手いけど、なんか面白みに欠けるな・・・」と思うことだろう。実際、当時の評価もその程度であり、それを聞いた彼は画家への道を諦めてしまったそうだ。なお、その後の彼は、ドイツが第一次世界大戦に敗北して悲惨な姿になってしまったことを目にし、その後の世界を大きく左右する決断を下していくわけであるが・・・その件に関しては、また日を改めて扱うことにしよう。
・・・というわけで、本日のテーマは「芸術」である。やれ、芸術作品と言われてもサッパリという人が大半であろうし、俺も全く意味が分からない。とりわけ、ただ適当に絵の具を塗りたくっただけのような絵画が何億という価格で取引されているニュースを聞くと、もう堪らない理不尽さを感じてしまう。それくらいの絵ならば我々でも描けるし、ならば我々の絵が数億で取引されても良いはずなのだ。
――だが、実際にはそうはならず、芸術家の絵は「芸術」として扱われ、我々の絵はただヘタクソなだけになってしまう。では、「芸術」とそうでない物の違いは、果たしてどういうところにあるのだろうか?
ここで、「芸術」というものを読み解くキーとして、一つの例を挙げてみることにしよう。例えば、俺が「ちんこ」とだけ書いた日記を更新したとする。すると読者の皆さまは、(
・∀・)「ああ、ちんこね」と納得し、それで終わりにしてしまうはずだ。だが、もし「源氏物語」に「ちんこ」とだけ書かれた巻が見つかったとしたら、果たしてどうなるだろうか。それはもう、(;w∀w)「なぜ『ちんこ』なのか?
どうしてこのタイミングで『ちんこ』なのか?
『ちんこ』としか書かれてないが、この『ちんこ』はどういうことを示唆しているのか?
ちんこちんこちんこ!!」と世間は大騒ぎになることであろう。同じちんこなのに人によってここまで扱いが違うのである。実に理不尽だ。理不尽で理不尽で仕方が無い・・・。
さて、この例から分かることは、つまり「芸術」とは内容以上に「その背景」が重要になるということである。我々がヘタクソな絵を書いたとしても、それは単にヘタクソなだけで終わってしまうが、上手い人がヘタクソな絵を書けば、「この絵で何を表現しようとしているのか」という考察の余地が生まれてくる。そのように「受け手に何らかの感情を抱かせる」ことこそが、芸術が持つ真の価値と言えるのだ。例えば、ピカソは普通の絵がとてつもなく上手く描けるからこそ、あのような捻くれた作風が評価されるのであるし、近年の例を挙げてみれば、初代「エヴァンゲリオン」の最終話なんかは、単純に見れば作品崩壊・意味不明な形での完結と言わざるを得ないが、その滅茶苦茶な内容がファンの間で話題となり、今なお多くの人に語り継がれるシーンとなっている。それは、いわゆる「芸術」が話題になるカラクリと、大差は無いというものだろう。
――やれ、このような「芸術」について、皆さまの中には「裸の王様」だと捉える人も居るかもしれない。つまり、ヘタクソな絵に適当な理由を付けて祭り上げているだけで、作品それ自体には何の価値も無いということである。しかし先ほども言った通り、芸術の価値は「受け手」が決めるものであり、それは歴史・背景・経験・知識など様々な要素に左右されてしまうため、部外者がわざわざ水を差すことはできず、その必要も無いというものだ。まあ、正直めちゃくちゃに高い絵画なんかは、「金持ちの道楽」か、はたまた「マネーロンダリングの手段」くらいにしか思えないのであるが・・・。
結局、「芸術」とはよく分からないもので、「よく分からないからこそ人々の記憶に残り、価値が出てくるもの」(?)だということが分かった。だからこそ、「芸術」の定義というものは実に難しく、せいぜい「我々の間に感情を抱かせるもの」くらいに表現するのが限界である。恐らく、今回のような「芸術とは何か」という議論は昔から散々行われてきて、そして未だに結論が出ていないのだろう。さらに言えば、こうやって議論を巻き起こしている時点で「芸術」は更にその名声を高めているため、もはや何をやっても無駄という感じである・・・。
――が、そうやって「人それぞれ」で終わらせてしまったら、この文章を書いた意味は無い。そこで本日は、俺なりに「芸術」というものを定義した画像を載せてみることにしよう。芸術とは・・・つまり、こういうことだ!!
(2013年1月31日)
今年もこの季節がやってきた。ついに、あのカップ麺:「辛辛魚(からからうお)」が発売される日がやってきたのである。
・・・このカップ麺は、名前やパッケージからも分かるように「激辛」というものをテーマとしており、例年の年明けあたりに“限定商品”として発売されている。やれ、他にも「辛さ」をテーマとしたカップラーメンは山ほど存在するのであるが、この「辛辛魚」は類似商品よりも辛さのレベルが圧倒的に上であり、しかも辛さの中にもコクがあるという、実に奥深い味わいとなっている。この「辛辛魚」は、「カップ麺」というジャンル全体でも圧倒的な魅力を誇っており、まさに全ての麺が過去になったというレベルの商品である。俺が発売日を楽しみにしているカップラーメンなど、「辛辛魚」を除いて他に有るはずもないのだ。
――さて、このカップ麺は「激辛」がテーマであり、いわゆる「激辛(笑)」とは違って本当に辛く、生半可な気持ちで取り組むと確実に後悔する(※重要)ため、辛さが苦手な人は購入自体を控えるか、または辛味調味料の量を半分程度にするなどして、それぞれの形で楽しんでほしい。これは本当である。その他、この商品は何故か毎年1月末からの限定販売となっており、店にもよるが、概ね1ヶ月程度しか購入することができない。確かに、「好き嫌い」や「辛味に対する得意不得意」はあるだろうが、これだけの存在感を誇っているカップ麺なのだから、そろそろレギュラーメニューにしても良いと思うのだが・・・。
そんな「辛辛魚」の、この2013年における発売日は本日(昨日)の1月28日となっており、俺は去年の末くらいからこの日を楽しみにしてきた。そしていざ発売日を迎え、コンビニを回ってみると・・・例によって熱狂的なファンに買い占められており、どこもかしこも売り切ればかりであった。そもそも、コンビニによっては発売開始が1日ずれていたり(○ーソン系列)、恐らくは「一般向けではない」という理由で入荷しないところ(○ブン○レブンなど)などもあるため、入手は至難の業である。俺も、近所のコンビニ10店舗以上を回り、もう諦めようかと思った最後の店で運良く品出しのタイミングに遭遇し、やっと購入ができたくらいであった。
・・・さて、今年の「辛辛魚」は、パッケージに「限界突破 -辛さリミット解放!!-」とあることからも分かるように、これまでよりも更に「辛さ」を重視した作りになっているようだ。俺は、「辛さ」というものにかなり鈍感な人間であるため(【2013/1/8】)、「例年より更に辛くしてくれる」ということに対して、大きな期待を持っていたのである。
――と、いうわけで、発売日に何とか「辛辛魚」を購入できた俺は、さっそく2つ食べてみることにした。その感想としては、以下のような感じになったのである・・・!
◆2013年版 「辛辛魚」の感想 |
・「辛さ」は確かにアップしている。さすがの俺も、(;^o^)「これはちょっと苦しいな…」と感じるくらい |
・・・と、いうわけで。今年の「辛辛魚」の感想としては、「辛さはアップしたのだが、逆に『おいしさ』という重要な面が弱体化してしまったのではないか?」という結果になってしまった。確かに、「辛さ」という物理スペックは上昇しているのだが、本来スープが出してくれるはずの芳醇な「コク」が薄まっており、しかも具材として定着してきた「海苔(のり)」も無くなってしまったということで、全体として“味わい”が低下してしまったような印象を持つ。しかも、「辛さ」だけはパワーアップしているせいで、一般層からは敬遠され、シリーズファンにとっては「コクが無い」などと敬遠されてしまうという、まさに続編として最悪の状況に陥ってしまった。
――ただ、このような長く続いたシリーズものにとって、「ファンの間で意見が分かれる」というのは、よくある話である。俺も、確かに今年の「辛辛魚」に関しては少し辛辣な評価になってしまうが、しかし「辛辛魚」が他のカップ麺に比べて圧倒的に高いレベルを実現していることは間違い無いし、こうやって厳しい意見を言ったところで、俺の「辛辛魚」への愛着は少しも変わりようが無い。好きだからこそ、意見も厳しくなってしまうのだ。
そんなこんなで、本年度の「辛辛魚」は、去年までとは少し作風が違うものの、今まで通り魅力にあふれたカップ麺であることが分かった。
・・・さて、この「辛辛魚」は、前述の通り“期間限定”の商品であるため、是非とも皆さまにはこの時期に食べて貰いたい。が、今年は「辛さ」という面が特に過激さを増しているため、辛い物が苦手な人々の場合は、内包パックの辛味成分の量を調整するなどして、各自で注意をする必要があるだろう。俺が「まあこれは辛いな」と思うということは、恐らく一般には食べ物として認識できないレベルの辛さであろうため、捕食には万全の注意を払ってほしいものである。言ったぞ、俺はちゃんと言ったぞ・・・!!
――まあ、そんな感じで、俺は今年も「辛辛魚」を辛いながらも楽しんでいけそうな感じである。辛いけど楽しい、楽しいけど辛い・・・それが人生だ!!
(2013年1月31日)
最近では、刑事ドラマを見終わった後に(´・∀・`) 「で、犯人は誰だったの?」などと質問する人がいるそうだ。話を聞け話をっ!!!!
・・・まず、「刑事ドラマ」とは、主に「殺人事件の謎を警察官が解き明かしていく」という内容の物語であり、“定番ジャンル”として数多くの番組が放映されている。他メディアで言えば、漫画なら「金田一少年の事件簿」、ゲームなら「逆転裁判」あたりが近いだろうか。その面白さは、「犯人は誰か」「どういうトリックで事件を起こしたのか」「事件の裏側にはどういう事情があったのか」などのものがあり、善悪のハッキリしたシンプルな筋書きだからこそ、様々な味付けも可能になってくる。やれ、現実の犯罪捜査はどうだか知らないが、フィクションの世界において、「刑事もの」というジャンルは完全に定着していると言えよう。
――しかし、そのようなドラマにおいて、感想として「で、犯人は誰だったの?」というものが出るということは、つまり物語が全く分かっていないということになり、まさに本末転倒としか言いようが無い。例えるなら、「ファイナルファンタジー13」をプレイし、ラストシーンを完全にすっぽかして(´・∀・`)「で、ルシたちはどうなったの?」と言っているようなものだ。勿体ない・・・勿体ない・・・この世は勿体ない・・・。
では、なぜ「で、犯人は誰だったの?」のような仰天の発言が生まれてしまうのだろうか。その背景には、近年普及してきた「実況」という文化があるかもしれない。
・・・というのも、ここでの「実況」とは、「インターネット上にリアルタイムに感想を書き込むこと」を指している。皆さま、うさんくさく思う人が大半であろうが、実際にやってみると「自分の声を発すること」「他人と感想を共有できること」というダブルの楽しみを味わうことができ、なかなか奥深いものとなっている。現在では、2chには実況専門の掲示板が存在し、Twitterなどソーシャルメディアで実況を行う人もいるなど、実に「実況」という文化は盛り上がっており、まさに「インターネット時代の新しいテレビの楽しみ方」であると言える。人によっては、幼い頃に家族と共にテレビを見た時のような気持ちを思い出すかもしれない・・・。
――が、その「実況」で新たな問題が出てきてしまう。それは、「実況に熱中しすぎて展開を見落としてしまう」ということである。感想をキーボードで打ち込むことに気を取られすぎてしまい、本来の目的であるはずのテレビ番組が完全にそっちのけとなってしまう。だから、刑事ドラマの感想として「で、犯人は誰だったの?」などという仰天のものが出てきてしまうのだ。まあ、あくまで「娯楽」なのだから本人が楽しければそれで良いのであるが、しかしせっかく「刑事もの」という犯罪の謎を解き明かしていく番組を見ているのだから、せめてその結末くらいは理解した方が良いのではないだろうか・・・。
さて、そのような問題は、実は「漫画」「ゲーム」などの他ジャンルでは起こりえない。というのも、漫画・ゲームの場合は自分のテンポで話を進めていくことができるからである。例えば、「逆転裁判」で「犯人は誰だったの?」という感想を持つ人はほとんどいないはずだ。まあ事件を解き明かしたはずなのに全く意味が分からないという場合もあるのだが、それはまた別次元の問題である。
・・・しかしながら、テレビは自動的に時間が進んでしまうため、何かを見落としてしまうと最後、もう二度と分からなくなってしまう可能性があるのだ。まあ録画をしておけば見直すこともできるのだが、それでは実況にならない。「実況」のためには必ず目を離さなければならないし、そうでなくても演出上の都合や視聴環境などで、意味が分からなくなってしまうことも存在する。
――というわけで、そういう人々にお勧めしたいのが、テレビ本体の「字幕機能」である。デジタルテレビでは、ほぼ全ての番組で「字幕」を利用できるようになっており、番組内の台詞を文字として読むことができる。もちろんそれにより、「文字が邪魔になる」「俳優・声優の演技の重要性が薄れてしまう」などの問題も発生するのだが、逆に「チラ見するだけで台詞が分かる」「安定して見られない環境でも内容を理解できる」「難しいカタカナ語や漢字などを文字として読める」「ネタ画像に使いやすい」などのメリットも出てくるため、どちらが良いかは難しいところである。何はともあれ、一般的なテレビであればリモコンから、PS3のtorneなら△ボタンのメニューからいつでも変更できるため、視聴環境や番組内容に合わせて臨機応変に使っていこう。少なくとも、実況には大いに役立ってくれる。あと腹筋とか。
そんなこんなで、(´・∀・`)「で、犯人は誰だったの?」という迷言が生まれる背景にも、様々な事情があることが分かった。確かに「実況」は面白いものだが、それで刑事ドラマの犯人を見落としてしまうようでは本末転倒である。だから、もしまだ知らない人が居たとしたら、「字幕」を使ってみるというのも良いかもしれない。「番組」と「実況」、両方をバランス良く取り合わせて楽しんでいきたいものである。
――と、いうわけで。ここまでの内容とは全く関係無いが、本日は俺の秘蔵の画像フォルダから、「で、犯人は誰だったの?」という画像を掲載してみたいと思う。さあ、早速行ってみよう・・・!!
*1*
(どういう…ことだ…?)
*2*
(「裸になって何が悪い」…哲学的な言葉だな…)
*3*
(※無編集です)
*4*
(うわぁ…)
(2013年1月31日)
インターネットでは、そこで使用する“仮の名前”のことを「ハンドルネーム」と呼ぶ。本日は、そんなハンドルネームの中でも、厨二的な心を持った「痛ハンドルネーム」について語ってみることにしよう。
・・・やれ、皆さまご存じの通り、「インターネット上で本名を公開する」という行為は、あまりよろしいものではない。その悪用法は、インターネット普及当時から現代に渡って数知れずというもので、全ページを「堅牢」で守るくらいの覚悟が無ければ、決して本名を使ってはならない。そのため、人は「ハンドルネーム」を用いるのだが・・・しかし、いきなり「名前」を考えろと言われても悩んでしまうもので、こういう時に人は「よく見知っている用語」を参考にするそうだ。本名を少し改編してみたり、好きなミュージシャンやスポーツ選手を引用したり、ゲームの中のキャラクターになりきってみたり・・・と、だいたいそんな感じである。
――だから、恐らくインターネット上の人々に「あなたのハンドルネームの由来は何?」と聞けば、ほとんどの人は明確にその理由を答えられることだろう。まあ、大半の人はそれほど深く考えずに名を付けたと思うが、だからこそ「地」が出るというものだ。「名は体を表す」とはこのことであろう。ということは、「痛ハンドルネーム」の方々は・・・。
では、具体的に「痛ハンドルネーム」の例をご覧いただこう。代表的なものとして知られているのが、「†漆黒の堕天使†」である。まず“漆黒の堕天使”とは何なのか、それ以上に「†」はどういう意味なのか実に気になる。加えて、字面・発音・全体としての意味不明さから、まさに「痛ハンドルネーム」というに相応しい。その他の例としては「卍 鬼斬皇
卍」「双天神」「紅キ黒炎ノ龍」「次元騎士―トワイライトナイト―」「綺羅」「§刹那§」などなど、どれも悲しいくらいの背伸び感を思い出す。シリーズものとしては、旧日本海軍の戦闘機名は「彩雲」「紫電」「極光」「雷電」「菊花」「震電」など、現在まで繋がる厨二魂の原点を感じることができる。電気使いすぎだろ。節電しろよ。なお、そのような旧日本海軍の厨二魂は何故か現代では中国に受け継がれ、「神舟」「天河」などの心くすぐるワードを連発しているらしい。
・・・しかしまあ、そのような“痛ハンドルネーム”は、見ている限りでは面白いのだが、しかし実際に関わるとなると実にめんどくさいものである。例えば、俺がもし「つる」ではなく「‡神聖魔導王‡」と名乗っていたとしたら、プレイ日誌を公開するたびに「†神聖魔導王†」という恥ずかしい名前が晒されることになり、あいさつをする時も「こんにちは。朝起きたと思ったら夜になっていた神聖魔導王です。」などと気の抜けるような文章を書かなければならない。もしOFF会でもやってしまえば大変なことになるし、身の回りの人から(*・∀・)「ねえねえ、神聖魔導王ってどういう意味なの〜?w」なんて聞かれたら、もう人として生きていくことができなくなってしまう。その後、何らかの形でハンドルネームを改正したとしても、影では「神聖魔導王(笑)」とささやかれ続けることだろう。いやあ、小学生の時に普通のハンドルネームにしておいて良かったわ・・・。
――ちなみに、もしそのような「痛ハンドルネーム」を作ってみたいと思う方が居たとしたら、その時に重要なのは「背伸び感」である。例えば、「エースコンバット3」や「メタルギアソリッド2」のように完全に意味不明方面に振り切ってしまえば、それは誰も「厨二」としては捉えてくれない。つまり、「我々がギリギリ知っているレベルの知識」を出すことが、「厨二魂」の極意なのだ。
と、そんな感じで。「痛ハンドルネーム」というものは、ちょっと苦しく、ちょっと微笑ましい、“初恋”のような味を持っていたのである。初恋=厨二病か・・・。
――だから皆さまも、恥じることなくどんどんと「厨二病」を発揮していって良い。人間、今より上を見ようという目的意識がなくなってしまえば、おしまいである。さあ歩みだそう! 紅魔、‡大樹イグドラシル‡、恋するウサギちゃん、シイゼエボオイ・エンドゼエガアル―その男の子と女の子を見よ―、美しい魔闘家鈴木、“賢人会議”、ラ・ヨダソウ・スティアーナ、「能力」、蒼信号朱信号、グラジオラスの剣、「デュエルドラゴン」、自警隊・・・。
(2013年1月31日)
皆さまは、学校や街中で女の子と出会ったとき、まずどこを見るというものだろうか? 俺は・・・「音楽」かな・・・。
というのも、女の子が登場すると、まずはその「テーマ曲」が流れると思う。「テーマ曲」は、文字通り女の子の“イメージ”を表すための楽曲となっており、そこから様々な要素を読み取ることができる。楽しい雰囲気の人、上品な人、辛い過去を持った人、男勝りな人、女の子女の子した人、文系・理系・スポーツ系の人などなど・・・。もちろん、「見た目」や「性格」なども重要なのであるが、それらの要素を引き立ててくれる「音楽」が大切なことは言うまでも無い。そして俺の経験から言って、「テーマ曲」が良い女性には好印象を持ちやすい傾向にある。そのため、俺は女の子で一番重要な物を「音楽」だと考えているのである。
――しかし、これについてはおかしいと思う人も少なくないであろう。というのも、俺は最初に「女の子のどこを見る?」と質問したのだ。そして、それについての答えが「音楽」となると、結果は当然「音楽を“見る”」という文章的に変な表現になってしまう。しかし、これはあくまで“対人関係”、とりわけデリケートな女性関係のことだから、こういう「音楽を“見る”」のような哲学的な表現があっても良いのではないだろうか。いや、そこじゃない。そもそも現実世界の女の子には「テーマ曲」とか流れませんので!!!!
というわけで、残念ながら本日は「ゲーム音楽」の話なのであるが、しかし現在でも「ゲーム音楽」というのはファミコン時代から全く変わらない重要性を誇る。人間が最も多くの情報を得るのは「視覚」であり、そもそもゲームは「映像メディア」の観点があることから、その「グラフィック」または「グラフィック表現」というものが極めて重要になることは、言うまでも無いことであろう。
・・・しかし、そのような「ゲーム文化」において、俺が「音楽」を最も印象に残ると考えている理由は、果たして何なのだろうか。それは恐らく、明確に個性付けが出来るということであろう。というのも、同じゲーム内では「映像」というのは似通ったものになってしまうが、「音楽」は音質・曲調・楽器・テンポなどの点で、グラフィックに負けず劣らずの表現を行うことができる。だから、「働きアリの法則」ではないが、ゲーム内には数十もの楽曲が存在し、誰でも「好きな曲」と「嫌いな曲」が出てくるものであり、その「好きな曲を音楽プレイヤーなどで楽しめば、すぐにそのゲームが大好きになってしまうのだ。
――特に俺は、「ゲーム」という映像・音楽だけに絞られた文化において、「音楽」が果たす役割は極めて大きいように思う。現に、俺の音楽プレイヤーに入っている曲は、もう10年近く前からゲーム音楽が大半を占めているし、最初に「(ゲームの中の)女の子で最も重要なのはテーマ音楽」と書いたのも、別に冗談のつもりではない。やれ、「ファイナルファンタジー13」くらい極端にグラフィック表現に凝っていればそれは立派な「個性」となるのであるが、近年では様々な問題によりそこまでできないゲームが増えてきたため、「音楽」というものが更に重要になってきている。「音楽」には個性があるし、「色」も間違い無く付けられるし、「ゲーム音楽」に存在する「職人」たちは、他の音楽分野と比べても全く劣るものではない。さて、この「ゲーム音楽」という文化が正しく評価されるのは、果たしていつのことになるやらだ・・・。
そんなこんなで、本日は「女の子で最初に見る場所=音楽」という意味不明な記事になってしまった。現実世界の女の子にテーマ音楽は流れてくれないし、そういう人間が居たとしてもただの痛い奴になってしまうため、実質的には「ゲーム音楽は魅力的だ」という内容になってしまう。まあ、俺が20年近く親しんできた「ゲーム」という文化でそうなのだから、仕方無いのかもしれない・・・。
・・・ところで、世間では「実際に完成したキャラクターに合わせて楽曲を作る」という作業が主となるのであろうが、逆に「楽曲に合わせてキャラクターを制作する」という順番になったとしたら、問題は起こるのだろうか? いや、そんなことは無いだろう。というわけで、本日は「音楽からキャラクター性を想像する」ということを、皆さまにも楽しんでほしい。残念なが当サイトは“テキストサイト”となっているため、楽曲ではなく楽譜での掲載となるが、「楽譜の見た目」というものからも、楽曲が表現するイメージを十分に捉えることができるだろう。では、早速行ってみようではないか・・・!
*Lv.1*
(女の子らしい女の子、編)
*Lv.2*
(悲しみを帯びた女の子、編)
*Lv.∞*
(あのさぁ…)
(2013年1月31日)
「エースコンバット」(ACE COMBAT)は、ナムコから発売されている“フライトシューティング”のシリーズである。プレイヤーは戦闘機のパイロットとなり、敵の飛行機をミサイルや機銃で撃墜しながら、謀略の渦巻くストーリーを進めていく。そのシンプルな操作性に奥深い内容、熱いシナリオや優れたBGMなどから、多くのゲーマーたちの心を掴み、PS〜PS2時代を代表するタイトルの一つと言えるほどの人気を博した。現在、20代前半くらいでやたらと戦闘機に詳しい奴が居たら、その半分程度はこの「エースコンバット」シリーズのユーザーであると言えよう。もちろん俺もその一人である。
・・・と、いうわけで。本日は、そんな「エースコンバット」シリーズについて、いつもの「思い出」という形で振り返ってみることにしよう。なお、現在でも一応「エースコンバット」シリーズは続いているのだが、様々な理由により、残念ながら俺にとっては完全に「過去のゲーム」となってしまった。そのことについても、本日は解説してみようではないか。
では、フライトシューティング:「エースコンバット」の魅力とは、果たして何なのだろうか。それは、簡単に言えば「シンプルな操作性と熱いストーリー」である。
・・・というのも、上にも書いた通り、このゲームでは「戦闘機を操縦する」ため、現実的には非常に難解な操作が必要となってしまう。が、このゲームではそういった部分をバッサリと省き、「戦闘機を飛ばして敵と戦う」という遊びやすさ・爽快感を重視した作りとなっている。そのような姿勢から、現実派軍オタには顔をしかめられることもあるが、もしリアルさを追及して「ミサイルは数発程度しか積めない」「何百キロも離れたところから一方的に攻撃すればOK」となってしまえばゲーム性もクソも無いため、ある程度は仕方無いというものであろう。だからこその「シミュレーター」ではなく、「フライトシューティング」なのだ。
――しかし、ゲーム性自体がシンプルなゆえに、それだけだと単純な作業ゲーとなってしまいがちである。それを補足するのが「熱いストーリー」なのだ。「エースコンバット」では、主人公は戦闘機パイロットの1人として国家同士の戦争に参加していくのだが、ただ敵を倒して終わるというものでなく、謀略の渦巻く戦場に様々な形で身を投じることになる。その一筋縄では行かないシナリオも人気であり、「どのようなストーリーが展開されるのか」、また「それがどのような視点で描かれるのか」ということが、ファンの間では毎回大きな関心事となっている。いわゆる「無線」は、シリーズの象徴と言える演出だろう。
・・・その他、「グラフィック・BGM演出」や「全体としてのボリューム感」「称号などの収拾要素」も抜群であり、プレイヤーの中ではタイムアタック・スコアアタックはもちろん、無誘導で射程が短く威力も低い「機銃」を逆手に取って、「機銃クリアー」という大胆なやり込みプレイを行う人もいる。この「エースコンバット」は、遊びやすく奥深い、まさに全てのゲームファンにお勧めできる大傑作になっているのである。
では、そのように優れた「エースコンバット」シリーズが、なぜ俺にとっては「過去のゲーム」となってしまったのだろうか。それは、ひとえに「ゲーム性の限界」(+発売ハードのゴタゴタ)というものにある。
・・・というのも、エースコンバットの“ゲーム部分”での内容は、要するに敵を順番に撃墜していくことであり、ミサイルで攻撃されてもグルグル回って回避すれば良いだけである。そのため、面白さの大きなポイントを占めるのが「シナリオ・BGM・グラフィックなどの演出」なのであるが、そのようなスペック面での進化はPS2の『5』で極まってしまったため、以降はいまいちパッとしない作品が続くことになった。そのうえ、当時の正統続編であった『6』がまさかのXboxでの発売となり、ここで多くのファンが一気に脱落してしまった。俺も『6』はプレイすることができず、そこから「エースコンバット」自体に急速に興味を失ってしまったのである。
――その後、一応2011年に『アサルト・ホライゾン』という作品がPS3でも発売されたのだが、その時の俺は既に「エースコンバットはもういいや」と考えてしまっていた。現時点でも、特に主体的に買おうという意欲は無いし、ネットの評判を見ても良い続編であったという声は聞こえてこない。似たような境遇の「バイオハザード」とは異なり、もはや完全に「エースコンバット」は過去のゲームとなってしまったのである・・・。
さて、俺にとって残念な結果になってしまった「エースコンバット」シリーズであるが、未だに「過去の名作」としての価値は健在である。そのため、もし遊んでみようと思った方が居たら、俺がプレイした『3』『4』『5』『ZERO』『X』はどれもオススメであるが、一つだけ挙げるとすればPS2の『5』であろう。2004年に発売された『5』は、シリーズの集大成と言えるようなゲーム性に、壮大なシナリオ演出、「FF」シリーズにも匹敵しうる大迫力のBGMなど、まさに「大作」と呼ぶに相応しい作品である。未プレイの方は、今からでも遅くないので、是非とも何らかの形で遊んでみてほしいものだ。
・・・ところで、この「エースコンバット」シリーズは、残念なことにPSアーカイブスでは一切配信されていない。このような傑作は、安価でいつでも入手でき、携帯機で手軽に楽しめるようにするべきだ。それは、まずはPS3・PSP・Vitaなどのユーザーにとって大きなメリットになるし、やがては「ゲーム業界」というもの自体に良い影響を与えてくれることだろう。
――やれ、現在では、PS・PS2時代のような大々的な“ゲームの進化”というものは、残念ながら望めなくなってしまった。だが、俺はまだ「ゲーム」という文化には伸びしろがあると思いたい。だから、ユーザー・業界ともに「エースコンバット」のような優れた作品に触れることで、何か突破口を作っていきたいものである・・・。
(2013年1月31日)
世の中には、自己啓発の一つとして「身の回りの全てに『マル』を付ける」という方法があるそうだ。というのも、「自分が生活している環境を肯定的に捉えることで、前向きな考えができるようになる」という理論である。が、そのように考えられる人はよほど楽天的というものであり、それほど多くは存在しないであろう。実際、これを読んで「よーし、じゃあ明日から満員電車で風呂に入ってないオッサンの臭いを肯定的に捉えてみるぞー♪」などと思う人は皆無であろうことからも、この方法の空虚さがよく分かるというものである。
――というわけで、俺が当サイト読者の皆さまにオススメしてみるのが、逆に「身の回りの全てに『闇』を付けてみる」という方法である。要するに、「自分が生活している環境を厨二病的に捉えることで、前向きな考えができるようになる」のである。現に、中身不明のゲテモノ鍋を「闇鍋」と呼んで笑いに変える行事は一種の文化として誰でも知っているだろうし、理解不能な人々を「闇の眷属(けんぞく)」などと呼んで笑いと共に敬意を払うやり方は、「皮肉」をさらに昇華したような手法として、若者たちに定着している。「身の回りを厨二的に捉える」ことで、人は幸せになれるのだ。
では、「身の回りの全てに『闇』を付ける」という“誇リ高キ「行為」”は、現実世界にどう顕在すれば「契約の轍―ワダチ―」となるのだろうか?
・・・これは、具体例を挙げてみると良いかもしれない。例えば、俺がパッと思いついたのは、「ヤマザキ闇のパン祭り」というものと、「チャート式・闇からの数学II」というものである。これらは、個人的には大爆笑してしまったので、少なくともこの手のネタとしては成功なのであろう。逆に、適当に思いついたワードに「闇」を付けただけの「闇ニート」だとか「闇光歌合戦」などというものには何の魅力も感じず、失敗となってしまった。
――そうなると、面白い「闇」ネタには、果たしてどのような法則があるのかという疑問が出てくる。しかし、これはまあ、言ってみれば実際に当てはめてみて面白いと思ったものが面白いのであり、何らかの定義を述べるのは実に難しい。逆に、意外なものでも「闇」ネタが面白くなるということで、今回は是非とも皆さまに試して欲しいものなのである。それはきっと・・・この世のもぽではない。
というわけで本日は、そのような「闇」ネタについて、俺も幾つか考えてみることにしたのである。
・・・だが、その手の「厨二病ネタ」というものは、時代と共に変遷していくものである。例えば、毎年W月にある前期天王の聖誕祭たる「翠の碑」が、今では「Show和!!の日」という欧米かぶれに変わってしまったように、我々のネタも時勢に合わせていく必要が存在するのだ。しかし、「厨二病」が楽しいことには変わりないのである。さあ、是非とも皆さまも今日から、身の回りの全てに「闇」を付けてみてはいかがだろうか・・・!?
◆1 「闇日本国憲法」編 |
◆第1条 天王は、闇の象徴である。 ◆第9条 日本國民は、闇と光を基調とする國祭陛和を聖実に貴求し、 國権の発動たる銭葬と、舞力による威殻または舞力の行使は、永久にこれを放棄する。 ◆第15条 すべて皇務員は闇の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 ◆第25条 すべて國民は、健康で文化的な最低限度の聖活を営む権利を有する。 |
◆2 「センター闇語」編 |
初受験・・・ども・・・ 俺みたいな24でセンター試験を見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今年の試験場の会話 あの数IA難しい とか あの英語キチガイ とか ま、それが普通ですわな かたや俺は国語の時間で小説を見て、呟くんすわ spin spin spin.廻ってる?それ、誉め言葉ね。 好きな問題 『闇への道』、ダー、ク、ロードです 尊敬する言葉 シイゼエボオイ・エンドゼエガアル(国語行為はNO) なんつってる間に80分っすよ(笑) あ〜あ、センター国語の辛いとこね、これ |
◆3 「単純に光を闇に置き換えてみた」編 |
闇の援軍 |
◆4 「カタカナ語」編 |
闇→ダークネス |
(2013年1月31日)
今年もセンター国語で変な小説が出たようだ。その名も、通称:「スピンスピンスピンwwww」である。
・・・まず、「センター試験」とは皆さまご存じの通り、主に大学入試の一次に使われる国家主導の共通試験であり、おおよそ50万人程度の高校生が受験をする。そしてその「国語」は、80分という厳しめの時間で「@現代文/評論」「A現代文/小説」「B古文」「C漢文」の4つを解かなければならない。文章が長めなうえに問題数も多く、その配点も高いため、ドツボに填ると大事故になってしまう危険性が存在する。
――しかも、ある程度パターン化できる「古文」と違い、「現代文」はまず内容が頭に入って来なければ解くことができない。そしてその「内容」が、近年のセンター試験(特に小説)では滅茶苦茶になっているのである。今年は「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」などという呪いの言葉がいきなり登場し、多くの人が面食らってしまったそうだ。まあ、部外者の立場から見てみれば面白い状況とも言えるのだが・・・。
では、そんな「センター国語」の小説には、果たしてどのような魔物が存在するのだろうか。例えば、俺が受験した2007年の「シルクロード」は、「絹代」という女性に告白するために「今年の目標は『絹への道』、シルクロードです////」(※「絹」は英語で「シルク」)と宣言する超絶厨二病な中年男性が主人公であり、当時「氏ね!氏ね!!」と叫びながら自己採点したことを覚えている。また、昨年の小説問題は、笑顔でタマムシを踏み潰してニッコリするエーミール彼女が登場する終始陰鬱な内容である。もうここまで来ると、意図的に捻くれた文章を選んでいるように思えてならない。アレだ、教科書に「檸檬」を載せてしまうようなセンスだ。
・・・そして、今年2013年の「スピンスピンスピンwwww」は、それらの偉大な先輩たちに決して負けない作品である。何せ、「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」だ。まず見た目からして殺傷力があるし、何より国語ではない。せめて国語の時間くらいは国語を使ってはいかがだろうか。ちなみに、「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」は、一応注訳によって「その少年と少女を見よ」と説明されており、どうやら英語であるようだ(「See the boy, and the girl」?)。しかし、その後に「スピンスピンスピンwwww」と叫びながら地球儀を回す母子が登場するため、結局は意味不明であることに代わりが無くなってしまう。
――ということで、御託はこんなもんで良いだろう。皆さまにも、是非ともこの「2013年のセンター小説」に触れてほしいものなのであるが、時間や手間的な都合もあるだろうということで、今回は俺が軽くまとめてみることにした。その内容は、だいたいこんな感じである。なお、どうせ意味が分からないであろうため、適当な斜め読みでも構わない。
◆2013年センター国語:「スピンスピンスピンwwww」の概要 |
俺「祖父の法要があるから実家にでも帰るか」 母「オヤジは家帰ってこねえし当てになんねえわ」 俺「あんなやつ勝手にしろよ(キリッA」 俺(そういや昔、地球儀をネタにして小説を書いたことがあったなあ・・・) 『母「シイゼエボオイ・エンドゼエガアルwwwwスピンスピンスピンwwww フエーヤフエーヤwwwwチョwwwwヘーヤーヘブンwwww」 俺「スピンスピンスピンwwww(父さん早く帰って来てwwww)」』 母「はー、もうオヤジのこと諦めて私が家事やるわ」 俺「そうだそうだ、帰ってくんな・・・と思ったけど小説思い出すと恥ずかしいなwwwwB」 俺「そういや叔父さん、なんで俺のオヤジは海外に行ってたんでしょうね(チラッチラッ」 叔父「アイツも父親と上手くいかなかったんだよwwwwお前と一緒だなハハハwwww」 俺「ハハハwwww(うぜえ・・・)C」 母「地球儀なんて邪魔だし捨てよう」 俺(英一がおもちゃにするかもしれない・・・いや、小説を思い出すと恥ずかしいD) 英一というのは去年の春生れた私の長男である。(おわり) 問1:(単語説明*3) 問2:A/「(キリッ」とあるがその理由 問3:B/なぜ小説を思い出すと恥ずかしいのか 問4:C/なぜウザいのか 問5:D/なぜ小説を思い出すと恥ずかしいのか(2回目) 問6:(文体に関する問題*2) |
と、こんな感じで。さすがに皆さま、(;・∀・)「これは酷すぎじゃね?」と思うであろうが、実際の文章もこれくらい吹っ飛んでいるので仕方無い。まさかと思うのなら【原典】を読んでみるといいだろう。
・・・やれ、この小説は、文中で唐突に「主人公の小説」というものが挿入される。その時点で、時系列や人物像が混乱してかなり読みづらくなるのであるが、加えてその中には「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」「スピンスピンスピン」「フエーヤフエーヤ」「ヘーヤーヘブン」などという目が滑るような文字列が大量に存在し、文章全体の理解を更に難しくしてしまっている。また、それを警戒して読み進めていった者に対しても、「『チェッ!』と私はセセラ笑った」という実現困難な心象描写や「英一というのは去年の春生れた私の長男である。」という唐突な宣言で終了するという高度な文章表現が含まれており、全て読解するのは至難の業である。一応、設問の仕方はそれなりに親切で、難易度としてはセンター試験レベルに収まってはいるものの、このような突拍子の無い文章は、万人が受ける試験にはあまり向いていないように思うのだが・・・。
だが、「スピンスピンスピンwwww」のような滅茶苦茶な作品は、その善悪はさておき、「人々に印象に残る文章」となるのは間違い無い。そこで本日は、俺もそんな文章を書いてみたいと思ったのである。
・・・さて、今回の文章のポイントは、「作中に突然主人公が作った小説を入れること」と「意味不明の横文字を使うこと」である。そうすれば、俺も圧倒的な絶望感のある文章を書けるかもしれない。というわけで、早速俺も、「スピンスピンスピンwwww」のような文章を幾つか作ってみたのだ。さあ震えるがいい。そして試験官の皆さん、どうぞこれをセンター試験に使ってくれて構わないよ・・・!!
◆1 |
俺(そういや昔、巧妙な罠で小説を書いたことがあったなあ・・・) |
(2013年1月31日)
唐突に本日の日記では、“新ジャンル”として「JK(女子公務員)」というものを提唱してみたい。あの「女子高生」「女子駒場生」に続く、“JKシリーズ”の第3弾である。
・・・やれ、「公務員」とは皆さまご存じの通り全体の奉仕者であり、民間ではなく国家に雇われて働いている者を指す。そして「女子公務員」とは、読んで字の如く「公務員の女性」のことだ。現在では、「公務員」は女性の就職先としても人気が高く、「安定した雇用」「産休などの福利厚生」という物理的メリットに加え、内容自体も「教師」「司書」「婦警」などは“憧れの仕事”として人気が高い。また、一部の職種は男性に比べて著しく女性がなりやすいこともあるため、そういった場所はまさに「穴場」であると言えよう。つまるところ、男性以上に女性の仕事として「公務員」は魅力的なのである。
――まったく、一昔前は「名門大学を卒業して一流電気メーカーに入る」というのが成功人生の象徴であったが、景気の悪化など様々な影響を受けて、現在ではその傾向も変わってきたように思える。今やそこそこの地位の「公務員」になれば、それは決して「失敗」などと位置づけられる人生にはならないであろう。名コピペである「【志望動機とオススメ適職】 海外で働きたい→自衛隊 社会に貢献したい→自衛隊 生活を支えたい→自衛隊 チームワークの良い仕事→自衛隊 個人の力が生きる仕事→自衛隊 いろんな職種がある仕事→自衛隊 安定してる仕事→自衛隊 親方日の丸→自衛隊 自己成長とやりがいのある仕事→自衛隊」というものは、今ではむしろ現実味を持って我々に迫ってくる。とりわけ、社会での向かい風が未だに大きい女性にとっては、「公務員」はとても良い職場となりうるのである。
さて、前置きが長くなりすぎた。本日のテーマ:「女子公務員」は、あくまでも「女性にとっての『公務員』という仕事の魅力」ではなく、「男性が『公務員の女性』に感じる魅力」というものである。
・・・では、男性が感じる「女性公務員の魅力」とは、果たしてどのようなものなのだろうか? それは、ハッキリと言葉で言い表すのは難しいが、あえて言うとすれば「公務員」のほうがイメージを具体的なイメージを持つことができることであろうか。というのも、「民間」ではイメージが広すぎるため、それと比べれば「公務員」のほうが幾らか具体像が見えてくる。だから男性は、そういうものに魅力を持つことができるのである。なんともまあ滅茶苦茶な理論であるが、例えば俺が「知り合いの女子公務員がいい感じです^^」などと書いたら、それは単なる個人の感想になってしまうため、致し方無いというものである。
――ちなみに、その他の理由としては、やはり最初の画像の通り、「公務員は雇用が安定している」ということもあるだろう。この苦しい社会情勢の中、男女の二馬力で家計を支えられれば実に力強く、そういう生活を望んでいるという男性諸君は決して少なくはあるまい。俺だって、「安定」している公務員女性とお付き合いしたいものである。うん、それよりも前にまず俺が安定しようか・・・。
そんなこんなで、「女子公務員」というジャンルは、現在の社会では非常に魅力的に映ることが分かった。だから、本日記に1割程度居るとされる女性読者の皆さまは、もっと「公務員」を目指して構わないし、既に「女子公務員」である方々は、もっと胸を張って構わないのである。そして男性諸君も、そういった女子公務員たちを振り向かせられるよう、どうぞ努力をしてほしい。俺も頑張らないとな・・・。
――ところで。今回、俺にとっての“萌え”のジャンルが「女子高生」→「女子駒場生」→「女子公務員」と推移してきたということは、今後さらに別の領域へと変化していく可能性も考えなければならない。さて、「女子公務員」の次のジャンルとしては、果たしてどのようなものが出てくるのであろうか。というわけで本日は、様々な時代と共に移り変わっていく「JK萌え」のジャンルを妄想してみたのである・・・。
◆Lv.25 JK(女子家事手伝い)◆
◆Lv.35 JK(女子母ちゃん)◆
◆Lv.65 JK(女子高齢者)◆
◆Lv.∞ JK(女子骨格)◆
(2013年1月31日)
先月購入したPSPの「ときめきメモリアル4」(【2012/12/22】)にて、本日ついに最後のキャラクターをクリアし、無事に12人全員のエンディングを迎えることができた。総プレイ時間は50時間ほどで、この1ヶ月間かなりガッツリと楽しませてもらった。その意味で、俺にとって「ときメモ4」は間違い無く名作と言える作品である。この内容で1800円なのだから、大満足にも程があるというものだ。
・・・ちなみに、俺がこの手の「ギャルゲー」をプレイするのは、実は今回の「ときメモ4」が初めてではない。というのも、俺は数年前に話題となった「ラブプラス(初代)」という恋愛ゲームをプレイしたことがある。まあ、俺は最初からネタのつもりだったのだが、実際にやってみるとネタにすらならないような最高につまらない作品であり、当時の俺は酷くガッカリしてしまったものだった。俺はその時に、「ギャルゲーというジャンルが自分に合わなかったんだな・・・」と納得していたが、今回の「ときメモ4」の件を考えてみると、「俺にギャルゲーが合わない」ということは全く無かったように思う。まあ、「ときメモ」はギャルゲーじゃなくて純愛だけどな。
では、「ときメモ4」の何がそんなに良かったのかと言うと、それはまずはコナミらしい「遊びやすさ」と「奥深さ」を兼ね備えた作りにあるように思える。さすがに「ゲーム制作に手慣れたコナミが作る」「人気シリーズの正統ナンバリング作品」ということで、システム・グラフィック・サウンドなど全ての面で完成度が高く、特に大きな欠点が見あたらない。そして、基本ルールこそ「各種コマンドでパラメーターを上げ、意中の女の子とデートを繰り返しながら、卒業の日に告白されることを目指す」というシンプルなものながら、様々な要素によって奥深く楽しめるゲーム内容になっている。そのような「安定した楽しさ」こそが、俺が「ときメモ4」を好きになった最大の理由なのある。やれ、皆さまの中には「ゲームだから楽しいのは当たり前じゃないか」と思う人も多いだろうが、それすら満たせないゲームがどれほど多いことか・・・。
・・・さて、そのようにゲーム全体のクオリティがOKとなると、次に気になるのは「キャラクターデザイン」である。【公式サイト】を見ていただければ分かるように、『4』のキャラデザは今までと比べてかなり控えめとなっており、俺もプレイ前は「全員同じ顔に見える」などと辛辣な評価をしていたものだった。が、実際に全キャラクターをクリアした後に考えてみると、むしろこのキャラデザだから「ときメモ4」は良かったように思うのである。確かに、一目で興味を引くような派手さこそ無いが、逆に考えれば素朴で可愛い感じのグラフィックであるとも言える。それに、俺が実際に攻略をしてみたところ、どのキャラクターも特徴的で魅力たっぷりであり、クリア後には全員を好きになることができた。むしろ、そのような“ギャップ”こそが、今回の制作者が最も狙っていたものだったように思えるのだ。
――ちなみに「問題点」としては、特に致命的な物は存在しないのだが、強いて言うならば「難易度が低すぎる」ことである。というのも、大半のキャラクターは目標を定めてデートしていれば1年前後でクリア可能な状況にまで持ち込むことができ、そうなると残り2年が完全な消化試合となってしまう。本作には皐月優(さつき・ゆう)という藤崎詩織みたいな奴も出てくるのだが、その最高難易度のキャラクターでさえ、俺にしてみれば“やっと普通”と言えるくらいの難しさであった。もっとも、ギャルゲーが狙っている本来のユーザー層からすれば、これくらいの難易度がちょうど良いのかもしれないが・・・。
そんなこんなの「ときめきメモリアル4」は、まずはコナミらしく安定した作りであり、上手くハマり込めば可愛い女の子たちとの素敵な高校生活が送れるという、実にお得なゲームになっている。現在では、ダウンロード版が1800円という超特価で購入できるため、もうこれは「買い」と言うしかない。やれ、この「ときメモ4」は、売り上げ的にはあまり奮わなかったらしいが、だからこそ俺たちが愛してやらなければという感じである。
・・・ちなみに、俺の今後のプレイ予定であるが、全キャラクターをクリアしたとはいえ「ギャラリー」「勲章」などのやり込み要素はまだ残っているため、これからもまだまだ遊んでいけるように思っている。特に、個人的には女の子にフラれるシーンがかなり笑えるので、これは是非とも全キャラクター集めたい。また攻略面でも、「ノーセーブ特技なし皐月撃破」とか「デートなし皐月撃破」とか、その手の“縛りプレイ”もやりがいがあるだろう。加えて、初代PSで発売された『1』『2』も、現在ではゲームアーカイブスにてそれぞれ600円という安価で配信されているため、そちらにも触れてみたいものである。
――と、いうわけで。今回はかなり宣伝臭い記事になってしまったが、別に俺がコナミからお金を貰っているということは無く、純粋に「こんな良いゲームが埋もれてしまっているのは惜しい」と思ったからである。「ときメモ4」は、一時代を作るほどにヒットした『1』『2』にも匹敵しうる、シリーズ屈指の傑作だ。そんな大作が、今や僅か1800円でダウンロードできるのである。もしこの日記を見て少しでも興味を持った人がいれば、買っても決して損をすることは無いだろう。となると、最後の問題は「ギャルゲーをプレイする」という自分の中の思いにケリをつけられるかどうかであるが、まあ別にそんなの余裕だよな・・・?
(2013年1月31日)
本日の日記では「変な語尾」というものをテーマにしてみるのだが? それに従い、それらの「変な語尾」というものを、今日は実際に使ってみることにするのだが? やれ、かなり読みづらいのだが、まあそういうテーマということで我慢して欲しいのだが? だいたい普段の俺も「だ」と「である」をほぼ交互に使っているため、特に読みづらくは無いはずだが? 既に十分うざいのだが?
・・・まったく、このような「変な語尾」が流行るのには理由がある←読者。それは、「キャラ立て」ができるということだ←そのキャラクター。「喋り方」というものには、性格や歩んできた人生というものがかなり反映される←その人物。とりわけ、“短期間で人物を印象付ける”ということが重要な文化では、それが多く多用されるのだ←漫画・アニメ。ありがちである←世間。まあ、もしこのような技法が世間の人々に愛されていないのであれば、そこまで使われてはいないというものだろう←反語。読みづらすぎじゃね?←主語を最後にするこの語尾。しかも体言止め←語法。
――しかし、このような語尾もあまり使いすぎるとうざくなってしまうだろうなぁ・・・。何事も程度が大切だよ・・・。「ベタ」ということは、そもそも世間では有り触れた技法だろう・・・。だから、その喋り方以外の部分で何らかの「個性」を出さなければならない・・・。それは、安直な理由で「変な語尾」を使う人にとっては、より苦しい道となってしまうことだろうよ・・・。
しかし、である。そのような「変な語尾」を使ってしまうのには、ちゃんとした理由が存在するのである。というのも、文章というものは、同じ語尾ばかりだとベタベタして読みづらくなってしまうのである。この日記でもそうである。さらに、小説・漫画の会話シーンなどでは、文字だけを使って人物を表現しなければならないのである。そうなると、様々な語尾を用いてキャラクター性を表さなければならないのである。具体的な例を挙げてみると、例えば「本日は晴天である」「そうである」「天気晴朗なれでも波高しなのである」という口調の3人が喋っているのであれば、誰が話しているのか分からなくなってしまうのである。だから俺も日記を書く時に、「だ」と「である」を交互に使うようにしているのである。このルールにはかなり苦しめられているのであるが、長い文章を書くには、そのような工夫が必要なのである。分かったである?
・・・だが、上にも書いた通りだにゃー。このような手法は、いわゆる「有り触れたもの」となっているのだにゃー。だからだにゃー、安直に使ってしまえば個性を出すどころか逆に無個性となってしまうのだにゃー。分かるだにゃー? まあこの国にはだにゃ、教科書に載るような小説家が「吾輩は猫である」(なわけ無いにゃ)などと題して擬猫化した立場から随筆を書いてしまうような環境にゃので、仕方無いとも言えるかもしれないのだにゃー。しかし、皆さまの理想のネコと違ってだにゃ、実在ネコは怒ってすぐに引っ掻いてくるくせにエサをあげる時だけ喉をゴロゴロ鳴らすという打算家であるため、あまり信頼できないんだにゃ・・・。
――ま、文章の書き方なんて人それぞれだよね(´・ω・`) 例えば、つい先日に発表された芥川賞受賞の「abさんご」なんかはさ(´・ω・`) “カタカナ”を一切使わずに、読者に想像の余地を持たせた意欲的作品なんだよね(´・ω・`) だから、俺も様々な挑戦心さえあれば、いつかは世間に誇れる賞を取れるはずなんだ!!(`・ω・´) まあそんな妄想もしたりはするよね・・・(´・ω・`) 顔文字ウザいよ・・・(´;ω;`)
と、そんな感じナリ。要するに、「変な語尾」を使うということはウザいナリ。しかし、それはそれで諸般の理由があるということも分かったのでナリ・・・。
――まあ、「語尾」みたいなものは面白いみたいで、それみたいで人の性格みたいなものを測れるみたいな。しかし、使いすぎるみたいなことはかえって逆効果になってしまうみたいということも分かったみたいな。だから、是非とも皆さまみたいな人みたいには、使いどころに気を付けて欲しいみたいな? いったい何みたいだったみたいなんだ今日みたいな日記みたいなみたいは・・・。
(2013年1月31日)
「AKB48」とは、ご存じの通り日本のアイドルグループである。しかし、最近では「AKB48グループ」と呼ばれる類似したアイドル団体が数多く登場し、もはや何が何だかという状況になっているのである。
・・・それを具体的に言うと、「SKE48」「NMB48」「HKT48」などである。一応、「AKB」という言葉は、AKB48発祥の地である“秋葉原”を略して記した意味であり、他の「SKE」「NMB」「HKT」なども、それぞれがテーマとする地名を表しているそうだ。例えば「SKE」は、日本第2の大都会・愛知県名古屋市の「栄(さかえ)」から始まったグループであるため、その頭文字を取って「SKE48」と名乗っているそうだ。いま初めて知った。
――その他にも、名言である「ト・イ・レ
シャンプー♪」(【2012/6/6】)を生み出した「乃木坂46」は、プロデュース企業の微妙な違いにより、AKB48グループではなく、その“ライバル”としての活動を主に行っているらしい。それは、言うとすれば765プロダクションと573プロダクションみたいな感じとなるだろう。もうわけが分からん・・・。
ところで、俺は前述の通り、AKB48とその関連グループに対して、「よく分からない」という感想を持っている。しかしそれは、「AKB48」というグループ自体に何か問題があると言うよりかは、むしろ俺自身に問題が有るように思えてしまう。そもそも、俺はアイドルグループを好きになったことが無いのである!
・・・というのも、俺はあまりJ-POPを聞かないタイプの人間であり、たまにアイドルをテレビなどで見ることがあっても、(
^o^)「ふーん、可愛いね」くらいの感想で軽く流してしまう。つまるところ、興味を持つきっかけが無いのである。「アイドルの歌自体を聞く機会が無く」、また「特に誰かメンバーの1人に縁があるわけでもない」ということになれば、俺のように「よく分からない」という思考になるのも至極当然であると言えよう。
――まあ、今回の話だけでは無いが、人が何かに興味を持つ“きっかけ”というのは、実に難しいものである。いわゆる「一目惚れ」のように一気に好きになる人も居れば、知り合いの紹介だったり、過去の作品に触れてみたり・・・と。だから、そのような過程を他人に強要したりするのは、決して有ってはいけないことなのだ。まあ、俺とAKB48のようなアイドルグループに何らかの縁が存在するのであれば、これからまだまだ長い人生で、また知り合う“きっかけ”が出てくるというものであろう。なお、この1段落は文量を稼ぐために書いたものであり、特に深い意味はありません!いつも通り!!
さて。
上記のように、現在では「AKB48」をスタート地点とし、「SKE48」「NMB48」「HKT48」「乃木坂46」など、様々な派生アイドルが誕生している。となるともちろん、「今後も更にAKBグループは増えていくのではないか」という予想をしなければならないだろう。例えば、現在存在するAKBグループに限ってみても、インドネシア・ジャカルタに出張しての「JKT48」など、様々なグループが増え続けているものだ。
――というわけで本日は、俺も新しいAKBグループを作ってみることにしたのである。それは例えば、三重県をテーマとした「MIE48」(変換システムみたいだな・・・)とか、衆議院がステージの「SGI480」(削減しても良いんだよ?)などのように、まずは印象的な『アルファベット3文字』を使ってのものも思い付くであろう。だが、その他にも『48』という数字もかなり特徴的であるため、こちらを使った派生というのも考えられる。というわけで、そんな「AKB48」の関連グループを、俺も幾つか考えてみたのである・・・!
◆俺の考えた「AKB48」関連グループの名前 |
・TPP48 |
(2013年1月31日)
さすがにコレは無理ですかね・・・。
(2013年1月31日)
全ての敵が過去になったwwwwwなんだこれwwwww
(2013年1月31日)
ちょっと嬉しいことがあったので、“自分へのご褒美”として、あの「PlayStation Vita」をついに購入したのである。
・・・まず、今回俺が「Vitaを購入した理由」としては、俺は前作ハードであるPSPにとてもお世話になっており、その後継機であるVitaも、いつかは購入したいと考えていた。加えて、最近ではPSPもバッテリーが30分で切れてしまうという苦しい状況になったため、さすがに6年も使っていれば限界か・・・と考え、どうせなら新ハードであるVitaを買うことにしたのである。
――ちなみに、個人的には現時点で特に遊びたいと思う作品は存在せず、「何らかのタイトルを目当てにして買った」というわけではない。まあしかし、「カノンちゃん!カノンちゃん!カノンちゃん!カノンちゃああああああああああうわぁああああああああああああああああああん!!!!!」(【2012/9/20】)をするためにいつかはVitaを買わなければならないと思っていたので、今回のことは実に良い機会であった。ちなみに、カラーはもちろん青である。メモリースティックは、本当は32GBが良かったが、さすがに決して安くない本体価格に8000円を上積みするのは強気すぎると思ったため、アクセサリーとセットの16GBで妥協することにした。それでもPSP時代と比べれば4倍の容量があるのだが、今後もし「PS2アーカイブス」が始まるようなことがあればまるで足りなくなってしまうため、状況に合わせて買い足したいところである。
さて、そんな「PlayStaition Vita」を購入し、実際に触ってみた感想は・・・俺は、(
^o^)「こんな良いものを買えて本当に良かった!」と思うに至ったのである。
・・・その大きな理由として、俺はスマホユーザーではないため、「手頃に携帯できる最近の情報端末」というものに触れたことが無かった(iPadさんはややデカいし・・・)。そのため、「タッチパネル」かつ「音楽」「地図」「インターネット」などの機能を使える手のひらサイズの携帯機という時点で、俺にとっては極めて革新的なものが存在したのである。操作も軽快で、マルチタスクも実行することができる。これらの機能はPSP時代から部分的に搭載されていたが、当時は性能が足りなかったため、「やっと時代が追いついてくれた」という感じだ。特に、俺にとってゲームをしながら攻略Wikiを見れるという点は嬉しすぎるというものである。
――しかしながら、このような「ブラウザ機能」などは、現在ではスマートフォンを始めとした様々な機器に搭載されている。そのため、このVitaというハードへの評価は、「プレイステーションのゲームが遊べること」をどう考えるかという点に集約できるのであろう。俺は最初に書いた通り、「PSPからの買い換え」が主な目的であったため、「PS系のダウンロードタイトルが遊べる」+「ブラウザ機能などのおまけが付いている」というVitaは、実にありがたいマシンであり、これからもDL作品をガンガン遊んでいこうと思っているのである。まあ、肝心の「Vita専用タイトル」は、現状では「地球防衛軍3」を買ってみようかなと思っているくらいで、特に興味のあるものは存在しないのだが、これから少しずつ充実してくるだろうし、特に心配してはいない。あとは「タッグフォース」さえ出てくれれば・・・(【2012/11/13】)。
と、いうわけで。これから数年間付き合うであろう「PS Vita」と俺は、まずは順調な滑り出しを経験することになったのである。残る問題は「新作ソフト」であるが、あのPSPだって、6年前に買ったときにはこれほどまでの必須ツールになるとは思っていなかった。だからVitaも、そのような感じで好きになっていければ良いというものだ。ソフトが無いなら、また見つければ良いのである。
――ところでこのVitaは、世間では売り上げの面で色々と言われていたりもするのだが、個人的にはそんなことはどうでも良く、俺が好きならそれでOK!!という感じである。だから、もし俺と同じような思い(「スマートフォンが無い」「PSPが老朽化している」「DLタイトルを遊びたい」「無線LAN環境がある」など)を感じている人がいたら、是非ともVitaの購入をお勧めしたい。こんな良いものが流行らないのは勿体無いというものだ・・・。
(2013年1月31日)
ときメモ4では、ロード時間ごとに画面下部に「一言ヒント」が表示される。その内容は、「休養コマンドで、下がったやる気を早く上向きにできます」というゲーム性に関わるポイントから、「きらめき高校には、夜間部もあります」などという世界観に関連する話まで、様々なものが存在する。これらによって、少しでもロード中のストレスを軽減してくれということなのだろう。ちなみにこのゲームのロード時間は約2秒である。
・・・と、このような「一言ヒント」のシステムは、近年のゲームでは数多く採用されている。その理由を少し考えてみても、「ロード時間のストレスを減らしてくれる」「見落としやすい機能を教えてくれる」など効用は選り取りミドリであり、ユーザーフレンドリーな最近のゲームに導入されるのも道理のことであると言えよう。
――ただし、この機能も使い方を間違えてしまうと、例えばシナリオ重視型RPGの最重要ポイントで「NOW LOADING...
アフロの子はアフロです」などと表示されてしまいかねないため、使い方には多少の注意が必要である。何はともあれ、使い方さえ正しければ、このような「一言ヒント」は、ゲームをプレイするうえでの様々なメリットを与えてくれる。むしろ、「ゲーム」以外の分野にもガンガン採用されて良いくらいだし、そのヒントをオンラインで更新していくようなことがあれば、本来ならストレスでしかない「ロード時間」も、いつまでも新鮮な気持ちで楽しむことができるだろう。
そんな感じの「一言ヒント」もあり、最近のゲームというのは恐ろしいほどに親切設計になっている。
・・・というのも、例えば昔のゲームでは、まずは「説明書」を読むというのが当たり前であったが、最近ではゲーム冒頭で操作方法を教えてくれるというのが一般的になっている。また、かつては「戦闘に敗北するとセーブポイントからやり直し」というスタイルが普通だったアクションやRPGなどでも、現在では直前からワンボタンでやり直せることが常識的となっている。その他、やり込みプレイで苦痛となるイベントシーンをスキップできる機能なども搭載されてきており、「ゲーム」は昔よりも明らかに遊びやすく面白いものへと進化しているのである。
――ただ、悲しいことに、人はいつも「斬新なもの」を求めているのであって、予想通りの進化であったとしても世間一般は誰も評価してくれないのだ。制作スタッフ・予算などの問題で物理的に衰退してしまうことはもちろんであるが、「昔と同じくらいでいいや」と考えたら、その瞬間から退化が始まっている。常に斬新な進化を続けて、やっと「昔と同じくらい面白い」と評価してもらえるのである。人は「飽きる」のだ。だから、システムが少し親切になったとしても、それは「評価点」には成り得ないのである。と言っても、我々のほうも“枯れ果てた”続編タイトルでなく、できる限り新しい作品に触れていきたいものなのであるが・・・。
さて。
ここまで、「一言ヒント」が搭載されたゲームの話をしてきたが、では仮に、既存のゲームに「一言ヒント」の機能が追加された場合には、果たしてどうなるのだろうか?
――やれ、俺はかれこれ20年以上ゲームが好きであり、「やり込みプレイ」を行っているのもその半分以上の期間を占めるため、「ゲームに関する豆知識」には人一倍詳しい自信がある。だから本日は、俺がこれまでプレイしたゲームに関して、様々な「ヒント」を残してみたいと思う。俺が挙げるゲームをこれからプレイされる方々は、是非ともこの「一言ヒント」を参考にしていただきたいものだ・・・。
◆1 「ファイナルファンタジー12」編 |
・「プロテス」「シェル」のダメージ軽減率は3/4です。 |
◆2 「ファイナルファンタジー13」編 |
・PS3をHDMIケーブルで繋ぐと画質が上がります。 |
◆3 「現実」編 |
・大学で彼女ができるというのは嘘です。 |
(2013年1月31日)
俺はどうやら、辛味を感じない体質のようである。というのも、実家で親が“辛さがテーマのスナック菓子”を買ってきて、それを食べたところ、俺以外の全員(母・兄・妹)が即座に水を要求するほどであった。そのため、前からの激辛マニアであった俺は、さぞ辛いのだろうと期待して食ったのだが・・・それが、俺にとっては「まあ丁度良い辛さかな」としか思えないくらいだったのである。別にやせ我慢でも何でも無く、本気で辛いと感じなかった。半分くらい残っていた菓子を完食するまでに、水を飲むどころか、手を止めることすら無かったのだ。
・・・というわけで、前々から密かに思っていた通り、俺は人と比べても特に「辛さ」を感じない体質なのだということが分かったが、これはあまりよろしくない傾向である。というのも、「毒が効かない」とか「生まれた頃から電気を浴びている」などというものと違って、「辛味」とは“痛覚”であり、体が持っている一種の危機察知能力である。そのため、「辛味を感じない」という体質は、つまるところ「味覚によって危険な食べ物を回避する能力が無い」ということになり、知らず知らずのうちに胃腸に負担を掛けてしまう危険性が存在するのだ。
――しかし、これは逆に考えることはできないだろうか。つまり、「辛い物を食べられるということは、胃腸の消化吸収能力が優れている」ということである。やれ、「子供は甘いものが好きで大人は辛いものが好きだ」ということの理由は、よく「大人は味覚が退化している」などと説明されることが多いが、それよりもむしろ「大人は消化器官が成長して辛い物を食べられるようになり、それが味覚に反映された」と言ったほうがしっくりくる。だから、確かに「味覚」という観点では大人は「退化」しているのかもしれないが、しかし「味覚」が持つ本来の機能(食物の成分を分析し、体に有益か否かを事前判断すること)を考えてみれば、むしろそれは「進化」していると言えるのである。だから、「辛い物が得意」という俺は、他のそうではない人よりも胃腸が進化しているということに繋がるのである。苦しい言い訳だな・・・。
というわけで、「辛味の感じ方」というものは、まさに十人十色となってしまうことが分かった。では皆さまは、果たしてどのような感じなのであろうか?
・・・例えば、俺だってさすがに幼い頃には、カレーの「中辛」を苦しいと思っていたものであった。だが、大人になった今となっては、「甘口」「中辛」「辛口」などせいぜい「VERY
EASY」「EASY」「NORMAL」くらいの存在感であり、俺はEUROPEAN EXTREMEこそを望んでいるのである。もちろん、ただひたすら理不尽な高難易度(=唐辛子を多く入れただけのような滅茶苦茶な辛み)ではなく、プレイする中でより高いゲーム性を体感できるような難度(=辛い中にもコクがあり、全体としてバランスが取れている味わい)のほうが好きなことは言うまでも無い。辛さも含めて、それは全て「食べることの楽しみ」であり、やはり全体として「おいしい」ものが一番なのである。
――ただ、そのような「丁度良い辛さ」というものが、それこそ「人それぞれ」と言うしかない状況なのである。だから例えば、一般に「激辛」と称されている物を食べたとしても、一方はピリ辛程度の辛さであって、もう一方はまともに食べれないレベルであったりする。これも、「辛さ」を定義する客観的な数値が無いからこそ発生する事態である。これはもう、理系男子として、完全なる敗北と言わざるを得ない・・・。
そんなこんなで。「辛さの感じ方は人それぞれ」であり、その客観的な評価には至難を極めるのであるが、とりあえず俺は異常に辛さを感じない人間であるということが分かった。恐らく、普通の人が悶絶するくらいの料理を俺に食べさせたところで、俺は(
^o^)「ふーんこれは少し辛いね」くらいの感想しか持たないことであろう。だから、「俺の辛い物のチョイス」には、皆さま注意が必要である。
・・・とまあ、こんな感じで、俺は自分のことを「マグロ人間」だと思うことにしたのである。えっ、なんで「マグロ」かって? だって、「辛さを感じない」だろ? 感じない・・・感じない・・・「感じない」・・・・・・。
(2013年1月31日)
昨年末に発足した安倍晋三新内閣について、朝日新聞が「女性2人を除き、閣僚17人で15人もが七・三分けだ」というよく分からない記事を書いているそうだ。ああ、アレでしょ? 「7:3の割合で右に寄っている」とか、そういうことが言いたいんでしょ? さすが新聞記者は文章の専門家、レベルが高すぎるわ・・・(;^o^)
とまあ、記事の真意は意味不明なのでひとまず置いておくとして、まず「七・三分け」とは、主に日本人男性に愛されている髪型である。内容は正面から見て髪の毛が7:3になるように左右に分けるというものであり、「髪型」と言うか「方式」と言うか、とにかくまあそんな感じのものなのである。【Wikipedia】で調べたら2行しか書いてなかったので、さすがの俺も困惑しているところなのだ。
――ちなみに、俺は酷い“くせ毛”であって髪はできる限り短く切るようにしているため、七・三分けをやろうと思っても砂鉄みたいになるだけ全くの無駄な抵抗である。そもそも、「髪を長くする」ということにメリットが有るものなのだろうか? 洗うのがめんどくさいし、雨が降ってきて濡れるとグシャグシャになるし、跳ねるとバサバサして邪魔だろう。となると、残った問題は世間の目であるが・・・大丈夫!みんなで剃れば怖くない!!
ところで、昨年末に行われた選挙の結果については、皆さまご存じの通り、自民・公明が320議席以上を獲得する大勝利に終わった。まあ、民主党政権の3年間を振り返ると、今回のような結果になるのも仕方が無いというものであろうが・・・しかし、個人的な意見を言うとすると、あまり勝ちすぎるのは良くないと俺は思ったのである。やはり人間、勝ちまくると欲が出てきてしまうものなので、ほどほどに勝って従わせるのが一番だ。その観点から言えば、自民・公明が勝つのは良いとしても、240議席を少し超えるくらいのバランスが俺は良かったように思うのである。
・・・やれ、この2013年の夏には参議院議員の選挙も行われ、恐らくは今回と同じように自民・公明が大勝利を飾ることになるだろう。しかしそうなると、その先のことは全く予想ができなくなってしまう。次の選挙は、平成28年(2016年)だ。それまでに、どうか政治が安定して、俺のような不幸な若者が一人でも減ってくれることを祈るのみである。
――余談であるが、今回の安倍内閣には、俺の地元(三重4区)から出馬した「田村憲久」という人が“厚生労働大臣”として初参戦をしている。まだ48歳と政治家としては若いが、親戚に数多くの議員を持ち、本人もこれまでに数多くの役職を務めてきたという政治家のサラブレッドである。このあと順調に出世していけば、更なるポストも望めるだろう。そんな感じで、これも一つの縁というわけで、どうか「やり込み
in FF」の読者の皆さまは、三重県出身で閣僚となった田村憲久氏をお手柔らかに見守ってほしいというものだ。ちなみに彼は七・三分けである。
しっかしまあ、それにしても、今回このように朝日新聞が「閣僚17人中15人もが七・三分けだ」などという記事を書いた意図は、果たして何なのだろうか? 仮に、現在の内閣を「ファッションがワンパターンで魅力が無い」と非難しようと考えていた場合、それは当然の結果として歴代内閣の七・三分け率を検証しなければならなくなるため、そんな議論はまさしく時間の無駄である。その他の理由も考えてみたが、別に政治家はビジュアル重視ではないため、何人が七・三分けであろうとどうでも良いというものだ。そもそも0:0にしか分けられない坂口力みたいな人も居るわけで・・・。
・・・というわけで、この「17人中15人が七・三分け」という騒動は、俺は「朝日新聞なりの現内閣へのエールなのではないか」と受け取るに至ったのである。やれ、「朝日新聞」と言えば、主に自民党中心の政治に酷く批判的なことで知られるが、七・三分けで非難しようとなると朝日新聞社内の七・三分け率を公開しなければならないため、いくら何でも滅茶苦茶である。そうなると、むしろ「七三分け」の記事は、何かを非難しようとしたのではなく、「今までと違った観点から政治に関して興味を持ってもらおう」という、朝日新聞の粋な計らいなのかもしれない。そんなふうに考えてみると、上記の記事も神に思えてくるものだ。そう、髪だけにな・・・。
(2013年1月31日)
DDRにおけるDP(ダブルプレイ:8パネルモード)攻略も大詰めである。いよいよ、数多くのボス曲を残り6つにまで追い詰めることができたのだ。DPの高難易度曲と言えば、SP(シングルプレイ:4パネルモード)のそれよりも圧倒的に難しく、1年前はせいぜい足16までしかクリアできなかった。それが、去年1年であと6つにまで迫れたわけであるから、これは非常に大きな成果だろう。
・・・が、言うまでも無く、その6曲が恐ろしいほどに難しいのである。もしあなたがコアなDPプレイヤーであれば、「6つ」と聞いただけで何が残っているのか分かるかもしれない。6つのうち3つは、今まで攻略してきた「足18」の範疇に入るのであるが、明らかに他とは別格の難しさであり、実質的に足19にも匹敵する難易度を誇っていると言える。そして足19の上位2つは20へ行け!!
というわけで本日は、その「6曲」を1曲ずつ詳しくお送りしてみることにしよう。もちろん個人的な憎しみ(=愛情)たっぷりで、である。
――ちなみに、このレベルになると体の負担も相当なものである。生半可な体力では曲の真ん中どころか最初で力尽きるし、バランス感覚やそれを支える筋力が無ければ台から落ちるというか動けない。停止・速度変化・低速地帯の暗記などは当たり前で、それでも体力的な限界から最難レベルは1日で数回しかプレイすることができない。それに加えて、「事前の食べ物」「水分補給の飲料」「プレイする時間帯」などの面から体調をコントロールし、万全の体勢で踏んでいく必要がある。もはやここまで来ると遊びではないという感じであるが、まあDDRは遊びじゃなくてゲームなので・・・。
◆1◆
DP-CHALLENGE:「PARANOiA
HADES」
Lv.18 / 653 steps / BPM:75-300
先頭を飾るのは、5年前の『SuperNOVA2』で登場しながら、今なお最上級の難易度を誇っている「PARANOiA HADES」である。
・・・この曲は、SPでも最後の捻り付き129連打などによって最高クラスの難曲と恐れられているが、DPでは129連打はそのままに全体的な左右振りが追加されている。特に、SPでは完全な休憩地帯であった低速が、DPでは大きな難所となっており、その後の129連打も全く手加減という言葉が見あたらない。この曲、実は2011年にフルコンボが達成され、その様子は一般ニュースサイトなどでも話題となったが、もちろん人外レベルの所行であることは言うまでもない。まあ、そういうランカークラスの人であっても、完全攻略には数年もの時間が掛かるということで・・・。
――ちなみに俺であるが、低速まではまずまずのゲージが残せるものの、3連符地帯でガッツリと体力を削られ、その後のレムニスケートみたいな意味不明の物質では足が全く動かずにゲージを削られてしまい、最後の129連打に辿り付く頃には体力もゲージもスッカラカンになってしまっている。この調子では、まだまだクリアできるのは先になりそうな感じだ。これでも残っている6つの中では一番簡単なんだぜ・・・?
◆2◆
DP-CHALLENGE:「Pluto
Relinquish」
Lv.18 / 562 steps / BPM:100-400
続いて、ハデス様と同じく、『SuperNOVA2』から大ボスとして立ちふさがっている「Pluto Relinquish」が登場である。
・・・この曲は、最後のBPM400での17+21+53連打が大きな難関であり、DPでも連打の数は全く変わらない(というか増えている)。EXPERTの時点で足18であり、CHALLENGEではそれに加えてSPのような単体捻りと全体の振り回し配置が追加されている。あの、BPM440で左右にブン回された「Pluto
The First」(【2012/10/28】)をワンランク上げたような譜面であり、足18の中でも別格の難易度を誇っている。まあ、足19には更なる殺人譜面が揃っているため、この曲が18なのも致し方ないというものなのであるが・・・。
――俺の現状としては、まだプレイ回数が足りておらず、最後連打に入る前の時点でゲージ・体力が尽きてしまっている。クリアできるのは先どころか、ひょっとすると俺はこの曲をクリアすることができないかもしれない。それくらいの難易度を誇っているのである。まあ、正直これくらいの領域になると日本で10人くらいしかクリアできていないから、もう仕方が無いというものか・・・。
◆3◆
DP-CHALLENGE:「Tohoku
EVOLVED」
Lv.18 / 677 steps / BPM:340
足18のラストは、最新作:『X3』で新登場した「Tohoku EVOLVED」である。公開前は、多くの人がCHALLENGEは足19になると予想していたが、すんでのところで18で留まることになった。
・・・さて、この曲は俺の苦手なタイプの譜面である。とにかく曲全体に忙しくて体力が必要となるうえに、8分連打で左右に大きく移動するような配置が目立つ。俺は、このような「全体難」と「振り回し」がとにかく弱いなのである。「そんなもん得意な奴が居るのか?」という感じであるが、居るんだなこれが・・・。
――やれ、この曲は全般に忙しいが、特に最初30秒ほどの難しさは異常であり、俺はそこだけで殺されてしまうのである。まあ、そこさえ超えられれば、その後は楽になる(ように見える)ため、体力を付けたうえで苦手意識さえ何とかできれば、まだ突破ができそうなレベルだろうか・・・?
◆4◆
DP-CHALLENGE:「Valkyrie
dimension」
Lv.19 / 635 steps / BPM:93-480
続いて、いよいよ最高難易度の足19である。トップバッターは、前作『X2』で登場した「Valkyire dimension」だ。SPでのこの曲は、なんとBPM480の地帯に8分の矢印があるという常識破りの配置やこれまでタブーとされてきた連打の中での両足同時踏みが多用されていたりと、「初の足19」として、また「てんこ盛りの『X2』のラスボス」として、凄まじいまでのインパクトを誇っていた。
・・・しかしながら、DPでは、最初のBPM480がフリーズアロー1本となってしまっていることを皮切りに、最後ラッシュが離ればなれになってしまっていることなど、全般的に弱体化が目立っている。もちろん、楽というわけでは決してないのだが、足18の最上級と言える前述の3曲も同じくらい難しく、後述する他の足19の曲はこれとは比べものにならないほどの凶悪難易度を誇っている。かくして、この曲には「足19(笑)」という不名誉なあだ名が付けられるに至ってしまったのである。この曲が19なら、足18の最上級3つも19に上げて、残った19を20にするしか無いんじゃないですかね・・・。
――さて、俺はとりあえず足18を全てクリアしてから19に行こうと思っているので、まだ今はこの曲をガッツリとプレイしてはいない。そして、さすがにこれも難曲ではあるため、そのような中途半端な姿勢ではクリアできるはずもないのである。ただし、「足18を制覇するまえにこの曲をクリアしてしまった」などという報告もあるため、俺もちゃんとやればこいつをクリアできそうな感じである・・・。
◆5◆
DP-CHALLENGE:「POSSESSION」
Lv.19 / 640 steps / BPM:185-370
みんな大好きPOSSESSION!
詳しい説明は【2012/3/12】などを見てね!!
◆6◆
DP-CHALLENGE:「PARANOiA
Revolution」
Lv.19 / 735 steps / BPM:180-360
【2012/11/5】
Why do you need KONAMI original songs...?
と、こんな感じで。残り6曲、されど6曲というわけで、やばい奴らが残ってしまったのである。
・・・まあ、DPの中でも、足18の最上級3曲+足19の3曲が特に難しいということは分かっており、俺は最初からこの6つが残るであろうことを予想できていた。だから、ここまで来たら、もう1曲ずつ倒していくしか無いというものである。たった1分半の曲であっても、ゲーム的には巨大な敵となる。この中でもポゼとパラレボは更に別格の難易度だから、まずはそれ以外を倒せるようにしたいな・・・!!
(2013年1月31日)
新春である。この時期には、新年会・同窓会などで、かつての友人と再会する人も多いであろう。ところで世間では、そういった知り合いの中でも、とりわけ“特に親しかった同性の数人”を指して、「一緒にバカやってくれる仲間」などと表現することがある。コレ、誰が使い始めた言葉かは不明であるが、多くの世代で使用されている表現のようだ。では、その「一緒にバカやってくれる仲間」とは、果たして何のことなのだろうか?
・・・まず、その定義(?)から振り返ってみると、「一緒にバカやってくれる仲間」とは、「@特に親しかった」「A同性の」「B数人」であると書いた。「@特に親しかった(“親しい”)」は、まあ“前提条件”とも言えるものであるが、具体的には「学校行事以外でも声を掛けて集まれるような人間関係」を指すだろう。また、「A同性の」ということは、そのグループ内に存在するのは「恋愛関係」ではなく「友情関係」であるようだ。そして最後の「B数人」は、まあ0人では仲間にならないのは当然としても、1人よりそれ以上の複数人を指すことが多いと言える。
――もちろん、「一緒にバカやってくれる仲間」という言葉に、明確な定義などは無い。しかし、上で挙げたような条件は、多くの人が納得してくれるものであろう。それはつまり、「バカをやってくれる仲間」という件に関して、我々に何らかの共通意識が存在するということになるのだ。それは、果たしてどういう意味なのだろうか?
では、「一緒にバカやってくれる仲間」という言葉が、特に親しい人たちへの愛称として使われている理由を、端的に述べてみよう。それは、「自分の弱いところを共有できているから」である。
・・・そもそも、人間は誰だって得意な面と苦手な面が存在するもので、どれだけ外からは完璧超人に見せていても、内面的には必ず弱いところが存在する。だが、そういう自分の弱点を伝えたうえで、それでも付いてきてくれるという人には、強い親近感を感じるというものではないか。逆から見ても、ふだん強い人がふと人間らしい面を見せた時に、嫌悪感を抱くという人は少数で、多くの人は深い同情心を持つことだろう。それが、「バカをやってくれる仲間」という表現が愛称として使われている理由なのだ。人は、弱みを見せることで、逆に親近感が深まるのである。
――ところで、この「秘密の共有」は、単に友人同士だけでなく、様々な人間関係にも拡張できる要素なのだが、このインターネット時代ではネット上で全てをひけらかしているため、見せられるような弱みが存在しないという人が多いかもしれない。その時は、(
^o^)「俺は明るく振る舞っているが、実際は人にどう思われているか気になって仕方無いんだ」などと言っておけば良いだろう。そのような感情は誰もが持っているため、簡単に同情心を得ることができるし、そこから話を実体験に広げていくことができるかもしれない。まあ、これは一種の「テンプレート」のようなもので、特に具体的な意味は無いのだが、だからこそ正しく使ってほしいというものである。上手く使えば、その効果は抜群だ。FF8のスコール君などは、その最たる例である。大切なことは、みなゲームが教えてくれた・・・!
そんなこんなで、「一緒にバカやってくれる仲間」とは、つまるところの「弱みを共有した親友」のことであり、逆説的な強い信頼関係によって結ばれていることが分かった。
・・・さて。ここで扱っている「バカ」とは、具体的には何のことなのだろうか。その多くは、せいぜい深夜まで遊び歩くとか、ちょっとだけ社会的に悪いことをやったとか、異性にアピールするために協力したりだとか、ごくごくどこにでもある物事であろう。逆に、「3人の義兄弟が天下統一を誓った」などという行為だと意識が高すぎて駄目であるし、「一流大学に入ったが何もせず頭カラッポで放り出された」などというのもリアルすぎて嫌である。あくまで、多くの人に分かってもらえるような、小さな、しかし有り触れた「バカさ」が好まれるのであろう。
――というわけで本日は、そんな「有り触れたバカな画像」というものを、幾つか掲載してみることにしよう。もし、これらの人々に同情できるのであれば、それはこの人たちと「価値観を共有できる」ということかもしれない。人は、弱みを見せることで、より深く分かり合える。この新しい年を良い機会として、そのような「人の弱み」から他人を理解してみるというのもいかがだろうか・・・?
*1*
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(2013年1月31日)
新年最初の風物詩と言えば、郵便局が主催する「年賀状」である。が、見事俺は、今年1通も年賀状が来なかったのである。祝! まあ、最近は「ハガキ」ではなく「電子メール」で済ませる人も居るから・・・と言いたいところであるが、もちろん俺は携帯電話の着信もゼロであった。よっしゃ!!
これで俺も二冠だね!!!
・・・しかしながら、俺はこの結果を受けて、少し安心しているのである。というのも俺は、普段やっていることには酷く熱中するが、新しいことを始めるのはおっくうだという一番仕事ができないタイプであり、「年賀状」を書くのもめんどくさいとしばしば感じていた。そもそも年賀状に書くネタが無い。そんなこんなで、特に一身上の都合が苦しい今年は、「年賀状が来ない」ということを、かえって嬉しく思っているのである(震え声)。
そんなこんなで。俺のように、「年賀状のやりとりをめんどくさく思っている人」というのは、決して少なくないだろう。しかしこれは、社会が「交流の機会」を与えてくれているのだと考えることはできないだろうか?
・・・というのも、そもそも郵便局が何を考えているのかはさておき、「年賀状」という機会を使えば、普段全く話すことのできない相手とも自然に交流を持つことができる。「交流の機会」というものは、言い換えれば「出会いの機会」でもある。とりわけ「年賀状」であれば、同じクラス・部活・部署などの相手に、仮に何の直接的な接点が無かったとしても、自然な形で「手紙」を送ることができる。これは、ポストという中継点を挟むハガキならではの利点かもしれないし、年の瀬が持たせる勢いから来るのかもしれないし、はたまた「年賀状」というものが日本文化に根差しているからかもしれない。
――そう考えてみると、「年賀状」という文化は、「第一報は必ず1月1日に届く」「一般に返信する義務がある」「手書きを自然に用いることができる」などの点で、なかなかに面白い特性を持っていることが分かる。やれ、ネット時代の現代では異質とも言えるこういうものを機会として誰かと交流を持ってみるというのも、良いものなのかもしれない。その使い方は、練りに練ったネタを元旦に披露して楽しんだり、好きな女の子にこっそりメッセージを送ってみたり、遠く離れてしまった相手に連絡を取ったりと、まさに無限大である。なるほど確かに、こう考えてみると、今でも「年賀状」というものは存在意義があると言えよう。
しっかしまあ、いわゆる「リア充」はそういうところから人々との交流を作っていくのであり、人間関係を通して様々な信頼を得ていくことになる。逆に、「年賀状を書くのがめんどくさい」などと捉えてしまう俺のような性格の人間が、現在の状況に陥っているのは、まったくもって至極当然とも言えるのだ。そこを冷静に分析してどうする・・・。
というわけで、「年賀状」という一つの文化を取ってみても、そこから様々な分析ができてしまうことが分かった。そう言われてみると確かに、皆さまは誰かが送ってきた年賀状からその人の性格を分析するだろうし、逆に相手方も、“あなたの年賀状”からその性格を読み取るであろう。「年賀状に何を書くか」、そもそも「年賀状を送るのか否か」というところから、それらが全て審査の過程となっているのである。・・・と、こう書くと、まったくあの就活みたいな感じで嫌になってしまうだろうが、実際そうなのだから仕方無い。世の中の人々は、そういう観点で「ヒューマンスキル(笑)」を捉えるということを、肝に銘じるべきである。
・・・そんなわけで、俺は今年は年賀状が1通も来なかったし、あまつさえその状況を「これでいいや」などと思ってしまっている俺にとって、「今後の飛躍の可能性」などは、まるで無いということが分かってしまった。今の気の抜けたコカコーラゼロのような状況である。それこそ、この「年賀状」のように、2013年も“何も来ない”日々が続くことであろう。やれ、余程の「リア充」でも無い限り、「自分から行動しなければ何も得られない」というものは、まったくもって道理のことである。この言葉を受けて、「ああ、じゃあ仕方無いな」と思うか、はたまた「よし、それなら今年は行動しまくろう!」と捉えるかは、その人次第というものである・・・。
――やれ、もしこの日記を見て、かつての俺に年賀状を送ってくれた人や、はたまた送ろうとしていた人が居て、悔いることがあったとしても、それは全く後悔に値しない。何故なら、結局は現状のようになっていることの責任は全て俺自身にあるからである。つまり、「年賀状が1通も来ないのだが?」という題名への答えは、「自分自身が怠慢だったから」ということに尽きるし、そもそも現状の俺は、それを「都合が良い」とさえ思っている。そんな俺が、皆さまに応えられる資格があるはずもないのである。しかし、もし今年の俺に少しでも希望を持つ権利があるのだとしたら、そんな状況から少しでも抜け出せるよう祈るのみである・・・。
(2013年1月31日)
気が付くと2013年になってしまっていた・・・。
皆さま、あけましておめでとうございます!
今年も適当に「やり込み
in FF」を更新していきますので、どうぞ応援よろしくお願いします!!\(^o^)/
今年こそ本気出すわ・・・マジで・・・。
(2013年1月31日)
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