MEMEのことども 更新 04/6/18
04/6/12 (50) 満杯 ここ数日、「ドレスの小路」でやっていた「生地のプレゼント」の追加応募が4名程あって、またまた押入れの生地の整理にてんやわんや。 数ヶ月前に応募下さった20余名さまにプレゼント(ダンボール一杯づつ)をお送りした時も引っ張り出した生地に埋まった数日を過ごしたが、またまた大騒ぎ。 床面がやっと落ち着いて仕事が出来る状態に片付き、ほっと一息。 そこでつらつら考えた。 私って、どうして生地をこんなに溜め込むのだろう・・・と。 日暮里繊維問屋街を歩いていて、ふと手に取った生地を見ているうちに、完成した洋服のイメージが湧いてきてつい買ってしまう私。 でも、他のドレス製作に追われているうち、いつしか自分の為に買った生地は押入れの奥に・・・。 そんな連続から、性懲りもなく溜まっていく生地。 他に何の贅沢もしない私に許されたたった一つの楽しみ、「生地やさん」巡り。 多分、これからもきっと続く事だろう・・・。(^_^;) 押し入れスペースに少しゆとりが生まれ、ちょっといい気分。 こうなると、他の箪笥の引き出し等も空き空きにしたい衝動が・・・。 テレビドラマでは、「拳銃は何処だ!」と探したり、「遺言状はあの引き出しの中に・・・」と引き出しを開けるシーンが良く出て来るが、決まって綺麗にカラカラしている。 あれを見る度、憧れてしまう私。 私がイマワのキワで「わたしの遺言状はあそこの引き出しに・・・」と告げたとする。 息子が駆け寄り、引き出しをそっと開ける・・・。 ・・・・・・ない・・・・・。 そう、満杯の為、ひっかかって裏に落ちている可能性あり・・・。 そんなの嫌だぁ! 身辺整理を心掛けよう。 いつ何が起こっても仕方がない年になったのだから・・・。(ーー;)
04/6/8 (49) ミッキーちゃん人形 新潟の母「けい」(95歳)に無性に会いたくなる時がある。 会っても私のことは霧の中だということは分かっていても、ほっぺとほっぺをくっ付けて温かさを感じるだけでいい。 病院で手厚い看護をして貰い、個室で静かに過ごしている最近の母。 ここへ辿り着くまでの心の彷徨は、老いるという事の切なさを私達にしっかりと学ばせてくれた。 けれど、昔口ずさんだ百人一首や歌は心の奥底にずっと忍ばせていて、不思議に思い出してくれる。 先日会いに行った折、妹が手を取りながら耳元で好きな歌【旅愁」を歌うと、ところどころ小さな声で付いて来るのを発見! ーーーーーーーーーーーー 更け行く 秋の夜 旅の空の 寂しき思いに 一人悩む 恋しやふるさと なつかしちちはは 夢路にたどるは 故郷の家路 ーーーーーーーーーーーーー この「旅愁」の歌詞は、子供還りした母の意識の中で一番胸にくるものだったようだ。 女・・・。嫁いで姓が変わっても、老いた心が行き着く先は「ちちはは」のふところの温もりなのだろうか。 「おっかさまぁ」「あねさまぁ」とベッドの中から呼び続けた一年半程前のこと、母が何回かショートステイをしたことがあって、そういう施設をはじめて見る機会があった。 いろんな状態の方がショートステイやデイサービスを受けていて、食事時になると全員が車椅子で食堂に集合する。 母の前に座った方の胸が不自然にぽっこり膨れているのを見ていると、付き添っていた姉がそっと教えてくれた。 「あの方、セーターの中に、いつもミッキーちゃん人形を入れているの。」 穏やかな笑顔を浮かべた静かな物腰のその女性は、その後見かけた時もぷっくり胸で座っていらした。 今もその光景を思い出す度に胸があつくなる。 それぞれの人生を精一杯生きてきた方々・・・。とても考えさせられた一日だった。 今ではそんな時期が懐かしい加齢進行状況の母。 それでも「旅愁」を口ずさんでくれたことで、胸の中に灯火を貰ったような気分で千葉に帰ったことだった。
04/6/3 (48) 弁解 私は弁解が下手だ。 何回か、結果が意図したことと反対になってしまうことを経験した。 やっとのことでキッカケを作り、やっとのことで切り出した言葉、「あの時、ごめんなさいねぇ・・・。何だかとっても変な事を言ってしまって・・・」 「え?、そんな変な事をおっしゃったぁ? なんだったっけ・・・。」 「あ、それならいいの。忘れて下さってるなら。 あぁ良かった!私ずっといつか謝ろうと思っていたのに機会が掴めなくて・・・」 「な〜に? 変な事って。イヤダァ、気になるなぁ・・・。ねぇねぇ、なぁに〜?」 「いいんだってば、覚えていらっしゃらないんなら」 「やだやだ、教えて!言い出したんだから最後まで言ってよぉ!」 「あの○○の時、うっかり○○って言ってしまって・・・。誤解されたんじゃないかと後で大反省していたの。本当は○○だって言いたかっただけなのに・・・」 ・・・・・・・・・・・ 「・・・・・ 聞かなきゃ良かったわ! 全然覚えていないなかったのに・・・・・・」 ★ こんな展開になり、ますます自己嫌悪に陥ったこと数回。 ほんとに私って馬鹿馬鹿馬鹿。(ばしばしばし!) 「終わった時間は取り返せない」と心に言い聞かせ、慎重に言葉を選んで話をしたり、行動したりしよう。 ・・・と最近とみに決心をしているつもりだったのだが・・・。 やはりあちこちでダストを散らしているのだろうなぁ・・・。
04/6/2 (47) かけそば この度の神戸の「MEMEと語ろう」の会で、問われるままに答えた私と主人の越し方。 東京の本店から新潟支店に転勤してきた主人と、若い連中でグループを作り、あちこち楽しく遊びに行ったりして2年半、再び東京の本店に帰った彼と職場友達結婚(恋愛結婚ではないような・・・)した私達。 苦学で大学を出たという彼の、何事に対しても「一生懸命に取り組む」姿勢に心惹かれた私だったが、6人兄弟の長男という大家族の中に突入する暴挙(?)に出た私に周囲の皆の驚きは大きかった。 彼と結婚した私は、東京の下町、寅さんで有名な葛飾区で、総勢10名という大家族の一員として出発した。 新婚間もなくのある日、用があって二人で出掛けたついでに立ち寄った古い小さな間口のお蕎麦やさん。 主人がとった「かけそば」を、私も・・・と同じものに。 つるつると食べていると、ぽつりと主人が言った。 「毎日のように大学へ行く前に、ここのかけそばをすすってから行ったけど、当時は何より美味しかったんだよなぁ・・」 「えっ・・・」 そうか・・。職場から大学に行く時に立ち寄ったお店だったのか・・・。 毎日家に帰るのが11時頃では、お腹が持たなかっただろう。 いつしか私の目から涙がこぼれていた。 紅顔の小柄な青年が、ここで毎日一人かけそばをすすっていたのか・・・。 向学心に燃えて、寝る間も惜しんで学んだ「学歴」も、所属する職場では「入行時以降」は全く反映されないシステムだったが、それでも学ぼうという意欲は本当に素晴らしいことだ。 「あの頃とちっとも変わってないな・・・」と古びた小さな店内を見回す彼。 茶色にくすんだ壁紙や、幾つかのテーブル。 それらが毎日あの頃の彼を見ていたのだと思うと、私の知らないセピア色した彼の歴史を垣間見た気がした。 いとしさと尊敬の心が入り混じり、私の知らなかった彼の若き日に思いを馳せていた。 経済的事情があって苦学した彼。 ちっともそれを語ることが無かった彼。 人何倍もの頑張りやの彼。 彼と結婚して良かった!絶対幸せにしてあげる! そんな熱い思いですすった「かけそば」。 久しぶりにあの時の事を思い出したことだった。 (などと・・・。(^_^;)
04/6/2 (46) 「両肥鼻」の悲劇 唐突ですが・・。「両肥鼻」・・・。これが何だか分かる方、教えて下さい。 それは今から55年も昔の出来事。 中学に進学したばかりの花も恥らう乙女達の初めての身体検査。 小さく膨らみかけた胸を両手で覆い、どきどきと順番を待つ私達。 さて、私の番。 聴診器を当てたりいろいろ手順通りの検査の後、お医者さんがナニヤラ手に持って顔の前に持ってきた。 鋏のような形をしていたような記憶があるが、定かではない。 やおらそれを鼻の中に入れると、両方を突っ張らせて鼻の穴を広げた。(と思う) げっ、鼻も・・じゃない、花も恥らう乙女に何をするぅ! そこで医者が記録者に厳かに言った。 「りょうひび」。 何それ!? 記録者が書きとめたカルテを覗き込んだ私の目に、はっきりと「両肥鼻」の字が見えた。 ・・・・・・・・ それからです!私の謂れ無き「劣等感」が身体の底でうずきだしたのは・・・。 他の人にも同じ検査をしたのかどうかは不明の出来事。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私の鼻は他の人と違うんだ・・・。 そんな思いがうずうずと私を支配し、積極的に人前に出られない性格になって行った。 それまでの小学生時代の私は、活発な明るい素直な子供だったと思う。 学芸会といえば常に主役を頂戴し(自慢と取らないで頂きたい)、運動会といえば放送を担当し、人前に出ることに何の苦痛もなかった。 それが・・・。 あの身体検査の日以降の私は内面的にまるで別人になってしまった。 家人にもその事は話せなかったし、友人にも言えない「秘密」。 今までと同じように意識して明るく振舞う私の奥底で育っていく劣等感・・・。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 高校生になってからは、「両肥鼻」の呪縛からは抜け出せないまでも、何とか自分を取り戻しつつあった。 しかし、青春の美しくもロマンチックな年代を舞うにはその錘は重かった。 「人生とは・・・」を考え始める頃、いつしか私は教会に救いを求めて通い始めた。 女性の美しい人生は、美しい姿態から始まる。 私には「美しい人生」など程遠い存在なのだ・・・。 そんな悩みをベースに、青春時代特有のさまざまな蹉跌と彷徨からの回避だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そんな高校も三年生の夏休みのある日、先生に呼び出されてこう告げられた。 「あなたが学年で【ピカ一】の成績ですので、○○銀行の受験に推薦したいのですが・・」 私にとっては一瞬信じられない言葉だった。 劣等感と虚無感を奥底に沈めた高校時代。 そんな私に突然贈られた、ダイヤのような光を放つ言葉、「ピカ一だから・・・」。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 神戸での「MEMEさんと語ろう」という会で、図らずも口に出てしまったこの「ピカ一」の一言。 前の経緯を語らずに消化不良の状態で発したこの言葉は、聴いている方には多分高慢な言葉に聞こえただろう。 限られた時間の中では到底語り尽くせない青春の蹉跌の中、この一言で蘇った私の「自信」。 人生の大きな転換は、ほんの小さな一言でも足りることを知った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そんなに繊細で震えるような心を持った私だったが、今や図太い体格と比例する逞しい女に化身した。 封じ込めていた「両肥鼻」の話も、今回、笑い話に出来る自分を発見した。 美味しい空気をいっぱい吸えるように、神様が(無神論者だが)大きな鼻にしてくださったのね!と言える自分。 年齢って有り難い! 人並みに人の妻になり、人並みに二人の息子の親になり、66歳の今を楽しく過ごせる幸せ。 今は大きな鼻より、大きなお腹の方が気にかかる。 でも、血圧・糖尿も大丈夫なのだから、平気!平気! 今日もお腹をポン!と叩きながらどすこい人生を楽しく生きている私。 それにしても、「両肥鼻」って何?? 追伸 この(46)をUPして直ぐのこと、知人の「歯学博士」のR嬢からメールが来た。 「早速医学書を調べましたが、この項目は見当たりませんでした」・・・・。 お腹がくっくっくっと震えて、その後、一人でノケゾッテ笑ってしまいました。 これって、私の人生を左右したこれって、一体なんなのぉぉ?
04/6/1 (45) 「 MEMEと語ろう会」 神戸のシルバーカレッジOBの方々からお声を掛けていただき、私MEMEとしては一世一代・前代未聞の事件が起こったのが「MEMEさんと語ろう」という会の企画施行。 人の後ろに居ることで安心しているような私の生き方に、大革命が起こった! 今までの私なら「そ・そんな・・・」と後ずさりするお話だったが、何故か「はいはいはい」と引き受けてしまったのが不思議。 それだけ「ホームページ」について皆様とお話がしたかったのだと思う。 最初は10名から20名位でテーブルを囲んで「シルバー時代のパソコン利用の楽しさ」を皆で熱く語れたら・・と気楽に思っていたのも事実。 それが!なんと100名近い方々の前で・・・!という事態になり、あたふた・・・。 その日が来るのをどんなにどきどきして過ごすかと思いきや、良くしたもので、コンサートを控えた急ぎのドレス作成を抱え、ばたばたして過ごしていたのが幸いし(?)、何とかその日を迎えてしまった! その間、一応原稿らしきものは何とか打ってはおいたが、はたしてお話出来るだろうか・・・。 この「心臓」は、何処から身についたものやら。 体格が「どすこい」になったのに連動して、心まで「どすこい」になっている自分に驚ろきながら新幹線の客に。 心配した主人も同行してくれたのがなんとも心強い! さて、肝心の会の模様は・・・。 生憎の雨の中を沢山の方がお集まり下さり、もう、それだけで感激してしまった。 折角早起きして厚化粧をし、髪を巻いて出かけて来たのに、雨と汗でどちらもオジャン! もう、何が何だか分からない内に壇上の人に・・・。 取敢えず頼りの原稿を片手にしっかと握り締めて・・・。 ところが!ここから悲劇が始まったのです! なんと!設置されたスクリーンにMEMEのホームページを写しながらお話する為、室内の照明を暗くしてしまって、頼みの原稿が見えない! (事前にスクリーンを使います・・との連絡があったので、そういう事態を察知すべきだったのに、アバウトに受け止めていた私の失敗!) さぁ!それからの私の話は、思いつくまま迷走ダッチロール。 思いも寄らない事を口走ったり、自分で何を話したかも思い出せないような舞い上がりかた。 でも、「けいの部屋」の母子像に付けていた「母こそは・・・」の歌をY様の先導で皆で斉唱したり、夢中で話をしている内に、「2時間が経ちましたので、この辺で質問コーナーを設けます」との主催者のお言葉。 え〜っ!まだ始まったばかりのような気分なのに・・・。もう2時間? そう言えば、声もがらがらになっているってことは、しゃべり捲くった証拠・・。(^_^;) そんなこんなで、生まれて始めての(私にとっての)大イベントは終了したのでした! 今思い返すと、恥かしいことを口走ったり、誤解されるだろうなあ・・・と思える出来事を披露したり、と、反省する事が沢山あったが、それらは次回の「ことども」でじっくりと書いてみようと思う。 今度の神戸でのいろいろは、私の人生の中で特記すべき経験だった。 神戸の皆様の温かいおもてなしと思いやりに包まれて、未熟で(精神的)臆病で内気な「どすこいMEME」の勇気と冒険の一日が終わったのでした! ご企画下さった方々に、心からお礼と感謝の言葉を述べたいと思います! 多謝!! これで又人間が一回り大きくなった気がします!(精神的にです!)どすこい! ーーーーーーーーーーーーーーーーー 風薫る5月13日 主催 【パソコン110番友の会・自然と文化の探検団】 場所 : クリスタルタワー6階(総合研修室)にて ーーーーーーーーーーーーーーーーー
04/2/20 (44) 色 最近私の洋服の色の好みが変わってきたのに気付いた。 見渡せば、グレィとかベージュとか、落ち着いた色ばかり。 赤に目が行っていた40台〜50台が嘘みたい。 今の自分の顔に映えないのが良く分かってきたのだろう。 自然と静かな落ち着いた色に落ち着く自分。 ちょっと前までは「年令と共に華やかな色を着るようにしよう」などと思っていたのに、これは不思議な現象だ。 振り返って見ると、赤などに目が行っていた時代は、女としての「焦り」が有ったように思う。 達観した60台、自分の現在を受け止めざるを得ない状態になった時に選んだ色たちが「落ち着いた色」だったのだなぁ・・と。 ある電車の中の風景。 私の前に座った、60台と思しき女性。 黒いセーターに、全てのものを「赤」に統一している女性だった。 本来なら統一性もあり、素敵に見える筈のそのファッション。だが、見ていて辛くなってきた。 靴まで赤。ふと見れば、やはり年は争えない皮膚の状態・・・。 その時からかもしれない。「赤」は着ないことにしよう」と思い出したのは。 女性は何時までたっても女性。 でも、どんなに頑張っても皮膚はそれなりのお付き合いをしてくれる。 化粧品のコマーシャルで「町野ゆみえ・52才」などと隠した顔を「バァ」して堂々と言えるのは特殊な人だから。 あんな「薄皮饅頭」のようなつるつるぴかぴかしたピンクの肌をした「52歳」が稀有な存在だから、ニッコリ登場するのであって、52歳のみんながあんなに美味しそうな顔をしていたら、お化粧品などいらない。 私もほっぺの皮を広げて「町野ゆみえ・52才」といいたいところだけれど、食パンの耳のようなものはしようがない・・・。 いいの・いいの。 ちゃんと年齢に沿ってそれ相応に生きていけば・・・。 そこで「グレー」「ベージュ」の世界が出現したのです・・・。(-_-;) あぁ・・・。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 追記 化粧品のCMの新バージョンで、「牧野ゆみえ」とテロップが付いているのを発見! 「まちの・・・」 私の耳が訛っていましたぁ・・・。 追追記 今度神戸で「MEMEさんとホームページを語ろう」という会が催されることになり、主催者に自己紹介の為お送りした2年前のMEMEの写真。 まさかパンフレットに使われるとは・・・。 それが、赤いベレーに赤いマフラー姿だったのです。(最近は「ガマの油」状態で、自分の写真を撮っていなかったので・・・) それをWebで見つけた方から書き込み。「あれ?MEMEさん、赤は着ないんじゃなかった?」 古い写真だということがバレバレ。 (^_^;)
04/2/20 (43) 亭主の好きな このところの私の加齢現象には本当に参る! 鏡に映る我が顔のシミやたるみ。手当てをしてこなかったツケがどっと押し寄せた感じ。 PCや洋裁の仕事のメガネ着用のまま鏡を見ようものなら、卒倒しそうな酷さ。 でも、これが私!いいのいいの・・・、おじいちゃん(主人)が何にも言わずに受け入れてくれているんだからと、最後は逃げ道を考えて諦めに入る。 「これからお嫁に行く訳じゃないも〜ん!」 それにしても、よくぞこんな私を大事に思ってくれているものよ!と、主人の太っ腹(といっても、私の方が10kgも体重は重い!)に感謝! ほんとは主人の好みは「八千草かおるさん」。しなやかなやさしい女性らしさが漂う人。密かに好みを知っているんだぁ。 でも、私が彼女の真似をしたところで・・・。ねぇ・・・。 自分なりには身だしなみにも気を付けているつもりだけど、この加齢現象は加速して行く模様。 鏡に向かい、眉を描いている時にいつも思い出すテレビでの一こまが。 ある老人施設の撮影での事、車椅子を押して散歩中のお婆さんとご主人らしき姿。 おばあさんの顔のUPで「あれ?」・・。眉毛の両方が繋がっているのだ。それも太太と。 柔和な笑顔でおじいさんの車椅子を押して楽しそうに野の道を散歩するのどかな風景が、一瞬不思議な世界に。 付き添っている看護の方が雰囲気を察して、こうおっしゃった。 「おばあさんは、おじいさんの好きなことは何でもするんですよね」 やさしく話しかけるその方に、おばあさんもにっこり。 話によると、お化粧をした太い眉をおじいさんが「素敵だよ」って褒めたのだとか。 それ以来、だんだん眉を太く長く描くようになり、ついには一直線の眉にまで発展したとか・・・。 他人の目にはびっくりするようなお化粧も、本人には「亭主の好きな・・・」の素敵な意思なのだった・・・。 それを柔和な瞳で見上げる車椅子のご主人も、何の不思議も無いかのよう・・・。 それはそれは素敵な「夫婦」の姿でした。 「亭主の好きな・・」・・・ 私には絶対なれない「大和なでしこ」風女性。でも、心だけはそうありたいとは思っているのだが・・・。
04/2/20 (42) 新入生 この季節、受験で日夜頑張っている学生たちの姿や、それを見守る家族の方々の気使いがそこここに・・・。 我が家も無事済んでほっとした時間を取り戻したところ。 そんな時、いつも思い出す車中の風景がある。 3年ほど前のこの季節。 バリッと真新しい制服姿の初々しい高校生が隣に座り、慣れない電車通学に緊張した面持ち。 いいなぁ!いいなぁ!こんな紅顔の少年時代は長くは続かないのだから、精一杯三年間の高校生活を楽しんでね。 どんなお友達が出来るかなぁ・・。可愛いこちゃんとの素敵な出会いもきっとあるよ! ご家族もさぞお喜びのことでしょう! ほんと!良かったね! きらきらしたほっぺに、まだ中学生の面影を残している少年を眩しく見ていた。 その隣の60がらみの太ったおばさんも、ちろりちろりとその新高校生を見ている。 そして、ついに話かけた。 「あんた、勉強しなかったんでしょう。だからこんなとこしか受からなかったんだよね」 な・何を言い出すの? 私はびっくりして飛び上がりそうになった! はっとした少年は自分に話かけたのだと知り、顔を紅潮させて下を向く・・・。 なおもおばさんの毒舌が続く。 「あんた、人生頑張らなきゃいけないこともあるんだよぉ!これから生きていくのに、努力することも大事!それを怠けていたからこんな制服を着るはめになるんだから!」 人生訓をとうとうと垂れるおばさんと、首をうな垂れ、真っ赤になっている少年・・・。 もう、いたたまれない雰囲気になった時、最後にこう付け加えた! 「ごめんよ、実はおばさんの孫もこの高校にいるんだよ・・・。だからついつい悪いことを言ってしまったね。本当は自分の孫に言いたいことをあんたに言っちゃってさ。」 もう!
03/11/13 (41) ひとこと 今日は6ヶ月に一回の病院通い。 がんセンターで手術をしてからもう9年余。 去年までは3ヶ月毎の予約通院があり、いつものことながらあの病院へ行く日は憂鬱な気分。 当日はせめて落ち込まないように、ちょっとおしゃれをしてエイヤッと気合を入れて出掛ける。 今日もそんな気分で車中の人に・・・。 乗り込む時、電車の入り口近くに車椅子の人が乗っているのが見えた。 混んでいる時間帯での止む無いお出かけはさぞ大変だろうなぁ・・と思いながら電車の奥の方へ移動。 乗り換え駅に着き、ざわざわと大勢が降りていく。 私も皆の後ろからついて降りようとしたら、前の女性が入り口近くで立ちふさがって降りる様子がない。 「降りますぅ」と小さな声かけをしたとたん! 「ちょっと!待ってくださいよぉ!」とつんけんした返事が返ってきた。 えっ? つと見ると、先ほどの車椅子の方がホームに降りて道をふさいでいて、降りられないでいたらしい。 わりいわりい・・・。 とはいえ、孫といってもおかしくないような女性からの叱責めいた口調を浴びせられた悔しさは胸に残る。 どんなに年をとっても、人間としての感情は同じ、いや、ますます強く感じるのではないだろうか。 実にやっかいなことだが、今日一日「ちょっとぉ!待ってくださいよぉぉ!」のあの口調が耳から離れない。 私って器が小さいのかな? 今日のような日は、早くベッドにもぐりこもう・・・。 明日になれば忘れるだろう。
index